2-2 ラボの魔女 -Dr.Meruru-

 地下に下りて十分。目的の部屋を探して、俺とリストは通路を歩いている。


 壁の上方に青い光が等間隔で点っているが、あれ等は電灯ではない。魔術師たちの開発したイオ灯と呼ばれる明かりだ。


 原理について俺はほとんど知らないし、関心も薄い。それよりもリストの方が気になった。


「どうしたのさ、鼻歌なんか歌って?」


 俺は機嫌良さげなリストをせせら笑って、革手袋の縁を引っ張る。ガブリエルが用意してくれたこれは案外と具合が良い。


「ここでやっと仕事らしい仕事をやらせて貰えます。勿論甘えは見せませんけど」


 嬉しそうに両拳を胸の前で揺らして、リストは子供のようにはしゃいでいる。気持ちは分からないでもないが、やや不謹慎とも言える。


「あのさ……ベルドリッジさんとビラーノさんが家ごと吹っ飛ばされちゃったの分かるよね?」


「……はい」


 リストはしゅんとして、肩を窄めた。予想していたが、俺も少し自分を咎めてしまう。


 ――根が純粋って損なのか得なのか。


 リストの性格は少し危うい。まだしばらくお守りが必要だと感じる。


 ――もしかして、ガブリエルはそれを見越して俺とリストに辞令を出したとか?


 合法的にくっつけておくにはそれが一番だったのかも知れないが、あの騎士団長殿にはどうも分からない所がある。政治家なんてのは大概そんな怪人しか務まらないものなのかも知れないが。


「それにしてもラボの部屋見つかりませんね? ドクター・メルル……でしたか?」


 顎に人差し指を当てて、軽く首を傾けるリスト。


「向こうから近付いてくれるって言ってたか? 何の事なんだろうな?」


 俺も顎に親指を当てて、軽く首を傾けてしまう。近付いてくれるなんて、まるでホラー映画のモンスターみたいだが、まさかな……。この薄暗い地下通路でそんなものがいたら俺なら裸足で逃げ出すが。


「……ヒ……ヒヒ……」


 掠れるような奇妙な音が聞こえた。人声? 俺は咄嗟に後ろを振り返って、そこに何もいないのを確認する。


「今声が……」


 リストも今のを聞き逃さなかったようだ。つまり幻聴の可能性はゼロ。これは現実だ。俺は通路の前後を三度ずつ確認して、しんと静まる闇の奥に目を凝らす――何の気配も感じない。


 ――何だ?


 まさか自分がこれ程遅れを取るとは。一応先生の下で布是ふぜ流を学んで皆伝を許された身だ。ショックは決して小さくない。


「ヒヒヒヒヒ」


 また聞こえた。今度はさっきよりもはっきりとより近くで聞こえた。


「ひやぁぁぁあっ!」


 リストが悲鳴を上げた。俺は振り返って、リストが見ている方へ視線を向けた。


「な……」


 俺はあまりの光景に我が目を疑ってしまう。壁が……動いている。まるでチューブの中を物体が移動するかのように膨らみが移動しているのだ。その中心に顔らしき物が付いているのだが、驚く事に人の表情をしていた。


「今度の新人かい? 名を名乗って頂戴」


 壁の顔が俺とリストに要求する。俺はやや面食らっているが、何とか名乗った。


「シドウ」


「……リストです」


 リストは完全に怯えているようで、俺の後ろに隠れてしまった。


「ヒヒヒ……団長に聞いた名だ。いいだろう」


 ばきり、と壁が開いて、中から光が見える。入れ、という事なのだろうか? 俺は怖がるリストの手を引いて、恐る恐る中に入った。ばたん、と壁が閉まった。


「ヒッ!」


 リストが押し殺した悲鳴を漏らす。部屋のインテリアが随分と……良い趣味だからか? 何かの獣の頭蓋骨。鳥らしき物の骨格模型。壁の棚に並ぶ瓶の中には溶液に浸された何かの生物の標本が入っているようだが、詳細までは分からない。


「……すご」


 俺が想像している魔女の家って正にこんな感じだ。もっともテーブルに広げられた魔導書らしき物をちらりと見下ろすと、内容がかなり学術的に記述されている雰囲気があった。そして、それを書き記したであろう人物は如何にも魔女といった古風な黒いドレスローブの銀髪の少女だった。


「魔術師?」


「そうだよ、剣聖の最後の弟子。私が魔術師ドクター・メルルだ。このラボでEFPDの魔術鑑識の仕事をしている。まあ、本業は魔術の深淵を極める事だけれど、君も剣術の深淵を極めるのが目当てなのだろう?」


「え? あ、いや」


 俺はドクター・メルルにどう答えたらいいか一瞬迷って、曇った表情で素直に答えた。


「ただ生き甲斐が欲しかっただけだ」


「ほうっ!」ドクター・メルルは目を輝かせ、「それでひと月で皆伝を許されたとか、もう天才としか言いようがないよね! そういう馬鹿は歓迎だ!」


「馬鹿?」


 俺は怒るべきか考えようとしたが、そんな事を議論する事すらアホらしくなって止めてしまった。


「そして、月から来た少女! 君が着ていた鎧は有難く研究材料にさせて貰ったよ」


 ドクター・メルルが部屋の奥の大釜を指差す。濃紺の鎧がどっぷりと怪しげな液体に浸かっていた。


「きゃぁぁぁあっ!」


 リストは気がふれたように悲鳴を上げて、涙目になってしまった。


「それはともかく、今日は顔合わせだけで済ませるわけにはいかない。二件の爆破事件。その検証を始めなければならない。君たちの話も聞かせておくれ」


 ドクター・メルルがいきなり仕事に話を切り替えた。いまいち話の流れに乗り切れないが、この手の変人に常識なんてものが通用しないのは自分もそうだから少しは分かっているつもりだ。仕方なく言う事を聞いた。事実を整理する。


「始まりは定例会だった」

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