第13章 白い壁の港にて 2


「アマリア。わたしとこのまま旅を続けることが、どんなに危険か、わからぬお前ではないだろう?」


 ウィリウスが優しい声でかん気な妹を諭そうとする。だが、大人しく兄の指示に従うようなアマリアではない。


「もちろん、承知の上ですわ。ですが、お兄様。私もトラトスも、すでに陰謀に深く関わっていますのよ。それなのに、大人しくローマへなど、帰れませんわ」


 アマリアは形の良い鼻を、つんと上に上げて、兄へ言い返す。俺も、アマリアと同じ気持ちだ。ミュルテイアとマルロスが死んだ原因となった贋金の首謀者が、ようやくわかったのだ。このまま放っておく気は、欠片もない。


「ローマでは、父上がお前の帰りを今か今かと首を長くして待っているだろう。もし、お前が怪我でもしたら、どうする? 父上を悲しませる気か?」


「トラトスがいますもの。必ず、私を守ってくれますわ」


 アマリアは、兄の説得に間髪を入れず言い返す。アマリアの言葉に、クレメテスが怒りのこもった眼差しで俺を睨みつけた。だが、俺は素知らぬ顔で、視線を外す。俺とクレメテスの攻防を無視して、アマリアは更に言葉を継いだ。


「父上が待っているとおっしゃるのでしたら、お兄様も同じですわ。むしろ、亡くなったと思っていたお兄様が、生きてお父様の前に現れたら、どれほど喜ばれることでしょう」


 ふと、疑問が生じて、俺はウィリウスに尋ねた。


「ウィリウス様。あなたは現在、表向きには死んだとされている。無事に贋金造りの陰謀を暴いた場合、その後は、どうなさるおつもりですか?」


 ウィリウスが、ローマの父に、自分が生きていると、まだ知らせていないのは、俺もアマリアも知っている。俺の質問に、ウィリウスは苦笑いして肩をすくめた。


「それは、すべてが終わった後で、じっくり考える予定だ。今の状況では、まだ何とも言えないからね」


 ウィリウスの言葉は、もっともだ。だが、俺はウィリウスの台詞に嫌な予感を感じた。それは、アマリアも同様だったらしい。アマリアの眉が、怒りを宿して跳ね上がる。


「お兄様! まさか、お兄様は御自分の命と引き換えに、陰謀を止める気ですか? そんな事態、私が許しませんわ!」


 相手がウィリウスでなかったら、アマリアは平手打ちを食らわせていただろう。アマリアの明るい茶色の瞳は、怒りの激しさのあまり、炎でも燃えているように輝いている。


「何のために、私やトラトス、クレメテスがいるとお思いですの! すべて、お兄様を助け、陰謀を暴くためですわ! 首尾良く陰謀を挫いた後は、四人揃って、ローマへ帰りますのよ」


 どこにそんな自信があるのかと、疑問に思うほど自信たっぷりに、アマリアは華やかな笑顔を見せる。ローマ軍四個軍団が背後についているアルビヌス帝に、たった四人で逆らうなど、正気の沙汰とも思えない。

 にもかかわらず、アマリアの自信に満ちた笑顔を見ていると、さほど無謀でもないと思えてくるから、実に不思議だ。


 アマリアの笑顔に釣られたように、ウィリウスも端正な顔に笑みを見せる。


「そうだな、アマリア。お前の言う通りだ。様々な不安に囚われて、少々、気弱になっていたようだ。わたしも、必ず、生きてローマへ帰ろう」


「私と一緒に、ですわよ」


 未だにアマリアを同行させたくない兄の心情を読んで、すかさず、アマリアが訂正する。渋面のウィリウスに、俺は笑顔で申し出た。


「ウィリウス様。こう考えては、いかがでしょう。同行を禁じられた場合、どんな突飛とっぴな行動を取るか予想できないお嬢様に気をむよりも、一緒に旅をして、お嬢様の行動に目を光らせるほうが、得策ではございませんか?」


「それは確かに、その通りだが……」


 思考をまとめるべく、しばらく視線を彷徨さまよわせたウィリウスは、やがて、諦めたように吐息した。


「トラトスの言う通りだな。すぐそばで、アマリアの行動に目を光らせたいたほうが、精神衛生上も、よさそうだ」


「お兄様の言い方は、釈然と致しませんが、同行を許していただいて、何よりですわ」


 アマリアが飛び跳ねんばかりに喜ぶ。歓喜する妹を、苦笑混じりの優しい眼差しで見ていたウィリウスは、ふと俺に視線を移し、眉を寄せて疑わしげに尋ねた。


「ところでトラトス。まさか、同行の許可を取るために、あらかじめ、アマリアと打ち合わせしていたのではないだろうな?」


「そんな、滅相もありません」

「とんでもありませんわ、お兄様」


 打ち合わせなどしていないのは事実だ。ところが、俺とアマリアの答える声は、不思議なほど、調和した。

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