第一部 天空色(スカイブルー)の想い 第一章 2
* 2 *
師走の足音がし始める時期ともなると、さすがに夕暮れも早くなる。
急行が止まる最寄り駅に着いた僕は、日が傾くに連れて落ちてきた気温に、コートの前をかき合わせて改札から続く階段を下りて駅前広場へと降り立った。
小学校の頃は交通量の割に二車線の上に幅もたいしたことのなかった国道は四車線に拡張され、それと同時に区画整理されてできた駅前の広場には、ずいぶんな人だかりができていた。
歓声とヤジが飛び交う人だかりの向こうは見えないけれど、大型の車に搭載された移動型のモニターに表示されているのは、ふたりの人間のバストアップ姿と、四角いリングだった。
「ローカルバトルか」
スフィアドールの第四世代パーツ普及が始まるのと同時に行われた第一回スフィアカップ。世界大会になると予想されている第二回スフィアカップについてはいまのところ開催の目処は立っていないけど、第一回大会以降、人気のあったピクシードール同士のバトルは、SR社の協賛を得て週末ともなるといろんなところで行われるようになっていた。
スフィアカップのときには別れていたフルコントロール、セミコントロール、フルオートの部門には分かれていない小規模なバトルらしい。
大型モニターの片隅に表示されているトーナメント表を見てみると、どうやらこれから行われるのが決勝戦らしかった。
『なになに? ピクシーバトル?』
スマートギアを被ってないときはいつも耳につけてるイヤホンマイクから、リーリエが声をかけてくる。
「これから決勝戦が始まるところ。見るか?」
『うん、もちろんっ』
さすがに小型のイヤホンマイクにはカメラは搭載してないから、僕はデイパックからスマートギアを取り出して、イヤホンマイクの代わりに被る。
こう暗くなってくると暗視野視界になってカメラ越しじゃ見えにくいからディスプレイは下ろさず、外部カメラだけを起動してリーリエに共有設定を入れてやる。
『どっちが勝つかなぁ』
興味津々らしいリーリエは、カメラの映像から早速二体の解析を始めてることだろう。
僕もまたモニターに映し出されたふたりと二体のことを、人混みから少し離れたところで観察する。
右手の少し小太りな感じの男が操っているのは、目測で十八センチサイズ、標準よりも小型ながらその身体つきから予想するにパワー重視のドールだ。
アニメか何かに出てきそうな布地までついたピンク色を基調にしたハードアーマーはかなりの重装で、身長よりも長い斧と槍を組み合わせたような形状のハルバードを構え、開始の合図をいまかいまかと待っている様子だった。
モニターに映し出された顔はヘルメット型のスマートギアで見えないし、たぶん新しく商品が出てきつつある第五世代パーツを使ってるだろうピクシードールのユピテルオーネという名前にも憶えはなかったけど、表示されたソーサラーネームは確か、都内のローカルバトルに出ては上位入賞を果たしているセミコントロールのやり手だったはずだ。
対する左手のピクシードールは、僕がこれまでにまったく見たことのないタイプだった。
目測だけど二十五センチドールと思われる身長は、発売済みの第四世代パーツ、これから発売される予定の第五世代パーツを使ってもあまりできる組み合わせじゃない。
腰に剣を佩き、シンプルな濃紺に染め上げられたハードアーマーは少し古臭い感じのあるデザインで、スピード重視なんだろう、黒色のソフトアーマーの露出部分は多めだった。それに――。
――Fカップバッテリ?
ヒルデという名前のドールの胸を覆うブレストアーマーは、女性にするとFカップはありそうなサイズをしていた。
ピクシードールの胸部にはバッテリが内蔵されていて、バッテリサイズによって胸のサイズが決定される。もちろんのことながら、本来数字で表示されるバッテリ容量をカップで呼ぶのは正式なものじゃなくて、ほぼすべてが女性型のピクシードールにおいて、ブラのカップサイズを想定してのよく使われる通称だ。
カップサイズの大きいバッテリを搭載すれば稼働時間は延びるけど、ピクシードールのパーツの中で比較的重量の大きいバッテリは、大きければ大きいほど重心を高くすることになり、動作の安定性が失われていく。
より女性らしいボディラインにするためにブレストアーマーだけ膨らませてる、いわゆる「偽カップ」なら別になるけども。
もしあれが偽カップではなく、本当にFカップバッテリを搭載しているのだとしたら、あのドールは第三世代か、第四世代初期の消費電力の大きいパーツを使っているのかも知れない。
ソーサラーネームのサマープリンセスというのも、たぶん僕と同じくらいの歳だろうポニーテールのちょっと可愛い感じの横顔にも、憶えはない、と思う。
スマートギアを被らず年代物になりそうなフルタッチの携帯端末を手元に構えている様子から見てセミコントロールだろうことはわかるけど、リングに真剣な目を向けている彼女がローカルバトルとは言え決勝戦にまで勝ち上がってくることができる実力の持ち主なのか、ただの運でここまで勝ち上がってきたのかは判断できない。
『どっちが勝つと思う?』
『わかんないの? おにぃちゃん』
リーリエの得意そうな声が聞こえるのと同時に、試合開始のゴングが鳴らされた。
正直、僕には勝負の行方は予想できなかった。
宝石のような結晶をコアとする、過去にない画期的なクリスタルコンピュータ「スフィア」をロボット用に開発、発表し、フレームと人工筋の塊のようだった第一世代スフィアドール。
SR社と協力企業によって開発が進められ、エルフ、フェアリー、ピクシーの三サイズが制定された第二世代。
仕様が公開され一気に参加企業が増え、目が飛び出るほど高かったもののわずかながら市販の始まった第三世代。
低価格化による普及を目的とし、性能低下を許容して一般にも手が届くようになってきた第四世代を経て、今なお高くて一般人では買えないエルフや、安いもののペットドールとしてレディメイドがほとんどのフェアリーと違い、主にパーツ単位で販売され、バトルなんかに使われるピクシーの二十センチという標準サイズは、決して仕様だけで決まったものじゃない。
フレームの強度や耐久性、人工筋の出力などのバランスによって現在のところ二十センチサイズが最適とされてきたものだ。
多少ばらつきがあるにせよ、現行パーツで組み立ててバトル用に実用になりそうなサイズは二十三センチが最大。
それを越える二十五センチのヒルデというドールに、どこまでの性能があるかは戦いを見てみなければわかりそうもなかった。
ゴングは鳴ったものの、二体はすぐには武器をぶつけ合うようなことはなかった。
ユピテルオーネは威嚇するように指を使ってハルバードを身体の前で回転させている。
――やっぱり第五世代パーツだな。
ピクシードールの手は人間のそれより縮尺としては大きいのが常だけど、それにしてもユピテルオーネの指は太い。刃を引いていない飾りとは言え、けっこう重量があるはずの金属製のハルバードを手ではなく、指でもって回している。
指用の人工筋でそこまでパワーがあるのは、バトル向けとしては暗黒時代とまで呼ばれることのある性能が低いパーツの多い第四世代パーツではなくて、つい先週発売されたばかりの第五世代パーツの人工筋が組み込まれてるからだと思う。
ヒルデの方と言えば、スピードタイプだと思うのに、自分からは仕掛けたりせず、身体の半分を超えるだろう洋風の長剣を右手で持ち、それを突き出すように半身に構えて相手の出方を窺っているようだった。
先に仕掛けたのはユピテルオーネ。
回転させていたハルバードを腰だめに構えたかと思った瞬間、ヒルデに向かってジャンプするかのように一直線に跳んだ。
『終わるよ』
『え?』
攻撃が始まったのと同時に、確信の籠もった声でリーリエが言った。
ドールの動きを追うようにモニターにはメインの表示の他に、四方向のカメラからの映像が同時に映し出される。
武器のリーチを利用した攻撃はたぶん、避けられたり逸らされたりしても次の動きにつなげるための布石。
重量級の武器による攻撃をまともに受ければ、ピクシードールの背骨にあたるメインフレームですら破損しかねない。
ユピテルオーネにとってはクリーンヒット一発で終わる戦い、のはずだった。
剣の先でわずかにハルバードの軌道をずらしたヒルデ。
次の攻撃に移るだろうと思われたユピテルオーネだったけど、さらにヒルデに向かって突っ込んでいく。
――左手?
別方向のカメラでは、空いていたヒルデの左手がわずかに動き、身体をかすめるように突き出されたハルバードの先端に近い柄を掴んで引き寄せてるのが見えた。
ユピテルオーネのソーサラーが口元を引きつらせたときには、二体のドールはほぼ衝突する距離まで接近していた。
「あ……」
一瞬見えなくなるほどの素早い動きで、ユピテルオーネに腰を落としながら背を向けたヒルデは、滑り込ませた右肩を軸にして腰を跳ね上げさせた。
――背負い投げ?
武器を持ったピクシードール同士の戦いではついぞ見たことがない、柔道の技が繰り出されていた。
『ふっふーん! やっぱりヒルデって子が勝ったねっ』
『どっちが勝つか先に言ってなかったじゃないか』
リーリエに突っ込みを入れつつも、たぶん予想していた結果なんだろうと思っていた。
――セミコントロールでここまでできるのか?
ドールの動きを細かに操作できるフルコントロールならともかく、動きをコマンド入力で操作するセミコントロールであんなことができるなんて、僕もさすがに驚いていた。
スピードタイプだろうにあまり積極的に動かなかったことには疑問を感じるけど、あんな戦いができるなら確かにローカルバトルで優勝できてもおかしくはないだろう。
決着のついたモニターでは、サマープリンセスとヒルデの勝利を称える表示と同時に、リングの様子が映し出されていた。
投げ飛ばされたとは言え、けっこう柔らかいリングに叩きつけられた程度でピクシードールが壊れることはない。絶妙なタイミングで繰り出された背負い投げは、リングの端だったことも相まって、ユピテルオーネをリングアウトに追い込んでいた。
勝利した女の子は、満面の笑みを浮かべてポニーテールを左右に揺らしつつ観客に愛想を振りまいている。
――どこかで見たことがあるような気がするな、あいつ。
この距離じゃモニターに映し出された顔もよくは見えなかったけど、正面から見た彼女の顔つきには、なんとなく憶えがあるような気がしていた。
『ね、おにぃちゃん。飛び入り参加募集してるよ。行く?』
さすがは商店街の客寄せイベントとして開催されたローカルバトル。盛り上げるためなら決勝戦の後でも飛び入り参加を募集するらしい。飛び入りに勝てば追加の商品を約束されているらしい女の子が、観客に挑戦的な視線を向けていた。
『僕はもうこの手のバトルはやらないよ』
『……そっか』
リーリエならさっきみたいな攻撃でもたぶん反応はできるだろう。
でもいまの劣化した第四世代パーツを組み込んでいるアリシアでは、相手の潜在的な力も考慮すると、どこまで戦えるかは未知数だ。せめて手配中の第五世代パーツを組み込んでからにしたい。
それだけじゃなく、僕はスフィアカップ以降、ピクシーバトルに参加したことは一度もなかった。
僕にはもう、戦う理由はなかったから。
リーリエと言う、新たなソーサラーを得た後も、それは変わらなかったから。
――でもこれからは、そういうわけにはいかないんだろうな。
僕はあのとき、エイナに願いを伝えた。
それは戦いに参加する意志を表明するものだ。
これから僕が参加することになるのは、ローカルなピクシーバトルなんて小さな規模の戦いなんかじゃない。
たぶん僕は、この先あの通り魔とも戦わなくちゃいけないんだろう。
『もう終わりみたいだよ』
飛び入りが出なかったらしい会場では、終了の宣言も終わり、撤収が始まっていた。
ヒルデというドールには興味はあったけど、もう帰ってしまったのか、人混みにはあの女の子らしい姿は見つけることができなかった。
『帰ろう』
『うんっ』
いつの間にか空が茜色に染まる下を、スマートギアをデイパックに放り込んだ僕は家に向かって歩き始めた。
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