富良野ゆかりと不死者の宝物
ゆかりが誰もいない道を歩いていく。あと何度かはさっき使った煙を見せればごまかせるかもしれない。でもそれもいつか使えなくなってくる。その前に出口を見つける必要がある。少しの焦りも生まれてくる。しかし、それ以上に気になることがあった。
「ちょっと。ついてこないでよ」
「しかし、危険が」
「大丈夫だってば!」
さっき鍵を開けた白衣の男。それがずっとゆかりの後をついてきていた。歩いても止まっても、一定の距離を開けてぴたりと後ろをついてきている。
捕まえるつもりなら今すぐそうすればいい。他の研究員を呼んできてもおかしくない。それなのに無言のままついてくるのは一番気持ち悪かった。
「ついてこないでってば!」
ゆかりは白衣の男を振り切るために走り出す。それを追いかけるように男も走り出した。
「誰か助けて!」
見つかってもいい。そんな気持ちで発した声に答えるように黒い触手が伸びてきた。額をしたたかに打った一撃で男が床に倒れこむのが見えた。
助かった、のかな? またおかしなことに巻き込まれるだけかもしれない。廊下の先から現れた太った男の姿を見て、ゆかりは森のくまさんみたいだと思った。
「連れ去られた子かな? 無事かい?」
「あの、はい。コホッ」
答えたと同時に咳き込んだ口から紫色の煙が吐き出される。
「無事じゃなさそうだね。残念だけど」
「そんな」
「あぁ、心配しなくていい。私は専門家というわけじゃないから。もしかするとそれの解決方法を知っている人がいるかもしれない」
よかった。とりあえず味方になってくれる人だということは間違いない。ゆかりが安堵して太った男の姿を見る。そこには人にはありえないものがくっついていた。
「そうですか、って背中が!」
「あぁ、失礼。でも取って食うわけじゃないから気にしないでもらえると嬉しいね」
気にしないで、と言われてはいそうですか、と受け入れられるものではない。自分を救ってくれた触手は動物ではなく、目の前の男から生えていた。
また変な人だ、とゆかりが逃げ出そうとしたところに今度は顔に傷のある中年の男が姿を見せる。
「おう、百手。結局無事だったのはその子と、お前がのばしたそいつだけみたいだな。あとの連中は蜘蛛の子散らすように逃げちまった」
「追いかけるなら私は別料金だよ」
百手、と呼ばれた太った男はたいして気にした様子もなく答えた。
「がめついねぇ。コンビニやめてこっちにくればもっといい待遇にしてやるってのに」
「傭兵稼業も本望じゃないんだけどね」
「あの、あたしは」
どうやらもうこの研究所に人はいないらしい。でももうゆかりの体は返ってこない。そのほとんどは壊死によって失われてしまった。
自分を売った母親のところになんて戻るつもりもない。おかしな病気にもかかったみたいだ。もう元には戻れないかもしれない。
「嬢ちゃんは俺についてきな。ちょいと体を調べてみないことにはなんとも言えねぇな。心配しなくても俺たちゃ懐の深さは日本じゃ一番よ」
「まったく調子がいいんだから。それじゃ私は帰らせてもらうよ。店もあるしね」
「どうせ誰も来やしねぇ幽霊コンビニじゃねぇか」
「怒るよ」
「怖い怖い。じゃあな」
黒い触手が倒れていた白衣の男を絡めとる。そのまま食べてしまうんじゃないかとゆかりは思ったが、そのまま抱えるように外に運び出すだけのようだった。
まだついていっていいのかなんてわからない。ただゆかりには他の選択肢も残っていなかった。この二人が大暴れしたらしい研究室はあちこちの壁が崩れていて、もうまともに機能しそうな気配はない。
「嬢ちゃん。前向きな」
いつの間にか白いスーツの男が目の前に立っていた。いつ来たのかよくわからない。ただその目にはゆかりの知らない色が浮かんでいる。
「下向いてたって穴に落ちないとは限らねぇ。だったら顔上げて前向いて走ってた方がいざってときに高く飛び上がれるぜ」
その色が優しさだと気付くのに、ずいぶんと時間がかかった。言っていることはゆかりには少しも理解できなかったが、とにかく信用はできそうだ。ゆかりは男の手をとると、しっかりと温かい手が握り返された。
――――
「そんなことが」
「あったのさ。君の知らない世界でね」
「その白衣の男ってもしかして」
「あぁ、小木曽くんだよ。一応鬼頭のところで治療方法は探しているみたいだけど、まだ見つかっていないんだ」
壮大すぎて創作の世界に思えてくる。最近店長がハマっているアニメの話だと言われた方がいくらか信じられそうなほどだった。
それでも、これが現実なんだろう。そう思えるくらいには俺もここで働いているつもりだ。
「じゃあ、俺も感染してたら危なかったってことですか」
「いやぁ、高橋くんが謎の抗体を持っていてよかったよ。鬼頭に話したらぜひ血液サンプルが欲しいって騒いでいたよ」
「か、考えておきます」
富良野さんや小木曽さんの力になれるのはいいけど、ちょっとまだ勇気が出ないかな。それにしても未知のウイルスに抗体を持ってるって、俺も人間なのか少し自信がなくなってくるよ。
「そういうわけで行き場のなくなった彼女の面倒をみるためにうちでバイトをしてもらっているというわけさ。小木曽くんも一緒にね」
「それで富良野さんのゾンビ化は?」
「ある意味成功したといえる。彼女は実際のところ不老不死だよ。不死身ではないから損傷が激しければもちろん命は落とすだろうけどね」
「その代償が、あの紫のウイルス煙ですか」
「本人曰く少しは溜めておけるらしいけどね。溜め込んで体に悪くても困るし、幸い異種族の私たちには感染例がない。鬼頭のところで研究用も兼ねて吐き出しているみたいだけど、空気中ではすぐ死滅しちゃうみたいだね」
すぐ、と言っても飴やお菓子に大量に吐き出せばそれなりの時間は生きていられるってことか。感染力が低いのがせめてもの救いってことなのかな。それでも富良野さんにとっては大変なことには変わりない。
自分の意思でどうにもできないことくらい、教えてくれていてもよかったのに。
「それともう一つ」
「まだあるんですか?」
「彼女の着替え、覗いたんだろう?」
「覗いたって、不可抗力です!」
「彼女の全身の包帯はもちろん怪我でもなければファッションでもない。適当に切り貼りされた色の違う肌と抜糸の跡を隠しているのさ」
「そんな」
想像して俺は口を押さえた。性別も成長も違う腕や足を乱雑に縫いつけられるという感覚なんて、今の想像でも足りないくらいのものだろう。それを我慢して富良野さんはいつも明るく笑っていたのだ。
「彼女はそれまでの経緯もあるだろうけど、孤独を妙に嫌うところがある。仕事がないのにシフトの時間には休むことなくここにくるだろう? 働きもしないのに」
「そうですね。来なかったのは見たことないです」
「それにやたらとみんなに煙を撒きたがるのは、そうすればずっと一緒にいてくれる人間が増えると無意識的に思ってるんじゃないかな」
重い、重い言葉だった。
何も考えなしに生きていると思っていた富良野さんは、自分なんかと比べ物にならないほどの困難を乗り越えて、やっとこの場所まで辿り着いてきたのだ。それを、俺は自分の常識にだけ当てはめて、壊そうとしていた。
店長の話にもう相槌すら声にならなくて、俺はただ首をゆっくりと縦に振った。そのくらいしか表現する方法が残っていなかった。
富良野さんを探しに行かなきゃ。そして、今度は本当に謝ってあげないと。
そして、俺は彼女が過去に見た人間とは違うってことをわかってもらわないと。
俺が立ち上がるのと同時に休憩室に誰かが走りこんでくる。
「店長! 高橋さん!」
息を荒げたまま叫んだ小木曽さんに驚く。こんな小木曽さんの姿を見たのはこれが初めてのことだった。
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