(2)微妙な親子関係
その日は週末の為、普段帰宅が遅い父親の義継も顔を揃えての夕食となったが、元より寡黙な彼が話題の中心になるわけは無く、専ら後妻である理恵とその子供達の間で会話が弾んでいた。
(一応、先に話をしておかないと、後で色々揉めるかもしれないし、やっぱり言っておくか)
この和やかな空気に水を差しかねないとは思ったものの、父親と義母個別に話すのは二度手間だと考えた千尋は、思い切って義継に声をかけた。
「お父さん、話があるんだけど」
「何だ?」
「来週からボランティアをするつもりなの」
千尋がそう口にした瞬間、義継が箸の動きを止めて娘を軽く睨み付ける。
「ボランティアだと? 就職活動中に、随分と余裕だな」
「あなた。そんな言い方は」
「お母さんが交通事故に巻き込まれて、あと二ヶ月は退院できないのよ。だからその間、お店を開けてくれないかと頼まれたの」
「…………」
「え?」
慌てて取りなそうとした理恵は彼女の台詞に驚き、義継は無言で眉根を寄せた。そして千尋と睨み合う中、微妙な沈黙が漂ったが、それを甲高い声が消し去る。
「お姉ちゃんのお母さん?」
「おねえちゃん、おみせってなんのおみせ?」
千尋が十五の時に義継が再婚した為、理恵から生まれた異母弟妹はまだ小学生と幼稚園児であり、何のわだかまりも無い表情で大好きな異母姉に尋ねてきた。千尋は、それに笑みを浮かべながら答える。
「駄菓子屋よ。そう言っても分かるかな? この辺では見かけないし」
「なんかテレビとかで、見た事はあるよ? 美味しそうな小さいお菓子が、一杯ある所だよね?」
「美味しいかどうかは、食べる人にもよるだろうけどね。今日久しぶりに見て来たけど、狭くてゴチャゴチャしてるわよ?」
「へえぇ、どんな所なんだろう……。行ってみたいなぁ」
「ぼくも!」
興味津々で言い出した子供達を、理恵は慌てて窘めた。
「聡美、健人。千尋さんのご迷惑だから」
「そういう事だから。これまでに貯めてあるバイト代から、今まで通り生活費は出すわ。理恵さん、そういうわけですから、来週から平日は、昼食もお弁当も要らないので」
父親が黙っている間に、必要な事は言ってしまおうと千尋が告げると、理恵は了承しながらも夫の顔色を伺った。
「え、ええ、それは構わないけど……。そういう事情なら、生活費とかも入れなくても」
「入れさせろ。千尋はもう学生ではない。仮にも社会人なら、自分の生活全般に責任を持つべきだ」
「あなた!」
しかし義継が容赦の無い台詞を口にした為、理恵がそれを咎める声を上げたが、千尋はそれを宥めた。
「理恵さん、良いですから。住む場所と食事を提供して貰っているんですから、生活費を出すのは当然です」
「でも……」
「それじゃあ、勝手にやらせて貰います。ごちそうさまでした」
「ああ、勝手にしろ」
そこで手早く食べ終えた千尋は、空になった食器を抱えて立ち上がり、物言いたげな理恵の視線を受けながら台所に向かった。そこで食器を流しに入れた彼女は、そのまま廊下に抜けて二階の自室に向かう。
「ムカついて思わず啖呵切っちゃった手前、しっかり払うしか無いけど……」
高級住宅地の中にある、十分な間取りの家であるからしっかり個室が確保されているのであり、大学を卒業した以上は生活費を家に入れるのは当然だと認識していたものの、千尋は部屋に入るなり真っ先に通帳を確認して、重い溜め息を吐いた。
「今までに貯めておいた分だと、あんまり余裕は無いわね。開店時間が十三時から十八時で中途半端だし、午前中だけバイトを入れるって言うのも、移動時間や準備を考えると厳しいもの」
そんな愚痴っぽい呟きを漏らしたものの、千尋はすぐに腹を括った。
「やっぱりここはボランティアと割り切って、お母さんが退院したらすぐにバイトを再開しつつ、就活に本腰入れよう。うん、決めた」
千尋がそんな決意を呟いていた頃、階下のリビングでは理恵が夫にお茶を出しながら、控え目に苦言を呈していた。
「あなた。千尋さんに、あんな言い方をしなくても良いでしょう?」
「いつまでも学生気分が抜けずに、フラフラしている方が悪い」
「そうは言っても……。その尚子さんがやっている駄菓子屋って、あなたが離婚する時に渡した物でしょう?」
「お前には関係が無い事だ」
「ええ、関係は無いかもしれないけど、尚子さんと離婚した事を後悔しているんじゃない?」
「…………」
紋切り口調で切り捨てられ、内心で腹を立てた理恵が指摘すると、義継が無言で睨み付けてくる。しかし理恵は肩を竦めながら、面と向かって言い返した。
「別にその事を責めているわけでは無いし、勿論嫌みを言っているわけでもないのよ? だけど『離婚した分、千尋をしっかり育てないと』という意欲が空回りして、あなたは彼女に対して普段からかなり言動が厳しいし、要求する内容も無駄に高くなっていると思うわ」
「普通だ」
「良いじゃないの、尚子さんのお店を手伝う位。彼女はちゃんと、これからの事は自分なりに考えている筈で」
「もう休む」
「……おやすみなさい」
議論はもう終わりだと言う気配を醸し出しながら立ち上がった義継を見て、理恵はこれ以上何を言っても無駄だと諦め、無表情で部屋を出て行く夫を見送った。
「時々、当時の尚子さんの気持ちが分かるわね。本当に意固地なんだから」
そして一人リビングに取り残された理恵は、湯飲み茶碗を片付けながら、呆れ気味にそんな事を呟いていた。
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