第8章 兄の手紙 2


 奴隷は前置きすると、顔を上げてアマリアを見た。その表情からは、ひとまず迷いは消えている。


「わたしが総督から探して持ってくるよう指示された巻物は、ウィリウス様がブリタニア赴任の友人とやり取りした書簡でした」


「お兄様が友人とやり取りした手紙? 相手の名前は、覚えているかしら?」


「はい。手紙の送り主は、プブリウス・ホロウィウス・キリヌスという方です」

 奴隷の返答に、アマリアは茶色の瞳を輝かせた。


「キリヌス様なら、知っているわ。お兄様と年の近い友人で、我が家にもたびたび来てらしたわ。確か、去年、選挙に当選して、ブリタニア駐屯の第二アウグスタ軍団に、財務官として赴任したはず……」

 呟いたアマリアは、小首を傾げて奴隷を見つめた。


「キリヌス様からの手紙には、どんな内容が書かれていたの? まさか、御機嫌伺いの手紙を回収したわけではないでしょう?」

「手紙には……」

 かすれた声で呟いた奴隷は、一度、言葉を切ると、緊張でからからに乾いた唇を、舐めて湿らせた。


「手紙には、ウィリウス様からの問い合わせに対する返答が書かれていました。文面から察するに、ウィリウス様は、キリヌス様にブリタニアの銀山での産出量を尋ねていたようです」


 ヒスパニアと同じく、ブリタニアも金、銀、鉛、鉄と、鉱山資源に富んでいる。ヒスパニアと同様、鉱山は公有で、軍団によって管理監督されている。確か、銀鉱は、ブリタニアの南西部に位置していた。銀鉱の管理を任されているのは、キリヌスが所属する第二アウグスタ軍団だ。


「キリヌス様のお返事によると、ブリタニアの銀山の産出量は、落盤事故が起きたため、ここ一年ほどの間、落ちているとのことでした。表向きには」


「表向きには、だと? どういう意味だ?」

 俺は目をすがめて奴隷を見た。神経がちりちりとあぶられるような嫌な予感を感じる。うなじに掻いた汗がひやりと冷たい。

 奴隷の顔は、緊張の余り、血の気が引いている。睨んだ俺の視線にも気づいていない。唇をわななかせながら、奴隷は告げた。


「本当は、落盤事故など、起こっておらず、産出量は以前と変わりない、と。首都に報告している産出量との差は、軍が、密かに着服していると……」


 奴隷の声は囁くように小さかったが、テーブルの空気を凍りつかせるには、十分な威力を持っていた。まるで、突然、自分の目の前で大斧が振り下ろされたかのように、誰もが皆、言葉を失う。それほど、衝撃的な内容だった。


 ローマ帝国を守るべき軍団が、管理する銀山の産出量をたばかり、差分を着服しているなど、もし、外部に知れたら、軍団の威信を失墜させるような大醜聞だ。


 告げた奴隷自身も、緊張に、大理石の彫像のように身を固くしている。ラウロはと、視線を転じれば、惚けたように目と口を丸く開けていた。


 いつもと変わらないのは、アマリアだけだ。アマリアの明るい茶色の瞳は、とっておきの宝物でも見つけたように輝いている。わくわくと心が躍って、落ち着いてなどいられない。そんな様子だ。


「お兄様は、何らかの理由で、銀山で横領が行われていると知ったのね。だから、ヒスパニアやブリタニアの銀山の産出量を調べさせたんだわ」


 ブリタニアで銀の横領があったのなら、自分の任地、ヒスパニアでも横領が行われているのではないかと疑ったウィリウスの気持ちは、わかる。俺とアマリアは、ウィリウスが行った産出量の照会の返答を知らないが、果たして、ヒスパニアでは横領が行われていたのだろうか。

 もしかすると、それが、ウィリウスが事故死を装った原因の一つかもしれない。


「ありがとう、話してくれて。感謝するわ。あなたのおかげで、お兄様がどんな任務を行おうとしていたのかが、わかったわ」

 アマリアが、奴隷の右手を両手で取って、謝辞を述べる。元老院議員の令嬢が、奴隷の手を取って礼を言うなど、普通は有り得ない。一瞬にして、顔を紅潮させた若い奴隷は、慌ててかぶりを振った。


「い、いいえ……! ですが、この件は、本当に危険です。誰にも、洩らさないでください」

「どういう意味だ?」

 俺の問い掛けに、奴隷は再び、うなだれた。


「キリヌス様の手紙に書いてあったのです。銀の横領を調べている自分の身に、危険が迫っているようだと」

「なるほどね」

 奴隷の言葉に、アマリアが得心がいったように、小さな声で呟く。俺には、アマリアがどういう理由で納得したのかわからない。いずれにせよ、アマリアなりに、何か思うところがあるのだろう。


「あなたが回収した巻物や書字板は、総督に渡したの?」

 アマリアの質問に、奴隷は頷いた。

「そうです。提出した際に、総督から、巻物の内容を決して口外しないよう、固く禁じられました」


 ニメリウスの戒めは破られ、巻物の内容を知る者が、三人も増えたわけだが。

 しかし、俺もアマリアもラウロも、これ以上、巻物の中身を言い触らす気は、全くない。言い触らせば、先ほど、奴隷と交わした約束を破る羽目になる。


「悪い夢でも見たと思って、巻物の内容は、早く忘れてしまいなさい」

 アマリアが優しく奴隷に微笑みかける。

「よく、話してくれたな」

 俺は労りの気持ちを込めて、奴隷の肩を軽く叩いた。


 総督に口止めされたためとはいえ、ローマ軍団が公有の銀を横領しているなどという話を、自分一人の胸にしまっておくのは、かなりの心労だったに違いない。心労の元を吐き出してしまった今、奴隷の表情は晴れ晴れとして見えた。

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