徹底的不適合とはお互いにか世界にか
11 出会ってはならない人間ほど出会ってしまう法則は結局後付けの評価であることについて
リア充破砕男は、今のところ二刀流である。これからはわからないが、現時点でなぜ二刀流であるかというと、リア充破砕男の特徴である自信喪失の結果であった。つまり、リア充破砕男は武器を知らない。唯一知っている武器は、スタンガンとナイフの二種類だけである。
しかし全く、自分を守り切れる自信がないので、持てる武器は常に総動員することになる。その結果の二刀流であった。
リア充破砕男は、二刀流なりに進化していた。街中での活動を、リア充の手繋ぎ切断というものからもう少し進めた。進めた結果、それは通り魔と三文字で呼ばれてしまう、個性という観点においては価値が下落したものとなった。
個性という言葉は、近年では絶対善であった。絶対善ということは、対立概念である無個性は絶対悪であった。かなり揉めに揉めた末に解散したアイドルグループがオンリーワンであることの価値を切々と歌い上げたが、その肯定の意図に非オンリーワンを否定する意図を上乗せするような自己主張する人々があった。
そんなわけで、リア充破砕男は無個性な通り魔へと成長を遂げていた。被害者の目で見れば転落人生とも言えるが、リア充破砕男の主観ではこれは成長だった。自分の気に入る方向に考えを改めることを成長と呼んだ元友人がいた不快な記憶があったが、破砕するまでもなく、とうの昔に友人ではなくなっていたので問題はなかった。リア充破砕男が切り捨てた友人の大半は、一般的な価値観においてはリア充破砕男側に非があったが、たまには同情すべき扱いもあった。同情すべき点もあったところで、通り魔に成り下がるのは一般には退歩であった。
リア充破砕男は、職業種別的には無個性であった。通り魔が職業であるとすればだが。
職業種別的に無個性であったため、職業の演出上の個性がせめて必要であった。それはパフォーマンスというカタカナで呼ばれると、なんだかよくわからないなりになんだか凄そうな気がした。それは、意識高い職業におけるコミットやエビデンスという用語であった。それに対して、IT業界にいる作者からは、エビデンスという言葉がなければ業務にならないという反論があった。さらに、意識も高くなければ給料も高くないというオプショナルな反論がそれに付随した。
そして、通り魔という職業の枠に嵌められてしまうという件は諦めるとして、何らかの演出を行おうとリア充破砕男は、その解散グループの歌を口ずさみながら思考した。
(やはり振り付けだろうか……)
解散グループであろうと上手くいっているグループであろうと上手くいっているかに見えて泥沼を内包しているグループであろうと、昨今の芸能人には必ず振付師というのがついているという知識をリア充破砕男は持っていた。
おまけに、人はほぼ外見によって評価されるという趣旨の本を買っていた。ビジネス自己啓発書とは、通常は馬鹿にして買うことはないジャンルの本だが、たまたま買った目的はその内容を腐す気になったからだった。腐すには結論が先行した。なおかつ、腐すには目次だけ見れば十分であった。より本音を言えば題名で十分であった。でありながら、題名以外の本もパラパラとめくる手段によって全ページ目を通したと言えなくもない状況を作り、それはリア充破砕男にとって大変な熟読であった。
そして、リア充破砕男はその本の内容を、そのような熟読によって全否定していた。にもかかわらず、突然その本に従う気になったのは、つまりその本を嘲笑するか、その本の通りに行動する者たちを嘲笑するかの違いだけで、どちらに振れたところで嘲笑できる事実は変わらないため、嘲笑だけを目的としていた彼が、気分によって結論を変えるのは自然な成り行きであった。
そんなわけで、リア充破砕男は、通り魔の際に一定の振り付けを披露する習慣を作った。とはいっても、プロの振付師に依頼する金はない。泥棒のような、インカミングを有する犯行ならまだ払う余地はあった。ところが、通り魔犯罪には一切の収入がないという特徴があった。
なので、この振り付けは、リア充破砕男が独自に考案したものだった。ふだん、創造的な活動を行ったことがない者が、その時点で付け焼き刃で創造を行おうとすると、目も当てられない悲惨なものになるか、そもそも価値も無価値もわからない盲目性に支えられ、意気揚々と創造物を誇示するか、そうでなければ自分が能力がないことを自覚しているという風に、無知の知を誇示するかのどれかであった。
価値も無価値もわからないかどうかについては、通り魔という特殊な世界はともかくとして、小説は誰にでも書けるが漫画はそうではない、というよく知られた誤解が、物語を創造する者を中心に伝達されていた。小説を書く側の解釈としては、書く能力に関しては漫画に比して大変に敷居が低い世界であるが、その価値をわかるための敷居は、漫画に比してずっと高い、というものがあり、その解釈をする者は、多くは小説書きとして極めてポピュラーな信念であるという説を持っていたが、同時にその雌雄を決することは戦争を起こすことであり、得策ではないという、リア充破砕男とは違う判断があった。
とにもかくにも、その振り付けは通行人にとっては不思議な踊りとしか言いようがないものであった。RPGの世界であれば、それは敵にダメージを与えることのできる必殺技のひとつであったが、現実にはそのような効果は一切なかった。単に、奇矯と思われるだけのことであった。
通行人、とはいっても、通り魔の性質上、それは瞬時に傍観者から被害者になる役割を持った人々であった。
被害者が死ぬかどうかは確認していないので、変態撲殺女と同じく、リア充破砕男が殺人鬼であるかどうかはシュレディンガー的であった。
そして、相手にダメージを与える役割がない代わりに、その不思議な踊りは、死者がいるかはともかくとして、生き残った被害者によって伝達された。つまり広告塔の役割を立派に果たしたのである。
その効果により、リア充破砕男の名は少しずつ知れ渡っていった。破砕が破砕であり破壊ではない、とこだわった甲斐も、徐々に見いだされるようになっていった。
そしてその名称は、たとえば変態撲殺女の耳にも入ることになった。
変態撲殺女は、男との経験、つまりはリア充破砕男が憎むような経験を有していたものの、それは変態撲殺女の常態というわけではなく、変態撲殺女の発達しすぎた破滅性がその継続を困難にしていた。
したがって、ある日初めて変態撲殺女はリア充破砕男を目にすることになったが、それは遠巻きに見ているだけであった。被害に遭うのはカップルであり、変態撲殺女はカップルではなかった。
(あれがリア充破砕男か)
それでも、一種のアイドルにも似た、しかしプラスの評価かマイナスの評価かが著しく違う視点で、変態撲殺女はリア充破砕男を目撃したのだった。
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