雨
――あの人の背中だけを追いかけていた。
野を越え、山を越え。砂煙を立てながら、その一個団体は遥か離れた大陸に向けて駆けていた。その先頭を行くは、蒼銀と漆黒の鎧騎士。乗る馬も、彼らと同様の色をした鎧巨馬。
その速さは凄まじく、正に空を翔るが如く。
キミィ・ハンドレットと、アルトリウス・ジェイドは師弟関係にあたる。
魔王討伐の際は、馬に乗れる体躯も持ち得ておらず。その離れていく背が消えるまで見守る事しか出来なかった。だからこそ、彼が戻ってくるまで、鍛錬の日々を費やし、そして、彼が英雄として、城に仕えていた時は、彼に認められようと必死に存在を魅せた。アルトリウスにとって、キミィは憧れであり、尊敬の象徴なのだ。
その信頼関係からならば、キミィが自分達に反旗を翻すなど、到底信じられぬ事であろう。しかし、彼はあの日から、その日まで。その可能性を密に感じていた。
矛盾するその予感は。
秘密。それは――暗闇に浮かぶ月が見ていた惨劇の一介。
そして、その真実を知る者は――己と、隣にて己と同等の力を持つ兄。二人しかもう存在しえない事だ。
――雨だ。
不意にその黒髪越しに水の冷たさを感じた。不思議と、二人が会う時は何故かいつも雨が降っていた。これは、その予感なのかもしれない。彼は、不安とそして……それは歓迎に近い、抱いてはならぬ筈の喜びの感情。二つの感情を確かに感じていた。
抑えようとしても、それは溢れだすのだ。
「あるど……」
隣から搾り出されるようなその声で、アルトリウスは、ハッと眉を跳ねさせた。
全く見えぬ筈のその黒の鉄仮面の表情を。アルトリウスははっきりと見る。
「解っています。犠牲になった者達の為にも。これより会うは、大罪の反逆者。必ずや僕が討取ってみせましょう」
そう、曇りも無く、言ってみせた。
――そう……犠牲になった者達の為に。もう止まる訳にはいかないんだ。
――雨……か。
両掌を空に向け、彼もまたその雫を感じていた。
雨を凌げそうな大樹の下に潜むと、受け取った地図を濡らさぬ様慎重に広げた。そこに記された標はまさに、今居るこの大樹に付いている。
――と……すると……
「キミィ・ハンドレットだな? 」
大樹を背で挟んだ向かい側。その声は聴こえた。そして、同時に放たれる。
――……手強い……
それは、キミィの経験から得られる猛者の証明である、闘気の様なもの。
「一人か? 」今度はキミィが尋ねる。
「質問に質問で返すか……まぁいい。如何にも。ここには我一人だ」
その口調はあくまで穏やか。しかし、直後に雨の止むその時を待っていた鳥の群が一斉に飛び立った。
そしてキミィは、一粒。それは、先の雨露か。それとも彼の冷汗だったのか? 顎を伝い、雫を溢す。
「ゆくぞ‼ 」その言葉の直後、抑えきれない程の大きな闘気が爆発した感覚をキミィは受け止める。
キミィの瞳に、色の残像が残る程の速度で、その者は大樹を廻り込んで、キミィを正面に捉えた。
――廻り込んだ?
キミィは、大樹越しに背後を窺っていた為、その影は、横目の僅かな視界でしか捉えられなかった。しかも左腰に携えていた刀の柄を右手て構えていた為、急所である左の頸部が正にがら空き状態である。
無論、この者は、その隙を見逃す筈もない。
右上肢と思われる部位で、キミィの左頸部を切り裂くが如き、一撃。
その瞬間、キミィは刀の柄から右手を放し、身体をやや背後。つまり、その相手の居る方に向けるよう身体を捻りながら、左手で持った鞘に上空への力を加え、刀を無保持抜刀した。
そして、そのまま振り返る際の遠心力を右手に掛け、予め予想していた刀の柄の位置に、掌底の様に放つ。
結果。
キミィの左頸部と、そこを狙う相手の上肢の間に、僅かだが、刀身を見せた葛飾一茶が立ち塞がる形となった。
その二つがぶつかった時、空気が裂ける様な轟音と、キミィの身体を吹き飛ばす程の衝撃が走る。
「ぐぅっ‼ 」吹き飛ばされたキミィの背を大樹が受け止め「メキメキ」と悲鳴を挙げた。
――いかん……追撃が……
崩されたバランスの中、キミィは死の予感を抱いた。
――止むを得ない。
右手で素早く印を刻む瞬間だった。
「精霊術は止せ。ここの精霊力を消費されては困るのでな」
そう言って、彼は先程キミィの首を切り裂こうとしたその手を広げて見せた。
即座に、迎撃の構えを取ったキミィは、身体の動きとは反対に、動揺を見せた。
「バティカ‼ 」
そう叫ぶ、彼の視線の先。立ち塞がるは、巨大な身体に、獅子と人が混じった様な容姿を持つ異形の者。
「バティカ? いや……」
キミィの洞察眼が動く。確かに目の前のその者は、バティカと重なる容姿を持っているが、毛色や、体躯の筋量などが僅かだが、違う。
己と同じ様に、時の経過によるものかと思ったが、直ぐにそれは彼の中で否定された。その変化は、時の経過によるものと逆の性質のものだったからだ。
「我が名はシコク。パレス前主のバティカに変わり、現主に就きし者だ」
キミィは中腰の構えを解かず、相手を観察する。
「何故、シオンを餌にしてまで、私を呼び出した? 」
その言葉に、シコクも強い視線をキミィから離さず答えた。
「その理由は、貴様の方が知っているのではないか? 」
キミィは、一瞬眉を顰めた。
「バティカ……の事だな? 」
その言葉の直後、殺気により、周囲の樹木が悲鳴の様にざわめきを起こし、若葉を散らした。
「信じては貰えないかもしれないが……私も、バティカの事はつい先日知った事だ。寧ろ、魔王を討伐してからは、彼が
そうして、そこで初めてキミィは構えを解いた。相手に信じてもらおうと語り掛ける時に、武力を見せているのは、相手に不義理だとそう感じたからだ。
「貴様は主バティカの消失事件には関りがない。というのだな? 」
二人の視線が真直ぐ。それはまるで雷が地に落ちるかの様。
そこからは二人は言葉を交わさない。
その瞳こそが、言葉以上の会話を。二人だけのその会話を担っていたのだ。
「よかろう。シオンに会わせてやる。正し、我一人の判断で貴様が本当に前主の事件に無関係かを計る事は出来ぬ。パレスにて、幹部の者達を含めた所で、貴様の知っている事を全て話してもらうぞ」
そこまで言うと、シコクは振り返り「ついてこい」とだけ言い放ち、凄まじい跳躍で、傍の樹木を駆け上って行った。
――シオン……
この話の流れでは、まだ相手側は自分に対し多大な敵意を抱えている事が十二分に伺えた。ついて行く事は己の身を危機に晒す事になるは必然。
だが、キミィは迷うことなく、その背を追う。
護るべき存在の、唯一の手掛かりを手放さない為に。
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