第8話 偲ぶ想いは解けて微かに

「アタシがいまキミに話してあげられるのは、ここまで。判子が増えたらまたおいで、今度はもっと核心に迫る話ができるはずさ」

「それは……予言ですか?」

「いいや。個人的な予感だよ」


 創は台紙にぽん、と判子を押す。それからなめらかな手触りの絵本を一冊、栞に手渡す。孔雀色の装丁は、ここに来たとき手に取ったものだった。


「あげる。キミの導きになるといいけど」

「ありがとうございます」

「あ、そうだ。一つだけ忠告。——『七番目の烏セブンス・クロウ』には気をつけて」


 七番目の烏、とは何だろうか。首をかしげる栞に、創は今はわからなくていいよと笑う。心に留めておくことにして、栞は創へ軽く会釈し、ぱたん、と文芸部のドアを閉じる。教室へ一度引き返そう、そう思ってハンカチで涙をぬぐいながらとぼとぼと廊下を歩く。ふと、顔を上げると遠くから猛ダッシュしてくるなおの姿があった。


「栞ちゃーーーーんっ!」

「わ、わ、わ!?」


 どーん、と抱きつかれ、バランスを崩して倒れこむ。むにゅりと柔らかな体に押しつぶされ、視界がなおの豊満な胸で埋め尽くされた。


「むぐ、うぅ。あの……なお? おっぱいが」

「あ、ごめん!」


 栞の顔に押し当てている胸をどかすべく、なおはよいしょ、と掛け声とともに起き上がる。たゆん、と制服越しでも揺れたのがわかるそれを見ながら、栞は己の扁平な胸に視線をやり、少し悲しげに眉根を寄せた。それを知ってか知らずか、なおは栞にもう一度抱きつき直して、ビイビイと泣き喚く。


「聞いてよ栞ちゃん! すごい、すごい嫌な奴に会ったんだよぅ……」

「よしよし、そりゃ災難でしたね。うちの生徒です?」

「うん……五位鷺千蔭、って名乗ってた。ほんっとむかつくイケメンだったんだよー!」

「イケメンだったんですね」

「大事なことだからね!」


 そういえばなおは面食いでした、と栞は呆れた顔をする。ひとしきりなおの頭を撫で、泣き止むのを待って教室へと戻る。夕暮れの校舎は2人の影を長く伸ばす。他愛もない話をしながら、ぱたぱたと歩く音が、校舎に反響する。帰宅したり、部活動をする生徒は大半が教室からいなくなっている。空の教室を眺めながら、一番端まで辿り着き。そして、1年A組の教室の扉の前。もたれかかる男を、栞は知っている。


「待ちくたびれたぞ、白鳥栞」

「——斑鳩、篩」


 くい、と銀色のフレームを中指で押し上げ、生徒会副会長の腕章をした男は不遜に笑った。さも旧友に会ったと言わんばかりに親しげな声音だった。


「判子集めは順調なようだな」

「ええ、おかげさまで。……何の用ですか。わたしに判子くれる気にでもなりやがりました?」

「ははは、面白い冗談だ。条件無しにお前を最高位に認めろと? ついに白鳥家は耄碌したか」

「なっ——!」


 カッ、と頭に血が上るのがわかる。家のことが好きか嫌いかといえばあまり好きでは無いが、それでも己の血筋をバカにするような物言いは看過できなかった。栞がぎり、と奥歯を噛みしめるのを見て、篩は愉しそうにくつくつと笑ってみせる。なおがはわはわと慌てて、栞の後ろにぴったりとくっつく。


「お前の資質に関しては、不問にしておいてやろう。が、姿勢と意志に関してはきちんと確認しなければ、とてもお前に一族の長など任せられん」

「何様のつもりですか、あなた」

「斑鳩の者だが? 最高位を目指すのは何も、烏丸と白鳥だけじゃ無い。僕たちも、そこの雨燕も、夜鷹も。最高位を目指す権利があると、お前は本当に理解しているか」

「あなたに言われなくたって、わかってます! 屁理屈や意地悪言ってないで、とっとと本題に入りやがっていただけねーですかね」


 ぎゃんぎゃんと噛み付く栞のようすを堪能したのか、ひとしきり笑い終えてから、ようやく篩は真剣な顔で1年A組の教室を指し示す。


「入れ、白鳥。中にいる言詠が、斑鳩の最高位候補だ」

「えっ。あなたじゃ、ないんですか……?」


 ぱちくり、目を丸くすると、篩は小さく首肯した。


「ああ。僕は戦闘向きではなくてな」

 意外だ、という面持ちのまま扉に手をかけ、足を踏み入れようとしたとき、背中にくっついていたなおが引き剥がされる感覚があった。振り返れば、なおが篩に首根っこを捕まれていた。


「……お前は外にいろよ雨燕。これ以上白鳥に協力するなら僕の方から管理役に報告するが」

「ううう……。栞ちゃん、気をつけてね」

「大丈夫ですよ、へいちゃらです」


 心配するなおを元気づけるように、にっ、と笑う。扉に手をかけようとすると、


「待て」


 篩が後ろから声をかけてきた。振り返り、思い切り嫌そうな顔をしてみるも、副会長に精神的なダメージを与えられてはいないようだった。


「なんですか、まだ用ですか?」

「……一つ、お前に渡すものがある。僕からではないが、受け取れ」


 点と線が記された、メモサイズの付箋だった。端の方に小さく、"中敷きに"と書いてある。それからもう一行書かれた伝言を読む。どこかで見たような筆跡だと思いながら、篩の方をじっと見つめる。にやにやと笑っている副会長を横目に、栞は上履きを脱いでそれを中敷きに貼り付けた。

 息を吸い込んで、ゆっくりと吐く。栞は教室の扉をがらりと開いた。己の机に置き忘れた鞄を肩にかけ、あらためて斑鳩の後継者に目を向ける。

 栞よりも背の小さな少女が、教卓の上に座っていた。篩以上の曲者が現れると思いきや、見た目は普通の生徒に見える。変わったところといえば、セーラー服の下に黒いタートルネックの長袖シャツを着ていることくらいか。虹彩のペリドットがぎらぎらと輝いて、栞の事を観察するようにじっ、と見つめている。そうしてなんの表情も浮かべないまま、少女は冷たい声で言い放った。


「高等部2年、斑鳩偲よ。初めましてね、白鳥さん」


 すとん、と机から降りたって、スカートの裾をつまんで優雅に一礼をする。


「ええと、あなたが……斑鳩の後継者?」

「そう。そしてあなたの敵」


 穏便に事を済ませられないか。そう期待していた栞の思惑を打ち砕くように、偲の口調は刺々しい。


「敵だなんて……! 言詠は皆、手を取り合って協力するべきじゃねーんですか?」


 判を得るに連れて、栞は徐々にその考えを深めつつあった。家族のため、かつての約束のためだけではなく、困っている誰かのためになるのなら、栞はその為に頑張りたいと願っていた。そうした協力を深める為に必要な頂点、それが最高位だと、漠然と思っている。だからこそ他の家の後継者と必要以上に争う事をしたくなかった。


「……甘ったれないで」


 けれど、栞の言葉を、偲は跳ね除ける。ふん、と鼻を鳴らして、感情のこもらない視線が栞を射抜く。


「まあ、いいわ。傍観者が久々に物語に関わろうと思ったのだから、相手してちょうだいよ。白鳥さん?」


 パキパキと指を鳴らして、瞬間、獰猛な色がペリドットをよぎる。


「話し合っても、わかりあえないですか。戦わずに済む道があるなら、それが一番じゃねーですか」

「無駄よ、説得しても。私は、最高位になる。それ以外に道が無いの。それにこの儀は『力を持って最優を示す』ためにあるものでしょう」


 すとん、と教卓から降り立って、最高位候補しのぶはもう一人の最高位候補しおりへと歩み寄る。圧倒されまい、と握るこぶしに力を込めた。


「力のない貴方に、果たして最優が示せるかしら」

「……やってみなきゃ、わかんねーです」


 強く、偲を見据える。視線が交錯し、しばらくののち、すっと姿勢を正し、左足を前に出して構えをとった。


「構えなさい」

「わたし、武器なんて使えません」

「なら、一方的に弄ぶだけね」


 ひゅっ、と素早い蹴りが風となって、栞の髪の毛を揺らしていった。唖然とする間に、次の衝撃が襲い来る。間一髪で避けながら、机と椅子を盾に、緑色に煌めく軌跡をかわす。


(言語は言語でも、肉体言語だなんて聞いてませんよッ!?)


 斑鳩篩が己を戦闘向きではないと称した理由がようやくわかった。偲はきらきらと魔力を脚部へと練り上げて送り込んでいるようだ。下肢が瞳と同じ色に染まり、三発目がくる。


「『そびえる壁は高く天まで』ッ」


 反射的に栞は透明な魔術防御壁を編み上げて、後ろへ大きく飛び退った。孔雀色の目を見開きながら、圧倒的に不利な戦いだと、背筋に寒いものがはしるのを感じとる。こんなの、あの人をそばに近づけたら終わりだ--。直感的に栞は悟っていた。この距離を保ったまま、防御壁を編んで編んで、接近される前に片をつけなければ。

 理解していても、偲の攻撃は疾風怒濤。小柄な体を活かし、次から次へと透明な魔術壁に蹴りが入る。

 ガラス板のような硬質な反発を物ともせず、偲は回し蹴りを食らわせて、一点突破を目指して脚を飾る紋様を煌めかせている。


「『発火ファイア!』」


 咆哮に次ぐ咆哮。その度にぎらりとペリドットの瞳が光る。魔力量はおそらく互角。違うとするならば扱う言葉の系統のみ。まさか本当に肉体言語というわけではあるまい。


(この人はいったい、何が専門の魔術師なんです……!?)


 ぱき、ぱきぱき、と防御のための壁にひびが入る。割れる、と思った時にはもう、栞はその後ろに隠れることをやめていた。すばやく脇へと転がって、魔術を編む。パリン、と粉々に砕け散る魔力の向こうで、栞は素早く口ずさむ。


「『蝶よ舞え、蜂よ刺せ』」


 ペリドットの視線が射抜く中、短く歌を歌う。蜂や蝶々、そういったものを目くらましに逃げようとしても、次から次へと蹴り壊されてしまう。更なる追撃が来る前に、栞はなんとか俯いたままで歌ってみせる。


「『繰り返しリピート』!」


 少しだけ偲の反応が鈍かったのは、気のせいだろうか。軋む体を叱咤して立ち上がれば、偲は煩わしそうに魔術を蹴りでかき消している。それでも諦めずに、偲から逃げながらもう一度だけ歌ってみる。


「『もう一度リフレイン』ッ!」


 偲の視界の外で魔術を行使すれば、明らかな狼狽が見て取れた。もしかして、そう栞が考えたと同時に、バキッ、と蹴りで壁がめり込む音がする。あと数cmずれていたら、腹部に直撃していたことを考えて冷や汗が噴き出した。


「……惜しい」


 冷静に呟く偲から逃れるべく、慌てて栞は踵とつま先ををすばやく打ち鳴らす。

 とととんとと、と、とと。

 上履きの裏側に貼り付けた呪符が発動する。


「『跳んで』ッ!」


 渡された付箋に書かれていたのはモールス符号だった。あらかじめ意味の込められている文字列ならば、わざわざ歌わずとも発動できる。呪符に込められた魔力が少ないので一回きりしか使えない奥の手だが、無いよりはマシだと貼っていてよかった。これを作成した人物が気になるが、今はそれどころではない。教室の天井を蹴ってすばやく身を翻しながら偲の背後を取り、ポケットに入ったままのカニを模したハサミを持ち出し、歌う。


「『私の代わりに切り裂いて』」


 勢いをつけて偲の背後へハサミが飛んでいく。反応が遅れたものの、気配を感じ取って相対する少女はそれを蹴り落とす。が、ハサミに触れたところから、履いていたタイツがびりびりと切り裂かれていく。下から現れたのは、瞳と同じくペリドットに光る、夥しいほどの紋様だった。


「っ……!」


 どうやら脚部が光って見えたのは、この紋様に魔力を流し込んでいたからのようだった。おそらくこの紋様に魔術的意図が込められているのだろう。漸くその正体に少し近づいたような気がして、栞の動悸が少しだけおさまった。秘密を暴かれた偲は、肩で息をして倒れこみそうな栞に追撃することもなく、耳を押さえて愕然とした表情を浮かべていた。半ば不時着に近い形で床に手をついてしゃがみこむ栞は、荒い息を整えて、かねてからの疑問を偲に尋ねる。


「もしかしてあなた、耳が……聞こえないです?」


 唇が偲から見えない位置で発動した魔術に関して、偲の反応はわずかに低下していた。確かめるようにして使った魔術のときもまた、同じ。訝しむように尋ねれば、偲はふふふ、と笑い始める。


「同情はいらないわ。……そう。この耳は聞こえない。貴女の言葉は、私には届かない」


 しん、と空間が静まり返る。導き出した答えは正解で、だからこそ栞は、彼女へ対しての言葉をすぐに紡ぐことができなかった。耳の聞こえない言詠というだけで、その苦労を察するには余りある。いくら読唇術を使えるからといって、それはあまりのハンデであることは容易に理解できる。言葉に限らず文字を行使できるからとはいえ、偲が行ってきた魔術的鍛錬は並ならない努力の元に成り立つはずだ。その証であろう煌々と輝く四肢の光を少しだけ弱めて、偲は自嘲的な笑みを浮かべる。


「正解したご褒美に、私の事情を教えてあげる。……差羽創にはもう会ったんでしょう? なら、アトリの話は知ってるわね」


 告げられ、脳裏にライムグリーンのインクが浮かぶ。自由を夢見る未来のない群れ、そしてその統率者。眼前の小さな少女が、その鳥と重なった。


「……まさか、あなたが最高位になりたいのは」

「そのまさかよ」


 冷徹に言い放って、偲は奥歯を噛み締めた。拳を握り、だん、と机に振り下ろす。みしりと音を立てて、天板が少しへこんだ。


「斑鳩は間違っている。でも、間違いを否定して私が責務を投げ出したとして、他の"アトリ"が生まれるだけ。だから、私があとりになるしかないの。そしてそれを証明するには、最高位になるしかない」


 吐き捨てるように少女は続ける。


「斑鳩あとりはね、斑鳩家で唯一最高位になった人なの。優秀な血筋の烏丸かのじょ白鳥あなたではない私たちの中で、一族を束ねたことがあるのは彼女あとり一人だけ。……私がそうなれば、頑なな大人達も二度とあの地獄アトリの群れを再現しようだなんて思わないでしょう」


 キッ、と睨まれる。意志の強い瞳はけれど、どこか寂しげに見える。その理由を栞はもうわかっていた。既に、彼女の物語を栞は知っている。


「そんなの……あなたが可哀想じゃないですか」


 伝えなければ。思ったときには口が勝手に動いていた。群れるアトリの物語、それが彼女の呪縛なら。少しでもそれを解けやしないか、そう考えずにはいられなかった。


「貴方に可哀想と思われる筋合いはないわ」

「それでも! 自分を、大事にしなきゃだめです……ッ! そんなぼろぼろになって、そんなに傷ついて、そんなの、辛いばかりじゃないですか……」

「……貴方が、それをいうの?」


 尋ねられ、栞は瞬間、黙り込む。境遇の似たような雛鳥だと、彼女に同情しているのかもしれない。ひょっとしたら、この言葉は、自分自身にかけて欲しかった言葉なのかもしれない。けれど、と栞は偲を見つめる。目の前の誰かの苦しみを、少しでも辛くないようにできるなら、いくらでもそのために言葉を紡げる。そんな気持ちで、栞は最高位候補に向き直った。


「言います。……わたしは、あなたに幸せになってほしいと思います。だから、あなたを最高位にするわけにはいかねーです」


 その称号は、あなたの本当のさいわいのためにはならないでしょう。栞は寂しげに微笑む。歌うようなその言い回しに不快感を露わにして、


「どこまでお人好しなの……!」


 瞬間的に加速した、偲が勢いに任せて飛び込んでくる。全力の一撃、鋭い蹴りは錐を思わせる。ギラギラと脚が煌めいて、眩しさで目を開けていられない。


「まるで、綺麗事!」


 叫ぶ声は悲鳴にも似ていた。衝撃が来る。偲の体が間近に迫る。一瞬何かの影が栞の前に躍り出たが、諸共に貫く覚悟で偲は叫ぶ。


「『発火ファイア!』」


 ガキィ、ンッ!

 硬質な音が響く。衝撃で床がめくれ上がり、辺りに飛び散った。粉々になった木の板が飛び散って、煙幕のように視界が悪くなる。これで確かに矜持ごと貫いたはずだと、着地した偲はぜい、はあ、と息を荒くしてしゃがみこむ。これでもう立ち上がれまいと、煙の向こうに倒れているはずの最高位候補を確認しようとして、偲はそこに人影がいることに気が付いた。


「嘘……?」


 スカートに纏わりついた木屑を手で払いながら、煌めく瞳のままに立っている少女は、確かに白鳥栞だった。右手に分厚い辞書を持ち、よいしょと横に倒れていた勉強机を立て直す。


「確かに綺麗事かもしれないですけど……何もできないよりは、ちょっとはマシです」


 思い切り抉れて、穴の空いた国語辞典を教室の角に放り投げて、栞はゆらり、偲の方へ歩み寄る。ボロボロになったスカートの裾が、確かに衝撃を受けたことを物語っている。スカートからのぞく脚は痣だらけだった。孔雀色の瞳が、きらきらと煌めいたまま、偲のことを見つめていた。


「……まだ戦えるわ」


 身構えるも、偲の体はすぐにでも崩折れそうなくらいに震えていた。さっきの蹴りに、全魔力を注ぎ込んだことによる反動が、呼吸の自由すらも奪い始めていた。危ない、と栞が駆け寄ろうとして、その前に偲を支える影があった。


「いや、そこまでだ」


 がくり、とバランスを崩した偲のことをやすやすと受け止めて、少年は栞に向き直った。身動ぐ偲の動きを封じ込めながら、腕の中に居る少女を宥めた。


「お前の負けだ、偲」

「篩……!」


 ぎっ、と睨みつけられても動じることなく、冷淡なまま篩は偲へ告げる。


「そんな覚悟で最高位を目指すなと、前にも僕は忠告したはずだ。――もう休め、偲」


 言われ、口を噤んだ偲はどこか安堵した表情で、ゆっくりと目を閉じる。すや、すや。数秒もしないうちに寝息が聞こえ始め、虚勢だけで体を支えていた栞は自分の机にもたれかかる。


「あ、あぶねー……ところでした……!」


 あと一撃食らっていたら、確実に負けていた。というより、再起不能待った無しだろう。投げつけた国語辞典に身代わりにダメージを食らわせ、机と魔術防御壁で防ぐのが間に合わなかったら、こんな軽傷ではすまなかっただろう。


「ギリギリ及第点というところだが、まあ、いいだろう。お前の意志は理解した。受け取れ、白鳥よ。これが斑鳩家の承認判だ」

「斑鳩、篩……」


 判子を投げてよこして来るのをキャッチして、栞は台紙に印を押す。小脇に抱えた偲を背中に背負い直して、男はにんまりと笑った。


「僕のことは親しみを込めて篩先輩と呼んでくれて構わないが」

「呼ばねーです」


 ぴしゃり、と跳ね除けられて、やはり楽しそうにくつくつと喉を鳴らす。理解できないと栞が眉間にしわを寄せながら嫌そうな顔をすると、打って変わって篩は真面目な顔をする。


「……残るは三つ、そうだな?」

「はい」


 問われ、頷けば篩は優しげな笑みを浮かべる。栞の手から判を受け取って、偲を背負ったまま踵を返す。


「生徒会長からの言伝だ。"あと一つ判を手に入れたら、貴女と戦いますわ"……だそうだ」


 せいぜい励めよ、最高位候補どの。そう言い残して、生徒会副会長はがらがらと教室の扉を開いて、閉じる。

 はぁ、とため息をついて、脱力したまま壁伝いに座り込む。謎の圧力から解放された栞は、残る力を振り絞り、中敷きからメモを取り出して、その文字をもう一度眼で追う。

 “斑鳩偲の魔力は無尽蔵じゃない。粘ったもん勝ちだ”

 この筆跡、やっぱりどこかで見たことあるんですよね。呟く栞のもとに、なおが駆け寄って来る。そのまま、疲労から栞は意識を夢の世界へと溶け込ませた。






「……いい加減、動かなくちゃ……かな」


 夕焼けに染まる校舎の空き教室で、机に座る少年は愉しげに笑う。


「早く会いたいな。ね、ちーもそう思うでしょ」

「あのな、遊びじゃないんだぞ」

「ちーだって楽しんでるくせに」

「うるせ。……ほら、下ごしらえを続けるぞ」

「うん。綿密に罠を張らないとね」


 くすくす、と少年達は笑い続ける。不穏に反響する声は次第に消え、かあかあと鳴く声が後に反響していた。

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