第66話 帝国を侵す戦乱の影
ラフィスフィア大陸のとある場所で、男女が話をしていた。
「君ね。余計な死者を、増やさないでくれないかな」
「仕方ねぇだろ、始まっちまったもんは」
「それを収めろと言っているんですよ、わかるでしょ? 転生が滞ると言う事が何を意味しているか」
「そんな事、てめぇに言われなくてもわかってらぁ! 戦ってのは、血沸き肉躍る楽しいもんだ。これは違う! 洗脳による、一方的な殺略だぁ!」
「それがわかっているなら、何故?」
「わかんねぇか? 洗脳だよ、洗脳! この戦いを動かしてるのは、俺じゃねぇ!」
「困りましたね。では、奴らの居場所を特定出来たんですか?」
「まだだな。奴ら思った以上に警戒心が強い。せっかく味方になってやったのに、俺を信用してねぇみてぇだ」
女は深いため息をついて、男を見やる。男は飄々とした様子を崩さずにいた。
「頼みますよ。飽和状態に近づいているんです」
「馬鹿野郎! お前が死ぬ気で働きゃ良いだけだろ」
「嫌ですよ。君こそ奴らの一番近い存在になったんです。自ら動く位して欲しい物ですね」
「最悪、俺が奴らをぶち殺す」
まるで喧嘩でも買う様に、男は息巻く。そして女は、軽く頷くと姿を消した。
「そういやこの間のは、かなり骨の有る奴だったな。何て言ったか、シグ何とかだっけか? 生かしとけば良かったぜ。ったく面白れぇ戦は、無いもんかねぇ」
男はため息と共に呟く。その直後に、一瞬で姿を消した。
☆ ☆ ☆
時は少し遡る。
ペスカと冬也に命を救われたシグルドとトールは、昼夜を問わず懸命に動き続けていた。トールは部下達に命じ、怪我を負った兵達の治療を、帝都各所の治療院に運ばせる。そして、数少ない無事な帝国軍と周辺領地の軍を再編し、帝都防衛網を築く。
「貴様ら! 帝国は終らない! 今こそ我等の力が試される時だ! 我らの正義を、義務を果たせ!」
帝都を巡って繰り広げられた戦闘。薄行く意識の中で見た将軍の死。シグルドに聞かされた、邪神ロメリアの采配と皇帝一族の死。
この内戦で、マナをすり減らされて死んだ兵士は多く、無事な兵は少ない。特に内戦に無理やり加担させられた兵は、己の行為を知り深く沈みこんでいた。
施政者を失い、守る盾も失った帝国。絶望的な状況で、トールは少女の姿を思い出す。
彼女は常に勇敢だった。前線に立ち指揮を行い、絶望的な状況に立ち向かった。彼女がいたから、内戦が終結した。彼女がいたから、神が消え去った。自分に何が出来る? 自分は彼女の足元にも及ぶまい。でも、今は立ち上がれ。立って戦え!
彼女が守ってくれたこの帝国を、今度は自分が守るのだ。
「我等は帝国を守る盾! 今こそ我らの力を示せ!」
トールの怒声が、帝国軍に響き渡る。
己の愛する帝国を守る為、命を救われた恩に報いる為、トールは自身と帝国軍を鼓舞した。
トールの想いは、帝国軍に伝播していく、そして奮い立つ。ある者は己の役目を思い出した様に、ある者は二度と違うまいと心に誓う。トールの鼓舞に答える様に、掛け声が帝国軍に響き渡った。
シグルドは、洗脳が解けた各地の辺境領主を集めて、委細の説明を行った。しかし皇帝とその血族の死は、領主達に重くのしかかる。神の采配とは言え、帝国に刃を向けた事実。そして、皇帝を失った帝国の行く末。領主達に混乱と動揺が走る中、シグルドは大きく頭を下げた。
「今は、皆様の協力が必要です。このままでは、本当に帝国は滅びてしまう。どうか力をお貸し下さい」
シグルドは誓った、もう何も奪わせないと。恩人のペスカ達に、なにより己の魂に。
邪神ロメリアと対峙した時に、自分の足は竦み、役に立つ事が出来なかった。何が王国最強の剣士だ、笑わせる。自分はただの役立たずだ。もっと自分が役に立っていれば、ペスカ達が犠牲にならずに済んだのだ。
そう思うと腸が煮えくり返る。この身を切り刻みたくなる。しかし誓った。もう何も奪わせない。今度は、今度こそは、必ず!
「どうか、どうか、お力を!」
鬼気迫るシグルドの気迫に、辺境領主達は目を覚ます。他国の人間がこれ程に頭を下げているのに、我等は何を呆けていたのか。やがて一人の辺境領主から、声が上がる。
「守りましょう帝国を、我らの手で! 亡き陛下の意思を継ぐのは我等だ!」
そして次々と領主達から声援が上がる。程なくして、エルラフィア王国から大臣が数名到着した。
「シグルド殿、陛下の命により参上しました。近衛隊も連れて来ております。内政は我等にお任せを」
皇帝の死亡から数日の間。エルラフィア王国の大臣達は、辺境領主を始め無事だった貴族を城に集めた。そして次期皇帝の選別と、大臣の任命を行った。
それと同時に、隣国へ派遣していた間者達の情報取集を急がせた。さらには、帝国民達へ外出禁止令を徹底させる様に、官僚達へ指示した。
そしてトールとシグルドは協力し合い、再編した軍を持って、国境沿いの警備増強に取り組む。
エルラフィア王国の大臣達と、シグルドは理解していた。帝国周辺における平和は、賢帝と呼ばれた亡き皇帝の力があってこそ、保たれていた物だと。
賢帝の就任以前の帝国は、戦争により領土を拡大していた軍国主義の国だった。二十年前の悪夢の際、不可侵条約を締結した。しかし周囲の国々は、帝国の侵略を恐れて、間者を多数帝国に忍び込ませていた。また戦力増強も怠らなかった。
そして帝国の広く豊かな領土は、周辺国には喉から手が出る程、欲しい物でも有る。
賢帝は自国の発展だけでは無く、周辺国との関係を良好にする為の策を、数々行っていた。そのおかげで平和が保たれていたとも言えよう。
賢帝と言う大きな支えを失くした帝国に、他国が攻め入るのは時間の問題であろう。故に、周辺諸国の情報収集、内政の正常化、軍備の増強は急務であった。
そして、恐れた事態は的中する。しかも最悪の形で。
突如、国境門からの緊急連絡が入る。
隣接した三国が一斉に国境門を破り、帝国に侵攻を開始した。
シグルドは連絡兵に、侵攻して来た軍隊の様子を細かく聞き出す。報告を聞く限りでは、邪神ロメリアの時の様に、暗示を掛けられた気配は無い様に思えた。
各国の思惑が領土拡張ならば、住民達を無用に傷つける事は無い。そう判断したシグルドは、各地の住民達への周知を急がせた。戦闘に巻き込まれた際は、直ぐに降伏する様にと。
そして、エルラフィア王に報告の後、エルラフィア王国の大臣達にも報告を行う。辺境領主達に動揺が走る中、エルラフィアの大臣は冷静に推察していた。
「思いの外、早かったな。して、どうするシグルド殿」
「住民達へは降伏を命じる伝令を走らせています。今回は、ロメリア神の時とは違う様です。状況次第では講和が可能と思われます」
「そうですな。しかし、使者は誰が行くのです?」
「我等近衛が行きます」
エルラフィアの大臣とシグルドで話が進められる所に、辺境領主達から異議を唱える者が現れる。
「待て! それでは我等の領地を明け渡すのと、同義では無いか!」
「そうだ! 承服出来ぬ!」
それらの声を、シグルドが一喝して黙らせる。
「今の帝国に戦う力が有るとお思いか! このまま戦争をすれば、滅ぶのは帝国です!」
歯軋りする辺境領主達に、シグルドは言葉を重ねる。
「僅かに残った兵達を、周辺に差し向けて戦争になれば、どうなります? 無用に兵を失い、国土は荒れ、民は蹂躙させる。今は何としても戦争を避けるべきなのです!」
「しかし、講和が可能なのか?」
「わかりません。しかし、こちらの戦力が整うまでの、時間稼ぎにはなるでしょう。エルラフィア王国には援軍の要請をしました」
「それでは貴殿が一番危険では無いか!」
「ご心配には及びません。我等エルラフィア近衛隊、一騎当千にございます」
胸を叩くシグルドに、周辺領主達は期待の眼差しを向けた。そしてシグルドは、近衛隊を三隊に分けて、侵攻して来る軍へと向かう準備を整える。
出発直前には、トールが見送りに来た。しかし、トールの表情は優れない。
「シグルド殿、私もお連れ下さい。何やら嫌な予感がする」
「トール殿。私にもその予感が有ります」
「ならば、尚の事!」
「いえ、この侵攻の裏にあるのは、恐らく神の存在でしょう。神を相手に出来るのは、この中では私だけです」
「しかし、シグルド殿」
「いや、トール殿。貴方は帝国守る盾でしょう。そして、皆に気を付ける様、伝えて下さい」
「シグルド殿だけを、犠牲にする事は出来ない!」
「我が魂に誓いました、何も奪わせないと。だからトール殿、私にお任せ下さい。いずれエルラフィアから援軍が訪れます。それまでの時間は私が稼ぎます。貴方は帝都の守備を固めて下さい」
「シグルド殿、ご武運を」
シグルドの意を汲んだトールが、唇から血を流して、シグルドに声援を送る。対してシグルドは、笑顔を浮かべてトールに頷いた。
シグルドの戦士としての感だろうか。三国同時の帝国侵攻に、策謀めいた物を感じていた。その為、三隊の編成は少し特殊な形になっていた。
一つは、シグルドと伝令役の兵一名のみ。残りの近衛隊を二つに分け、二人の副官をそれぞれ指揮官とした。
何が有っても、自分独りなら切り抜けられる。だが、万が一の場合には、報告が出来る者を傍に置いておく必要がある。それは、類まれな力を持った、シグルドだから実行可能な策であろう。
そしてシグルドは、出発前に幾つかの策を、エルラフィアの大臣達に伝えていた。
一つ、常に情報の共有を可能にする為、城と近衛隊三隊それぞれに、通信用の魔道具を持たせる。
一つ、もし講和が不可能な時は、近衛隊が全力を持って足止めをする。
一つ、戦争が始まった場合、近衛隊が足止めをし時間を稼ぐ。その間、帝国軍は帝都近くから順次、街道沿いの町々に居る住民を帝都に避難させる。
「お前達! ここが我等の正念場だ! 必ず民を守れ!」
シグルドの号令と共に、近衛隊は出発する。
シグルドは全ての帝国民を守れる等、傲慢な考えは持っていない。そしてシグルドは自分の部下達に、いざとなったら死ぬまで戦えと言ったのだ。
だがシグルドは、自分の魂に誓った約束を違える気は、さらさら無い。もし自分の予想が正しければ、今から向かう方向に原因となった何かがいるはず。それさえ倒せば、戦争は起きない。
帝国民も部下達も、決して死なせない!
この時シグルドは、薄々理解していたのだろう。この戦争の背後で、何が起こっているのかを。
侵攻した三国が帝国に抱いていたのは、疑念、嫉妬、欲望である。そんな感情を好み、いとも簡単に操れる存在がいる。
邪神ロメリアは、ペスカ達を追って消え去った。今回は、恐らく別の神であろう。
どれだけ軍を集めても、恐らく神の足元にも及ばない。それは、自らが経験したからわかる事である。だが、自分はその怖さを知った。自分の矮小さも思い知らされた。だから赴ける、この戦いに。
帝国の民、兵士、仲間の近衛隊、侵攻してくる国々の兵士、それらを全て守る。
「見ていて下さいペスカ様、あなたの意志は私が継ぎます! 冬也、君には負けない! 私も勇敢に戦ってみせる!」
シグルドは単独で、巨大な力に立ち向かおうとしていた。
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