空手少年もし(異世界で)戦わば

@FLAT-HEAD

01.プロローグ 親友との約束


 1


 夏も近づいてきた6月の夕刻、街はすっかり夕陽の色に染まっていた。

 日が沈めばまだ涼しくなるこの季節、さっきまで体のあちこちに感じていた熱は治まりつつある。

 とある県の市営体育館――その正面玄関の前に立ち、俺はごつい体の男たちがジョイントマットやパイプ椅子などを運ぶのを眺めていた。


(また勝てなかったな……)


 目の前の体育館では、つい先ほどまで空手の大会が行われていた。

 この俺――神代燈真かみしろとうまの成績は4位。準決勝敗退だ。


「燈真、まだ帰らないの?」


 背後から声をかけられ、振り返る。

 そこにいたのは、親友の成島亮なるしまりょうだった。


「亮か……」


「残念だったね。あと1回勝てば、お互い決勝で戦えたのに」


 亮が同情と寂しさの入り混じった表情で目を伏せた。その手には、土台の部分に『中量級・準優勝』と書かれたトロフィーと賞状が握られている。


「決勝で戦うって約束、また守れなくて悪かったな。やっぱ俺の実力じゃ、準決勝までで精一杯みたいだわ」


「そんなことないよ、燈真は強い。今回はたまたま当たった相手が悪かっただけさ。君が準決勝で当たった優勝者の人、僕だって敵わなかったもん」


 亮はそう言ってくれるが、実際のところ俺の実力は県大会ベスト4が関の山だろう。今回も3位決定戦で敗れたし、表彰台に届かないのはいつものことだ。

 万年4位――それがルールのある試合における俺の戦績だった。


「気ぃつかってくれなくてもいいんだよ。俺は別に世界最強の男を目指してるわけじゃないんだから。つーか、なれるとも思ってねえし」


「そんな寂しいこと言わないでよ。僕に空手を教えてくれたのは君じゃないか……」


 そう言いつつ、亮はまた目を伏せて暗い顔をする。

 やれやれ、今じゃ俺よりも強くなったくせに、このウジウジしたところだけはいつまでも直らないな。


 亮との出会いは中学生になったばかりの頃だった。

 こいつは顔立ちこそ中性的なイケメンだが、趣味は漫画やゲームという、いわゆる『オタク』である。そのせいでクラスの不良やチャラ男にイジメられていたのを俺が助け、自分が通っている空手の道場に半ば無理やり連れて行ったのが始まりだ。

 だが入門から3年経った今、亮の実力はすっかり俺を追い抜いてしまっていた。意外にも、こいつには天賦てんぷの才能があったのだ。


「その……お父さんは大丈夫? 優勝できなくて怒られたりしない?」


「親父? ああ、それなら気にしなくても平気だよ。親父は試合と実戦は違うってよく分かってるし。それに、俺が試合より喧嘩のほうが得意ってこともな」


「またそんなこと言って。空手を喧嘩なんかに使っちゃ駄目だよ。いつも師範に言われてるでしょ」


「分かってるよ。俺も先月でもう16にもなったんだから、さすがに素人相手の喧嘩は卒業するって」


 出会いが出会いだっただけに、亮は俺がまた空手を喧嘩に使わないかと心配なようだ。


「だいたいウチは親父のほうがガチの実戦派だからな。ルールのある試合で負けたって文句は言われないんだよ。『男は本当に大事な、いざというときの勝負に勝てばそれでいい』ってさ」


「そうなんだ。そういえば、燈真はどうしてうちの道場に通ってるの? 実家も道場なんだから、お父さんに技を教えてもらえばいいのに」


「ああ、それはだな……」


 そう、何を隠そう俺の家も空手の道場である。『弱いやつは強いやつに何をされても泣き寝入りするしかない。だから自分がやられる側にされないよう強くなれ』というのが持論の親父に、俺は幼い頃から様々な武術を教え込まれてきたのだ。


「ウチの流派は試合じゃ使えないような技が多いんだよ。親父も俺と同じで元々あまり才能なかったからな。空手で勝てない相手には柔道の投げ、柔道で勝てない相手にはムエタイの肘――ってな具合に色んな格闘技を取り入れて、相手の知らない技で実力差をひっくり返すのがコンセプトなんだ。こっちの道場に通ってるのも、近代的なフルコン空手(※ 練習や試合で攻撃を寸止めせず、直接当てる空手)の技を取り入れるためさ」


「そうか、だから燈真はルールのある試合じゃ実力が発揮できないんだね」


「けど、こっちはまだ『スポーツ』で済むからな。家で親父にしごかれるより100倍マシだ。お前もウチの道場に入門しようなんて思うなよ? 稽古の後にはゲームで遊ぶ体力なんて残らないし、疲れて勉強もできないから間違いなく馬鹿になるぞ」


「あはは、そうだね。遠慮しておくよ」


 他愛もない冗談を言いながら2人で笑い合う。

 亮と友達になって以来、俺は空手を教える代わりにこいつからも色々なことを教わった。親父の教育方針で触れさせてもらえなかった漫画やゲームの楽しみ、それにまつわる様々なオタク知識などだ。

 はっきり言って雑学のたぐいだが、俺にとっては珍しい知識ばかりだったし、武術に応用できることだって少なくはなかった。そうやってお互いが持っていないものを与え合ううちに、いつしか俺たちはすっかり親友になっていたのだ。


「次の大会は1年後だな」


「うん」


「それまでにもっと稽古して、次こそは決勝でお前と戦うよ」


「うんっ、約束だよ」


「じゃあ、また明日な」


 お互いに拳を合わせ、振り向いて別々の方向へと帰っていく。

 すでに俺のほうは道場稽古ですら亮に勝てなくなっているのに、あいつはまだ俺に期待してくれている。次の大会ではきっと約束を果たそう。

 俺は決意を新たにすると、その日は家まで走って帰った。


 2


 そして次の日――。

 

(やばい、寝過ごした!)


 前日の試合疲れのためか、俺は起きなければならない時間を盛大に寝過ごしてしまった。

 授業が始まるまであと15分もないのに、学校までは全速力で走っても20分近くはかかる。朝食も摂らずに慌てて家を飛び出したが、このまま普通に走っていても遅刻は確実だ。

 こうなったら非常手段を用いよう。

 俺は通学路の途中で急ブレーキをかけると、方向転換して大通りから住宅街に入った。今からやろうとしているのはかなりリスクの高い方法だが、遅刻しないためにはこれしかない。

 そのまま真っ直ぐに走っていくと、丁字路の突き当たりにガードレールが見えてきた。その向こうには幅4メートルほどのドブ川があり、ここを跳び越えてショートカットすれば学校まで5分は短縮できる。


(よし……行っくぞぉぉ!)


 腕を思い切り振り上げ、川に向かって全力疾走する。

 俺の脚力なら4メートルを跳ぶこと自体はさほど難しくはない。ただ1つ問題があるとすれば、踏み切るときにガードレールが邪魔だということだ。

 もしも踏み切りに失敗すればつまずいて川にドボンだ。ガードレールを乗り越えつつジャンプするためには、それ自体を踏み台にするしかない。俺は覚悟を決め、さらに加速して勢いをつけた。


「せぇぇぇぇぁっ!」


 上手く歩幅を合わせてガードレールの支柱に飛び乗り、気合とともに跳躍する。


(よしっ、タイミングばっちり!)


 自分でも会心の大ジャンプだった。

 これなら余裕で向こう岸に届く。そう思ったとき、対岸のほうから真っ黒な塊が飛んできた。左右に広げられた漆黒の翼と鋭いくちばし――カラスだ。


「うぉっ!?」


 小学校で体育の授業をちゃんと受けた人間なら知ってのとおり、走り幅跳びにおいて跳躍中のフォームはかなり重要な要素だ。カラスを避けるために空中で姿勢を崩してしまった俺は、そのまま川に向けて真っ逆さまに落下した。


「のわぁぁぁっ!」


 これはまずい。自分でジャンプした分を含めれば、水面まではたっぷり4メートルはある。この高さで頭から落ちたりすれば、下が水でも脳震盪のうしんとうを起こして溺れる可能性は十分にある。

 そして――


 ―― どぼん! ―― 


 カラスの羽にも負けないほど黒く濁ったドブ川にまり、俺はそこで意識を失った。

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