第一部 天空色(スカイブルー)の想い 第一章 5

       * 5 *


「ちっくしょ」

 遠坂の監視から逃れられずに、僕は校舎裏のゴミ捨て場にゴミを捨てに来ていた。

 ゴミ箱は昇降口の辺りに置いておけばクラス名が書いてあるんだ、明日の朝にでも誰かが教室に持っていってくれるだろうと思って、そのまま帰れるよう鞄も担いできていたが。

 遠坂から逃げ回っていたためにずいぶん遅い時間になって、校舎裏には同胞のゴミ捨て要員は誰もいない。

 二階から下りてくるだけでも僕の細腕じゃ苦労したゴミ箱に愛着があるわけじゃないが、いつ天気が崩れるとも限らない空の下に置き去りにしていくにはちょっと不憫で、ため息を吐き出しつつも指に引っかけて持ち上げる。

 そうして僕が振り返ると、行く手を阻むように立っていたのは見覚えのある女子だった。

「ふむ……」

 ゴミ箱を地面に起きつつ、腕を組むような格好で顎に手を当てて、僕は少し離れたところに立ってるその子を上から下まで眺めてみる。

 髪をポニーテールにまとめていて、ちょっと顔が小さめで丸い感じがあるからか、普通よりも大きく見える二重の目が、僕のことを睨みつけてきていた。

 どうやら遠坂よりも胸にボリュームはあるらしいが、上着が少し大きめなのか体型は判断しづらい。

 何より特徴的なのは、短いスカートの中まで伸びている、うっすらと肌の色が透けて見える黒のストッキング。

 パンティ近くまで長さのあるストッキングなのか、パンティストッキングなのかが問題だったが、あえて僕はそれが後者だと思うことにした。

 ――たぶん、そうなんだろうな。

 肩をこわばらせ、鞄を提げていない右手を強く握って微かに震わせている彼女。

 恨みがあるかのように、でも同時に恐れているかのような色が浮かんでる瞳が、ただひたすらに僕のことを見つめてきていた。

 僕を待ち伏せた理由に思い当たるものはあるけど、それを口にしたりはしない。

「どこを見てるのよ」

「いや、まぁそれはいいとして、告白なら早めに言ってくれ」

「違う!」

 女子が男子を人気のないところで待ち伏せるシチュエーションと言ったら告白かと思って、それを想定した言葉をかけてみたが、違ったらしい。

 色白な顔を真っ赤に染めて、何かを堪えるように食いしばった歯を僕に見せつけてくる。

「それで何の用だ? サマープリンセスさん」

「……音山克樹。アタシと戦いなさい」

「いきなりベッドの上でのバトルに誘うとは斬新だね。これから僕の家に行くかい?」

「だから違うって言ってるでしょ! あんた、ふざけてるの?!」

 地面を激しく蹴りつけるサマープリンセスの様子が意外と可愛らしい。

 思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、僕は改めて待っていた理由を問う。

「それで、今日の御用向きは?」

「アタシと戦いなさい、音山克樹。もちろん、エリキシルバトルで、よ」

 とくに根拠はなかったけど、何となく予感はあった。

 そろそろエリキシルソーサラーに出会うんじゃないかと。

 彼女がどうやって僕を特定したのかはわからない。でもできればこの場は逃げたい。アリシアの新しいパーツはまだ届いてない。

「今日はドールを持ってきていないんでね、また今度でいいかな?」

「そんな嘘に騙されるわけないでしょう?」

 言って彼女はローカルバトルのときにも使っていた古い携帯端末を僕に示した。

 目をこらして見ると、そこにはエリキシルスフィアの距離が表示されていた。

 距離は二メートル弱。ちょうど僕の鞄を示してる。

 ――そんな機能があったのか。

 エリキシルバトルアプリについてはどんな風に動くのかは調べていたけど、英語でもないよくわからない言語で書かれている設定項目がかなりあって、調べ尽くしてるとは言いがたかった。

 それに僕が興味を引かれたのは主にアライズしたアリシアに関わることで、アライズ時にどんな変化があるかについてを中心に調べていた。

 日本語化されていない、たぶんけっこう深い階層の設定項目に、レーダーのオンオフをするところがあったんだろう。方向表示はないみたいだから、ある程度距離があれば逃げることも可能そうだけど、ここまで近づかれていては言い逃れもできない。

 ――仕方ないか。

 諦めて、僕は鞄からスマートギアを取り出して被り、アリシアを起動させる。

『リーリエ』

『うん、聞いてた。大丈夫、あたしは戦えるよ』

 放課後になってからオンにしてあった集音マイクで聞いてたんだろう、スマートギアからの呼びかけに、リーリエはいつもより少し緊張した口調をしつつも、そう言ってくれた。

 リーリエがアリシアとのリンクを確立したのを確認して、僕は地面に立たせる。

 それに応じるように、女の子もまたヒルデをアリシアに対峙させた。

『ねぇ、やっぱりあのヒルデってドール』

『うん、たぶんね』

 あの後、僕は彼女の使うピクシードールについて少し調べてみた。

 情報があまりなかったから正確なことはわからなかったけど、予想が正しければあれは、すごく貴重で、そして高い性能を秘めたドールだ。

『ちょっとやばいけど、全力でいくよ』

『うん。わかった』

 アリシアのコントロールはリーリエに任せて、僕はアリシアの身体情報に関するプロパティウィンドウを次々と開く。正面以外の視界に並べられた四枚のウィンドウに四つのポインタを同時に操作して、必要が来る瞬間を待つ。

「フェアリーリング!」

 女の子の声と同時に、僕たちの真ん中に現れた金色の光が広がって、円形の闘技用の空間をつくり出す。

 このフェアリーリングの中にいる限りは、外からは認識しづらく効果があるんだそうだ。建造物の破壊とか大きなことがあるとさすがにダメらしいけど、中で戦っている程度だったら見えていても認識できなくなるというものだった。

 ――まさに魔法だよね、これって。

「さぁ、いくよ」

 女の子のかけ声に、お互いにフェアリーリングの縁まで下がって、僕と彼女は同時に叫ぶ。

 お互いの、願いを込めながら。

「アライズ!」



 アライズによって百二十センチ、僕の肩ほどのサイズになったアリシアが斜め前に立つ。

 ピクシードールだったときよりもわずかにほっそりしたような身体つき。首から下のソフトアーマーはレオタードのような白色をし、上半身と腰、肘から下と膝から下を覆っているのは、水色のハードアーマー。身長と胸部のアーマーの形状も相まって、Cカップバッテリなのにどこか身体つきは幼さを感じる。

 戦闘を想定していなかったからヘルメットはなく、ハードアーマーと同色の水色の、ゆるりと下ろした両肘の辺りまで長さのあるツインテールが、微かな風になびいていた。

 斜め後ろからだとよく見えないけど、戦闘を前にして本当の人間のように引き締められた顔は、でも微かにその口元に笑みが浮かんでいた。

 ――本当に、あいつに似てるな。

 性格が似てるのは、最初のときから把握していた。でもここまでリーリエとあいつが似てる理由を、僕は思い付くことができない。

 わかっていても、あのときのあいつと同じ身長になったアリシアを見ると、もやもやとしたものが沸き起こる。

 舌打ちしたくなる気持ちにアリシアから目を逸らして、今回の対戦相手を見る。

 ローカルバトルのときにも見た、黒いソフトアーマーと、スピードタイプに見える形状をしながらアリシアよりも身体を覆っている面積の広い濃紺のハードーアーマー。

 二十五センチドールなだけあって、アライズして百五十センチサイズになったヒルデは、ソーサラーの女の子とほとんど同じくらいの身長があった。

 ――それに、あのフェイス……。

 アライズするまでは気づかなかったけど、ヒルデの口元には微かに笑みが浮かんでいた。

 アリシアとは少し違う丸みを帯びた顔は、サマープリンセスに似ていた。

 ――やっぱりそうか。

 頭部の複合カメラの上を覆っているヒルデのアイレンズが、まるで本当の目であるようにきらりと光る。

『リーリエ。防御主体のバトルセットへ。あの剣には気をつけろ。たぶん飾りだと思うけど、あのサイズの金属の棒に殴られたらシャレにならない』

 ピクシードールの武器は武器としての形状は精緻だが、しょせんオモチャの範疇だ。六倍サイズに大きくなってもそれは変わらないだろうと思う。

 でもあのサイズの、たぶん二キロか三キロはあるだろう重量の棒で思いっきり殴られたとしたら、ただで済むわけがない。

『気をつける。先に仕掛けるよっ』

 肘から手首までの手甲に接続した、ドールの繊細な指を覆う形状のナックルガードを両手に構え、リーリエは空手に似た構えを取ってすり足でヒルデに接近していく。

 リーチは剣の分だけあちらが上。

 でも懐に入ってしまえばリーリエの勝ちだ。

 たぶんここからがヒルデの間合いだろう、と思ったところに踏み込んだ瞬間、攻撃が来た。

 胴の真ん中を狙った伸びやかな突きは、リーリエの素早い反応によってツインテールの片方を揺らすだけに終わった。

 その動きを予想していたように、新しい動作指令を端末に打ち込む女の子により、ヒルデが右脚を軸にして身体を回転させ、斬撃を加えてくる。

 ――その程度の動きが通じるかっ。

 左から来た横薙ぎの斬撃を、リーリエは腰を落としつつ左腕の手甲で上方に流して凌ぐ。

 がら空きになった胴体に拳が決まる、と思っていたのに、予想に反してリーリエは大きく跳んで後退してきた。

『お、おにぃちゃん。鉄の棒じゃなかった……』

『は?』

 右腕でファイティングポーズを取りながらも、僕に見せるように左腕をこちらに向けてくるリーリエ。

 剣を受け流したその手甲は、一部がざっくりと切り落とされていた。

 その下のソフトアーマーには達していなかったからよかったものの、もし受け止めようとなんてしていたら、腕ごと切り落とされていたかもしれない。

「は、反則だ! 真剣なんてダメだろう!!」

「何言ってるのっ。ピクシーバトルでもレギュレーションに沿った武器なら使っても大丈夫じゃない。武器を使ってないのはそっちの選択でしょ。文句言われる筋合いはない!」

 確かに彼女の言う通りなんだが、納得できるもんじゃない。

 たぶん一度アリシアを戻して武器を持たせてから再アライズさせてやればいいんだろうし、どうやらアライズの継続時間はドールのバッテリ容量から計算されてるみたいだから、アライズのときにけっこうバッテリを食うらしいことを除いても、武器を持ってるならやり直しても良さそうな気はした。

 持っていれば、の話だ。

 基本、格闘スタイルが得意なリーリエは、武器を装備して戦うことはできるけど、よほど相手が悪くない限り武器を持って戦うことはなく、今日も持ってきてはいなかった。

 エイナと出会ったのはつい二週間前で、これが僕にとってはエリキシルバトルの初戦なんだから、勝手がわからないのは仕方ないと言えば仕方ない。

 そしてたぶん、サマープリンセスもまた初めてのエリキシルバトルだ。

 ヒルデの操作こそ鮮やかだったけど、肩に力が入っているのが五メートル近くある距離からでも見える。

『どうしよう……』

 アリシアの動作には見せていないものの、弱気な声を上げるリーリエ。

『あんまりやりたくなかったけど、必殺技で決める。それとヒルデの動き、解析できてる?』

『うん』

『見せてくれ』

 相手の動きに注意を払いつつ、自宅にあるリーリエの本体の方で解析したヒルデの動作映像とその結果を表示する。

 ――やっぱり、ヒルデには弱点がある。

 最初に構えと動きを見たときから感じていたことだけど、動きを解析して見つけた弱点をリーリエに指示する。

『もう一度剣を受け流せるか?』

『うんっ。できるよ!』

『よし、一気に決めるぞ』

『うん!』

 結局自分からは仕掛けてこなかったヒルデに向かって、リーリエは地を蹴って飛び込むように接近する。

 アリシアのボディから送られてくる情報では、大きな動きを開始した人工筋の電圧がパワーを絞り出すために上がっていく様子が表示されていた。

 リーリエの踏み込みに対応してだろう、半歩分すり足で下がったヒルデが、右手の剣を左上方に振り上げ、避けにくい腰の辺りに向けて振るってきた。

 ほとんど地面すれすれにまで上体を倒しながら、リーリエは右から来る剣撃を左手のナックルガードを使って、剣の腹を押し上げるようにしてかいくぐる。

『リーリエ、電光石火!』

『うん!』

 剣がリーリエの身体を通り抜けた瞬間、僕は構えていたポインタを同時に操作した。

 アリシアの姿が、ブレたように残像を引く。

 リーリエが行動予測をしてくれていて、スマートギアのカメラを高速対応に切り替え済みで、その動きを何度も確認していたからまだかろうじて僕の目にも捉えられた。

 たぶんスマートギアを使っていないサマープリンセスには、リーリエが一瞬消えたように見えていただろう。

 閃きにしか見えなかった凄まじいヒルデの剣速。

 凌いだ剣先が十センチ動く間に、リーリエはヒルデの間合い奥深くに踏み込んでいた。

 一メートル半の距離を瞬間移動のような速度で移動したリーリエが、広げた両足でブレーキをかけるのと同時に、振りかぶった右手をヒルデの左肩に叩き込んだ。

『よし! ……が、まずいか?』

 性能の低い第四世代の、それも使い込んで劣化した人工筋を駆使したから当然と言えば当然なんだけど、限界を超えた左右の腿の人工筋のうち何本かが伸張エラーと発熱エラーを発している。発生した熱が冷めればおそらく大丈夫だけど、すぐにはもう一度電光石火を使うことはできないはずだ。

 ヒルデは片膝を着きつつも、まだ剣の構えを解いていなかった。

 リーリエの拳を受けた左肩は、人では、もちろんピクシードールでもあり得ない角度になってしまっている。

 少なくとも脱臼はしてると思うし、その状態になったらばらして人工筋を接続し直さない限りは元には戻らないけど、戦闘が継続できないほどのダメージではない。

 左腕をもぎ取るくらいのダメージになっていればさすがにそれ以上の戦闘継続は不能だったろう。でもそれができなかったのは、劣化した第四世代パーツが原因だ。

 アライズしてもドールの性能を引き継ぐものだというのは、いろいろ調べている間に確認済みだ。

『油断するなよ、リーリエ』

『わかってる、おにぃちゃん』

 腿の不調を隠しつつ構えを取ったリーリエだったが、その心配はなかったみたいだ。

「ヒルデ?」

 よろよろとした足取りでヒルデに近づいた女の子は、構えを取ったまま自分のドールを背中から抱きしめた。

「ダメだよ……。こんなになったらママを生き返らせてあげることができないよ……」

 目に涙を溜めてしゃくり上げ始めた彼女の意を汲んだように、剣を下ろすヒルデ。

「か、カーム」

 喉に言葉を詰まらせつつもアライズを解除する女の子の言葉で、戦闘は終了となった。

 僕のエリキシルバトルの初戦であり、母親の復活を願う女の子との戦いは、たぶん僕の勝利によって幕を閉じた。

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