『本の栞』は星に祈りを
牧野ちえみ
第1話 巣立ちは突然に(改)
「その子はあまりにも出来損ないです」
誰に向けられた言葉なのか、それをうまく思い出すことはできなかった。けれど、それはナイフのようにざくりと刺さり、深い傷口となって今も心の奥でジクジクと痛む。
「劣っているということは、みにくいという事」
その言葉に、これが祖母の声だとようやく理解する。優秀であれば美しく、劣等であれば醜い。刻み込まれた価値観が、今日も夢の中で少女を苛む。それはいつしか読んだことのある童話。みにくさ故に群れを追い出される雛の物語。
少女は想った。このまま出て行ってしまいたいと。
少女は想った。そんなことはどうせ、できやしないと。
「そんな出来損ないの鳥など、この白鳥家には要りません」
祖母の言葉は少女にとって絶対的な尺度だった。自分で生きていく力のない幼い鳥は、鳥籠から追い出されたら死んでしまう。だから少女は死に物狂いで努力して、その檻の中に居続けなければならなかった。たとえ、その鳥籠の居心地が悪く、心を殺して暮らすような場所だったとしても。
ああ、けれど。少女は確かにその言葉を耳にした。
“いつか君を自由にしてあげる”
誰かが言った、その希望の言葉を。それだけが支え、それだけが全て。
だから少女は想ったのだ。--あの子のためなら、なんでもしてあげようと。
桜の花がゆっくりと蕾であることをやめようとし始めた、それは四月のはじまり。
いつもよりも遅く咲く桜の花を見つつ、柔らかな長い髪をなびかせながら、少女は通学路をぼんやりと歩いていた。歩く姿はどこか物憂げで、春の麗らかな陽気には似つかわしくない。幼い顔立ちに似合わない表情がアンバランスで、時折男子生徒が彼女の姿をちらりちらりと目で追っているのが確認できる。そんな視線に全く気づくそぶりなく、女生徒は黙々と坂道を下っていた。
少女――白鳥栞は日本人離れした薄茶色の髪を、緑のリボンでまとめている。紺色のセーラー服に真っ赤なスカーフを巻くタイプの洗練された制服を身に纏い、ローファーを履いた足でコンクリートを踏みつけていく。今日もそんないつもとかわらぬ格好で、ゆるやかな道を歩んでいく。
そんな彼女の後方から、勢いをつけて走ってくる人影が一人。だだだだだ、と音を立てて、スカートがめくれるのを特に気にすることもなく、栞へと飛びついた。
「栞ちゃん、おっはよー!」
「ぎゃぁあああああああああ!?」
思い切りバランスを崩して前のめりになったところをなんとか踏ん張って、両腕をぐるぐると振り回して体勢を立て直す。はー、はー、と息を吐いて、きっ、と鋭い眼差しになる。栞は後ろから抱き着いている少女の方へと向き直った。
「なお! 今度やったらただじゃおかねーって言いましたよね、わたし!」
「いやー、栞ちゃんが今日もおセンチな顔して歩いてるから励ましたくて」
「凹んでませんし元よりこういうツラです!」
へらへらといった調子で笑ってみせた少女の名前は雨燕なお。長い髪をポニーテールにして、赤いリボンで結わいて、今日も悪戯っぽくにんまりと口をゆがめている彼女は栞の級友だ。栞となおが出会ったのは中学三年の時であり、それ以来なんとなしに一緒に居る間柄だ。もちろん、ただ仲がいいからそばにいるわけではない。彼女たちの共通する秘密が二人をそうさせていた。
白鳥栞はとある一族の血を引く少女であり、形だけではあるもののその一族の頂点に立っている。言詠という名前のとある一族は、この世の神秘、秘蹟に触れた稀なる血族――いわゆる魔術師の家系というものだ。彼女もその神秘を扱うことが出来る魔術師ではあるのだが、まだまだヒヨっこ扱いを受けている。そんなヒヨっこ仲間の一人がなおというわけだ。ただ、魔術を扱えるといえども基本的には通常の高校生。平凡な学園には平凡に、魔術に関係なく通うというのが言詠達の方針のようだった。
きゃんきゃんと喚きたてる声を響かせながら、少女たちは今日も学び舎へと向かう。エントランスには風紀委員が挨拶当番のために「おはようございます」を延々と言い続けている。軽く彼らに会釈した栞は靴を履き替え、下駄箱を抜け、そのまま廊下の奥へと進んでいく。
1年A組の教室の位置は校舎一階の一番奥と、外の風景を眺めるには少々退屈な位置にある。楽しめる情景といえばせいぜいグラウンドを走り回る他の学年を見るくらいだろう。名表と席順を確認した栞は、はしゃぎながら自分の机に座ったなおを横目に鞄を自分の机の上に置いた。席は窓際、後ろから三番目というなんとも絶妙な位置どりだった。小さくガッツポーズをして、無言で席に着く。
十分ほどなおと他愛もない雑談をしていると、担任教師が扉を開いて教壇へあがる。男性教諭の耳触りのいい声で新学期のガイダンスが行われる。高校一年生になるにあたっての注意事項という名のお説教をぼんやりと聞き流しながら、栞は自分に課せられた仕事をもう一度確認しなおしていた。
手帳を開き、六月のページの一番最後、“最終期限”と書かれた文字を指でなぞる。残り三ヶ月もない期間で、彼女は他家からの信任を得なければならなかった。早い話が判子集め――スタンプラリーである。もっとも、こんなふざけた呼び方をしていることが栞の祖母にバレたなら、大目玉を食らうこと間違い無しなのではあるのだが。
“詠歌十家”と呼ばれる彼らは、栞が彼らの頂点に立つことを良しとしない人々ばかりであった。そのため、栞は自分が詠歌十家の最高位(プリンシパル)に相応しいということを、六月の末――少女が十六の誕生日を迎えるその時までに、各家の当主たちへと説得する必要があった。それが、栞に課せられた義務であり、やらなければならない任務でもあった。“詠歌十家”の大人たちは、栞--正確には白鳥家だが--に対してこう告げてきた。「各家の最高位候補に、白鳥家の最高位候補と同じ試練を貸す。各家の中でいち早く承認判を集め終わったものを時期最高位とする」と。要するに栞は舐められているのだった。最高位の器ではないと、婉曲に他家の大人たちからその座を譲れと脅されているようなものだった。
栞とて好きで最高位の称号(暫定だが)を手に入れたわけではないのだが、「それを説明して納得するくらいならはじめからこんな手は打ってこない」とは栞の祖母の弁である。
(説得、と言っても。普通の説得じゃ聞き耳持たない連中ばかり、でしょうし……)
はあ、と深く溜息をつく。配られた時間割に目を通しながら、栞はしばらく忙しくなるだろう自分の未来を憂いた。素直に調印してくれる連中ばかりではないだろうから、実力行使に出る必要がでてくるだろう。
ただ、幸いというか偶然にもというか、詠歌十家の各当主達は、ほとんどがこの星謳学園に自らの子供達を通わせている。子を説き伏せれば、親を説得する事だってできるだろう。逆に言えばその子供連中がよってたかって栞を襲ってくる可能性も否定は出来ない。どうせ“説得(魔術)”のような状況になるのが容易に予測できる。本来安心できるはずの学び舎においても、緊張の糸を緩めることはできないのだろう。そんな思いから、栞は机につっぷした。
「うう……ただいまです……」
門をくぐり、塀に囲まれた古風な家へと入り、鍵を開けて玄関へ進む。革靴を脱ぎ、急いで自室まで戻ろうとしたとき、
「おかえりなさい、栞さん」
「げっ、つ、綴ばあさま。いたんですか、てっきり外出中かと」
祖母――白鳥綴の威圧的な声がした。思わず嫌そうな顔をすると、綴は朗らかな表情のまま立ち去ろうとして、栞に背中を見せたまま、嘲るように呟く。
「その喋り方、その見た目、いつ見ても不快だわ。どうしてもう少し私の言うことが聞けないの」
「……わたし、おばあさまの駒じゃねーですし……」
「口答えをしたいなら、言詠最高位の称号を確固たるものにしてからにして頂戴。白
鳥の後継者としての自覚をしっかり持ちなさい、栞さん」
ぴしゃり、と綴の部屋へ続く戸を閉じられ、栞は呆然と立ち尽くしていた。友人といるときのふわふわとした気持ちで、祖母に相対したのがよくなかった。泣きそうになるのを堪えながら、栞は自分の部屋へと逃げるように飛び込んだ。ぬいぐるみや参考書、魔術道具が数多置かれた部屋の中。物質的には満たされていても、精神的には空虚な少女の心を埋める家族は、この家には居なかった。
両親は五年前から原因不明の植物状態だ。正確に言えば、“五年前から眠り続けている”。なぜそうなってしまったのか。その理由を考えるものの――昔のことを思い出そうとすると、激しい頭痛に襲われてうまく思い出せない。確か、病気、呪い、様々な憶測が言詠たちの間で囁かれたが、結局誰もわからなかったという話だったと栞はおぼろげに記憶していた。
とにかく、最高位を継承したばかりの白鳥昴が謎の眠りについてしまったが故に、あらゆる言詠たちは恐れ慄いた。彼らの信奉する神--“星の女神”は生真面目で、義務を果たさない者が一人でも存在すれば連帯責任で一族に災禍が襲うという。ここでいう義務とは、最高位の称号を一つの言詠の家が五年間続けるという話だ。その家が他家を率い、問題が生じたときは率先してそれに対処する。それが最高位の責務だった。言い伝えに怯えた彼らは栞を無理やり最高位代理として担ぎ上げ、当面の問題を先送りにした。
最高位を目指す、それはいい。だが栞の心が安らぐ場所はこの家にはない。長年愛用している抱き枕をぎゅうと抱きしめても、胸のうちにわだかまる不安感を拭い去ることはできない。できることなら、早いところこの家から逃げてしまいたい。わかっていても、実行の機を見つけることが出来ないのが、いまの栞の現状だった。
両親の姿はもう、一年ほど見ていない。使用人が毎日世話をしているそうだから、姿を見たところで少女に出来ることは何もなかった。それに、眠っている姿を見ると、すがり付いて甘えたくなってしまう。一人でもやっていかなければいけない。だから、泣いている場合じゃないのに、涙が溢れてとまらない。このまま祖母と二人きりで過ごして、今日のように扱われていると、いつか本当に捨てられてしまうのじゃないか。そんな漠然とした恐怖が栞の心を常に苛んでいる。
そんな状態ではあるが、栞は何があったとしても言詠最高位(プリンシパル)を目指すつもりだった。そう誓った理由はいくつかある。その理由のためにも、そしてその理由があるから、栞はギリギリのラインで踏みとどまれている。けれど、それももう限界が近づいているような気がしていた。栞は目をぎゅっとつむる。降り積もる苦しみから逃れるよう、栞は今日もぬいぐるみを抱えて横になる。けれど、何分、何時間経ったところで全く眠気が訪れない。うまく眠れない、と目の下にクマを作りながら、栞は布団からゆっくりと体を起こす。何故だか体がぴりぴりとしている。試練に対して緊張しているのだろうか。
「……もう、いっそ寝ないほうがいいんじゃねーですかね、コレ」
ネグリジェ姿のまま、そっと部屋を出る。こうなったら自棄だ、と家をこっそり抜け出して、スニーカーを突っかけて当て所なく彷徨い始める。夜道は薄暗く、路地裏には人気がない。春の夜のどこかぬるい空気が栞の肌にまとわりつく。しばらくうろうろと人気のないほうへ向かうように歩いていると、ひらり、舞い落ちるものがある。手に取ればそれは桜の花びらだった。桜にはある想い出がある。それを思い出して自然と笑みがこぼれた。誘われるように桜の花びらの方へと歩みを進めていくと、ふいに視界が開ける。
(こんなところに、河原なんてあったんですね)
空には満月、河原沿いには散りかけの桜。風情を感じさせる河原に、真夜中だというのに人影があった。お猪口を手にした、無精ひげを生やした男だった。ぼろっとしたジャンパーを纏ってはいるが、ホームレスという割にはところどころ小綺麗だ。少しずつ近寄って言って、じっと、男を観察していると、彼は栞の視線と足音に気が付いたのだろう。きっと、少女の方に鋭い視線を向ける。
「――誰だ?」
「わ、わー、すみませんっ! 怪しい者じゃなくてですね」
ネグリジェ姿のまま慌てて言い訳をすれば、相手が少女だとわかって安心したのか、男は警戒心を解いたようだ。驚かせたことをわびようと近くに寄れば、今度は男の方が慌て始めた。どこかで、見たことのあるような顔だった。
「おいおいお嬢ちゃん!? 危ないぜ、こんな時間にそんな格好で。……まあ、なんだ。茶でも飲むか」
透明なボトルにいれられた緑茶を投げ渡され、どうにかうまいことキャッチする。お茶を片手に男の近くへ腰掛けると、ばさりとジャンパーを投げて寄越される。羽織れということらしい。桜色のネグリジェの上にカーキ色の上着を羽織ると、見た目の心もとなさはなくなった。ほっとした顔の男は手にした日本酒をぐいと煽ってみせる。
「いい月に、いい桜と来たもんだ。酒の一杯飲みたくなってね」
つられてぐび、と緑茶を飲んでみれば、なかなかどうして体に浸透する美味しさだった。水がいいのだろう。お茶を飲んでから、見知らぬ人から飲食物を受け取ってしまったことに気付いて、栞は「あ」と凍り付いた。
「見知らぬ人からお茶をもらって飲んじまいました」
疲れているからといって迂闊な行いをしてしまったことを反省して遠い目をする。と、男は素っ頓狂な声をあげる。
「見知らぬ人? そんなことないさ、白鳥栞ちゃん」
名前を呼ばれ、栞は硬直した。
「……なぜ私の名前を? 新手のナンパです? それとも誘拐を目論む不審者?」
警戒するように少しだけ後ずされば、男は破顔する。
「あれ、知らなかったか? 俺、お前の母親の弟。つまりは叔父にあたるんだけど」
「……はい!?」
最後に会ったであろう五年前の記憶はほとんどおぼろげで、親類縁者の顔はだいたい覚えていない。それに、叔父と名乗る眼前の男とはたしか会う機会がなかったと思う。けれど、名前だけは知っている。たしか名字は、お母さんの旧姓は、宇宙(そら)に羽ばたいていった鳥の名前――。
「夜鷹だよ、夜鷹譲」
にかり、とこちらを安心させるような笑みだった。そうだ、夜鷹譲。そんな名前だった。栞は少しだけ安心した。血縁だからといって、すぐに信用してしまうのは問題かもしれない。けれどその笑みは、想い出にある母親の笑顔と、一緒だったから。
「……それにしても偶然ですね、こんなところで親類縁者に会うとは」
「そういう日もあるだろうさ。まあ、たまたまにしても姪っ子に会えるとは、俺としては嬉しいがね」
ポン、と頭に手を乗せられる。なでなで、と大きな手のひらが優しく少女を宥めた。母の弟。とすれば、彼は知っているのだろう。自分の姉が昏睡状態から回復しないことも、その娘が白鳥の本家筋以外の親戚に合わせてもらえない事も。
久方ぶりの温もりに、意図せず涙腺が緩むのを感じた。無骨で大きな手のひら。きっと父親が目覚めていればいまだ味わえていただろうささやかな幸せを、栞はそっと享受する。
「譲のオッサンはなんだか、お父さんみたいですね」
「オッサンって言うな。まだ三十路だぞ」
「女子高生からしてみれば、そんなのぜんぜんオッサンです」
それもそうか、と呟いて、譲は酒をもう一度煽ってみせる。お代わりにと注いだ透明な酒の上に、ひらりと桜の花びらが一枚紛れ込む。その光景を含めて、幸せな夢を見ているようだと思った。学校にも確かに友人はいるけれど、いまやあの場所は戦場に近い。安心できる家族に近しい人の温もりも、優しく過ぎる時間も、淡く照らす月明かりも全部、このまま永遠に続いてくれたら。そうやって自分の義務を放棄して、ただ普通の女の子として暮らせたなら、どれだけ楽だっただろう。あと十分、夢を見るにはそれだけでいい。そうしたら、すぐにでもこの光景を忘れて、早くあの凍りついた家に戻ろう。そう思っているのに、頬を伝う熱い雫は、ぬぐってもぬぐってもなくなってくれそうにはなかった。
ふと、泡が弾けるように目が覚める。
「夢か……」
ぼんやりとした呟きはとても空虚で、はは、と乾いた笑い声が漏れる。あんな夢で泣くなんて、と目をこすりながら起き上がると、肩からずるりと何かが落っこちた。カーキ色のジャンパーが、そこにあった。夢の名残だろうか。けれど、栞はこんなデザインの――しかもボロボロの――上着など持ってはいない。心臓が僅かに高鳴った。
瞬間、部屋の引き戸ががらりと開けられた。男――夜鷹譲がそこにいた。
「よ、迎えに来たぜ」
「……う、そ」
「義務から逃げられないのは認めてても、せめてこの檻から逃げたいんだろ。……来な、お嬢ちゃん」
あの時頭を撫でてくれた、大きな手がそこにあった。手を取るか取らないか、一瞬だけ逡巡する。目を閉じて、開いて、そうして栞は、白鳥の屋敷を出る決心をした。
ガラガラと旅行用のケースに必要最小限の荷物を詰め込んで、細い腕でなんとかそれを家から運び出した。家の前には譲のものと思しき車が停まっていて、彼は快く後部座席に栞の荷物を運び込んでくれた。一度だけちらりと家の玄関に視線を向けると、着物姿の祖母が厳格そうな表情で、栞と譲のことを見つめていた。きゅっと引き結ばれた口がかすかに開いて、何か言葉を紡いだようだった。けれど、それは小さな声だったのか、栞に聞き取ることはできなかった。「そろそろ出発するぞ」と声をかけられ、綴から目をそらす。後部座席、荷物の隣に座りシートベルトをつけると、ゆっくりと車が走り出した。昨晩の河原の脇を通り過ぎ、橋を渡る。譲の運転はよどみなかったが、黄色い信号で速度を出すのは問題ですね、と栞は少しだけ冷や汗をかいた。15分もしないうちに、どこかしらの建物の駐車場に車が停められる。どうやらここが譲の住む家のようだ。栞がスーツケースの重さと格闘していると、ひょいと脇からそれを持ち上げられる。荷物を運んでくれるようだったので、栞は慌てて礼を述べた。それから、先ほどから抱いていた疑問を口にする。
「でも譲、どうやってあの偏屈婆さんを説得しやがったんです?」
譲に案内されたのは、星謳学園に程近い、それなりにきちんとした内装のマンションだった。五階建ての、すこし年季の入った。譲はこんなぼろぼろのジャンパーを身にまとっている割に、収入がきちんとしているようだった。栞はこてりと首を傾げる。悪戯っぽく笑いながら、譲は唇に人差し指を当てる。
「ナイショ」
栞の祖母である白鳥綴は、老いたせいもあるが厳格な人間だ。五年前からは特に顕著な傾向として、父母の変わりに栞を厳しく躾けてきた。それを説き伏せるなんて、一体どんな取引をしたのだろうか。ただ、深く考えたところで眼前の新たな保護者は教えてくれそうにないので、栞はぷぅと頬を膨らませる。もっとも、あの窮屈な家から逃げたかったのは確かなので、どんな手段を使ったのかは不問にしようと思うけれど。
「……何かしらヨコシマな事したら訴えますからね」
「なーにが邪な事だ。栞ちゃんはもーすこし色気身につけてくれないと、そもそも襲う気にもならんわな」
「うう」
いろんな意味で身の安全を保障されたといえば確かにそうなのだが、スレンダー体型を気にしている栞からしてみれば納得のいかない言葉だった。ほっぺたをさらにぷくりと膨らませて、抗議の意を譲に伝えるが、さらりとスルーされてしまう。
そうこうしているうちに、譲の住居にたどり着く。3階、306号室。玄関の扉に鍵を差し込んでくるりと回せば、男所帯の割には整理整頓されている部屋が目に飛び込んできた。空いている部屋――これから栞の部屋になる――に荷物を置き、リビングへと顔をだせば、ソファに譲以外の人影があった。男の子だ。自分と同じ星謳学園の制服を着ている。
「それと、この家にはもう一人居候がいるからよろしく頼む。思春期の男ではあるが人畜無害だ。ヨコシマな事はされんだろうし、まあ安心しな」
譲の声に、リビングで漫画雑誌をペラペラとめくっていた少年は栞の姿を認めると、少し驚いたような顔をして、小さく会釈した。
「――夜鷹、湊だ」
こうして栞の、家族のようなどこか奇妙な関係がはじまる。
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