第78話 深夜子の判断
時間は少し前後する。こちら、本館六階の小宴会場は間もなく二十三時を迎えるところだ。
会場では末席あたりで廃人と化している黒髪、茶髪はともかく。他の影嶋一家の組員たちは酒を交わしながら、何やら相談をしている最中だ。
「へい。それで別館には親会社の仕事で入ってるモンもおりやすから、
「だけどさ、向こうにゃ例の五月雨のお嬢がついてんでしょ? 五月雨に直接手をかけんのはマズくない?」
「いや、五月雨のお嬢さんに手を出す必要はねえさ。
「キャハッ! みんなマジでチョ~ウケるぅ~。でぇ、不知火ちゃんじゃなきゃダメだっつ~オチビちゃんってのがコレぇ?」
数人の幹部とおぼしき連中が不知火を囲んで話をしている。テーブルには深夜子、五月、梅の写真が置いてある。不知火がその中から梅の写真を手に取った。
「キャハハハハッ!! ちょっ! コレ! ガチリアルでマジオニおチビちゃんなんですけどぉ~!?」
「
「ふぅ~ん、へぇ~、タクティクスをねぇ~? キャハッ! まぁ、たまにはぁ、手ごたえある相手もいいかぁ~」
そんな会場のどこかから、影嶋一家を見つめる視線が一つ。もちろん、すでに潜伏中の深夜子である。
何せだだっ広いこの会場。それがパーティションで仕切ってあるわ、あちこちに机やイスが組上げてあるわ、実に隠れ場所が盛りだくさん。ぶっちゃけイージーモードであった。
ただいま侵入当初からの会話をスマホにばっちり録音中だ。もう少しすれば連中の
これは朝日との約束が簡単に果たせそうだ。そう思うと少し気が緩みそうになる深夜子だが、静かにかぶりを振り気を取り直す。
先ほどからやはり気になるのが影嶋不知火の存在。五月から聞いてはいたが、思った以上に厄介そうに感じる。
気配を消したまま、頭の悪そうな格好をしたピンク頭の様子をパーティションの隙間から伺う。あの気配、間違いない。深夜子にとって久々であった。勝てると
さらに五月へ伝えるため、影嶋一家の戦力分析を続ける。部屋には総勢十八名と何故か目が死んでる謎の怪我人が二名。
まずは不知火の側にいる巨体の黒服サングラス。こちらは朝日に色目を使う泥棒蛇女こと蛇内万里、あれと同レベル。驚いたことに半数がAランクMapsに匹敵する腕と思われた。武闘派とは聞いていたが相当な戦力だ。
――ちょうどその間に充分な証拠となりえる内容も録音できていた。我ながらいい仕事だ。帰ったらこっそり朝日の寝顔を見よう。と、深夜子は一人ニヤニヤとする。ちょっとキモいですね。
残すはこの会合のお開きに紛れて退散。それで無事任務完了――――なはずだった。しかし、
「で、最後にこちらが今回のカモ。神崎朝日って坊やですわ」
どこからの手配かはわからない。写りは良くないものだが、間違いなく朝日の顔写真。それがこの場に提示されたのだ。
「ちょっ!? こ、ここここれマジかあああっ!?」
「やっべえ! 上物って次元の超越してんぞ!?」
「あ、あたしこんな坊や初めて見た」
「ふわああああ! こんな子があたいの
当然、場は色めき立つ。それは朝日の美貌なら仕方がない。深夜子も理解していることだ。
しかし、深夜子にとって絶対に聞き逃がすことができない。冷静さを根こそぎ刈り取られる言葉が耳に入ってしまった。
「ねえねえ、この坊や。
――今、なんと言った?
――朝日を……売る?
『男性売買』
この国で起こりうる最悪の男性犯罪の一つである。男性の拉致、誘拐に発端を成す人道に外れた行為。男性を求める外国へ売り渡す場合がほとんどで、恐ろしいほどの高額な金銭や貴金属、果ては資源や兵器までもがトレードされる。
朝日が拉致され海外に売られる可能性? 深夜子の脳裏にその光景がよぎった瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
――まずい!
ほんのわずかな時間で我に返る。殺気を漏らすなどあってはならない。隠密行動で絶対にやってはならないことの一つだ。
自分らしからぬミス。いや大丈夫か。すぐに冷静さは取り戻した。殺気が漏れたのもほんのわずか一瞬のはずだ。これを察知できるとしたら、それは――――思考の
コンマ数秒。反射的に影にしていたパーティションの側から
「――くっ!?」
三つの穴から、ほぼ同時と思えるほどの速度で飛び出てきた、いや
深夜子はそれを辛うじてかわし、そのまま数メートル後ろに飛び跳ね距離を取る。
「キャハハッ! いやぁ~ん。不知火ちゃんたちにノゾキかますとかマジ趣味悪ぅ~い。ちょっと、ちょっとちょっとぉ? どっちらさまですかぁ?」
そんな軽い口調で声が響き、穴の開いたパーティションが蹴り倒された。
ドンっとその上を右足で踏みつけ、右手に持った六尺(約180センチ)ほどの鉄棍を、まるでバトンのように小気味よい音で回転させる。ピンク髪のギャルツインテールに紫リボンのセーラー服姿、
その手に握られた鉄棍はやたらカラフルで、星やハートや蝶柄をデコレートした『ギャル系鉄棍?』とでも聞きたくなる代物であった。右手でバトンのように回された六尺(約180センチ)はあろう
そのまま棍を軽く揺らしながら、不知火は少し並びの悪い歯をちらつかせ、ニヤついた表情を浮かべる。パーティションの上を中ほどまで進み、斜に構えて深夜子を見据えた。
「あっりゃりゃ~ん? その顔ぉ、例の五月雨ンとこの奴じゃね? キャハッ! な、ん、で、ここにいるのかなぁ? 不知火ちゃんチョ~びっくりしちゃったかもぉ~? キャハハッ!」
五月の狙いにどこまで勘づいているのかはわからない。だが、ここはなるべくそれを悟らせないようにするべき場面であろう。ふっ、我ながらちょっと格好いいな。と深夜子は無駄な思考も忘れない。
夜間迷彩柄の戦闘用スーツの腰に手を当て、薄手のグローブをはめた片手で前髪を軽くかきあげる。深夜子はその猛禽類のような眼差しをゆっくりと向け、涼しげに返す。
「んー。えと、道に、迷った?」
はい残念。深夜子なのでこれが精一杯。
――対して、不知火も深夜子を
さらには気配の消し方。
一部は間違っていないものの、変な方向に評価がうなぎ登りである。だからと言って自分たちの圧倒的優位に変わりはない。不知火は余裕の態度を崩さず煽り返す。
「キャハッ! 何それぇ~、ギャグのつもりぃ? チョ~サムいんですけどぉ~。キャハハッ! ま、いっかぁ~わざわざ
「んー。何言ってるかわかんない」
お互い様である。
――深夜子と不知火の微妙な会話を皮切りに、取り巻きたちにも動きが出始める。
『なっ、なんだてめえは?』
『ふざけたこと言いやがって!』
『くそっ、どこから入って来やがった?』
例えばアクション系漫画。取り巻きたちは動揺して、こんな反応を見せるのがテンプレ展開だ。ところが現実はそう甘くない。
「おう、出口をソッコーで固めな」
「「「へい!」」」
「おい、そっちは三人一組でコイツの周りを
「「「へい!」」」
さすがは数ある暴力団の中でも屈指の武闘派。組員たちは
これで深夜子は包囲されてしまうのか? 逃げ道もふさがれてしまうのか? ――それは違う。半コミュ障で空気が読めないのとは別問題。
まず、影嶋不知火。これの相手をまともにすることは論外。最優先すべきは撤退である。よって最も手薄、かつ、最も出口として近い場所を捜索。右手側の奥にある扉と断定。途中の交戦は控えるか迅速に、出口近くまでたどり着ければ強行突破あるのみ。これが深夜子の判断だ。
――取り巻きたちが動き始める直前、深夜子はすでに行動に移っていた。不知火には目もくれず。自分の右手側をふさごうと、集まり始めた組員たちへと向かって駆け出していた。
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