悪鬼に捧ぐ歌を練り

 音楽グループ四苦HACKのボーカル、シギリ死切が、悔しさに顔を歪めて男泣きに泣いている。曲の収録でもなかなか聞けない、力のこもった声の迫力に、メンバー三人も何も言えず、しかし今夜の生配信を気にして時計を見ている。

 時間に余裕はあるが、数時間で立ち直る状態にも見えない。

 シギリの手の中には、何かWEBページを開いているらしい端末が握られており、そこで何かを見て泣いていることだけは明らかだ。


 やがて、最年少だが、最も度胸のあるタツヤ絶病が、意を決して踏み出した。

「しぃさん、どうしたんだよ」


 泣き腫らした赤い顔を歪めて、シギリが振り返った。眉を寄せ、歯を食いしばり、赤鬼のような形相をしていた。

 何も言わず、というより、涙が喉に詰まって何も言えず、シギリは端末を突き出した。


 三日前に発生した、海外の銃乱射事件を扱うニュース記事だった。

『犯行後に自殺した犯人の男は俗悪な音楽グループのファンだった』

 と、書かれており、犯人がアップロードした動画の一部が写真として貼り付けられている。銃を持ってカメラに向かい、威嚇的に何か喚いているシーンだ。

 その背景、液晶モニターの画面に表示されているのは、四苦HACKが公開している動画だ。よく見ると、暗くてわかりにくいが『生老病死』の四字を切り裂く図柄が特徴の、四苦HACKオリジナルタンブラーも置いてある。

 動画の中でも四苦HACKの曲が流れていたのかもしれない。

 総合すると、俗悪な音楽グループとは、四苦HACKのことだろう。しかし、シギリは俗悪と言われた程度のことで泣き出す男ではない。

 その程度は日常茶飯事だ。今でもSNSの通知をオンにすれば、活動を停止しろと口汚く呼びかけてくるBOTの束が見えるだろう。


 四苦HACKの理念は、音楽の力で人々の中に巣食う苦しみを抉り出し、その穴に生きるための力をもう一度ねじ込むことだ。

 曲により程度の差はあるが、普通の健康人から見れば、グロテスクな内容を取り扱う俗悪音楽グループでしかないだろう。

 それでも、今まさに死の淵に足をかけた誰かが、ほんの一瞬だけ振り返った、その一瞬に、死の淵から身も心も奪い取って、生者の世界に投げ渡す楽団になれたなら、それに勝る喜びはない。それを積み上げることが四苦HACKの至上命題だ。

 ならば、シギリが泣いている理由は――

「悔しいんだな、しぃさん」


 シギリは頷き、大きく息を吸い込んだ。

「届いたんだ! 届いたのに、何の足しにもならなかった!」

 涙声のあとに、血を絞り出すような「ちくしょう」が続いた。


 完全敗北としか言いようがなかった。いや、完全は言いすぎかもしれない。何かが起きる前に救済していたとしたら、それは誰の目にも映らないのだから。

 それでも、敗北は敗北だった。死の淵の誘惑に対して、四苦HACKは指先をひっかけて抗うのが限界だった。彼は容易く振り切って、飛び降りてしまった。


 重い沈黙の気配を察して、ロダン老断が口を開く。

「しぃさん。今夜の配信、やれるか?」


 シギリの表情は苦いままだ。

 そこで端末が鳴った。彼らのスポンサーである、渡瀬川わたせがわという男からの着信だった。

 シギリ以外、彼に直接会ったことがあるメンバーはいない。


『急な電話ですみません。今、良いですか?』


「大丈夫です」

 鼻に流れた涙をすする。

 それを聞いて、渡瀬川は状況を悟ったようだった。何か考え込むような間のあと、彼の言葉は「今夜の配信の内容ですが」から始まった。


『作曲作業をリクエストできますか?』


「作曲作業ですか?」

 シギリは一瞬、怪訝な顔をしたが、すぐにその目がギラリと輝いた。

 メンバーを見回す。活力をみなぎらせたシギリを見て、全員が頷く。

「やります。悼まれない死者のために、ですね?」


『そうです。ありがとうございます。恐らく、四苦HACKしかやらないことでしょう』


 電話は切れた。

 渡瀬川の言う通り、四苦HACK以外には、ほとんどいないだろう。人を殺してから自殺した加害者に向けて、哀悼のメッセージを送ろうなどという者は。

 だからこそ、四苦HACKがある。被害者を悼んでも誰も帰っては来ない。周囲の者を巻き添えに、死の淵へ落ちていった者をこそ、救う道を探らなければ、永久に新しい被害者の冥福を祈ることになるだろう。


 これはシギリだけが腹にしまっていることだが、渡瀬川は四苦HACKへの投資を「実験」と言った。

 音楽の力が、どこまで人を救うことができるのか。

 渡瀬川からのリクエストは、四苦HACKに渡された研究項目であり、挑戦状だ。しばらく、これをテーマに試行錯誤を繰り返すことになるだろう。


 方針を固めた時、これまで黙っていたショウヘイ生平が、SNSをチラと見て、シギリを見た。

「テーマは、全部明かすのか」

 誰からともなく、うめき声が漏れた。

 石を投げられることを恐れはしない。しかし、無駄に怒りを買い、忌避されて、どこにも届かなくなってしまうことは避けたい。ただでさえ、崖に身を乗り出しながら歩いているようなグループだ。

 とはいえ、あまりボカしてしまうと、今度は届くべき場所に届いても、雑音と大差無い。


「今日はその匙加減も探っていこう。どこから踏み込むか、知恵を貸してくれ」

 

 配信開始までの時間の九割を、四人は草案を書き連ねたノートとの格闘に費やした。

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