月光
祭から三日が過ぎようとしていた。
「ん? 」
剣の素振りをして戻っていたキミィの前を、給仕の格好に身を包んだシオンがトタトタと走り抜けていった。
「おい、ちょっと待ちなさい。その格好はどうしたんだい? 」
思わず引き留めてしまった。
「え? 何かおかしいですか? 」
「いや、格好の事ではないな。何を、しているんだい? 」
すると、シオンはキリッと表情を引き締めた。
「だって、いつまでもお世話になりっぱなしじゃ駄目じゃないですか‼ ほらっ、洗濯しますから。その汚れた服。脱いじゃって下さいな」
どうやら、世話になるだけの生活に遠慮が生まれ、自立心が芽生えた様だ。夢魔の隠里でも、よく働いていたのかもしれない。彼女の性質か。
「ほらほら。着替えたら、朝ご飯とっとと食べて下さいね」
そう言うと、脱いだ服を持って、またとたとたと廊下を駆けて行った。
「よう、働いてくれるっつて女給達の間でも話題だよ」
廊下の先から、ケム草を咥えたカイイがやって来た。
「お嬢ちゃんは、どうやら、心配無さそうだぜ……」そのままプカーッと煙を吐いた。
――大した子だ……私なんかより、ずっと『今』を生きている……
「んで? おめぇはどうすんだよ? 進む覚悟は、出来たのか? 」
キミィは己の両手を見た。
「はい――あの姿を見て……もう思い残すことは在りません……明日、朝。ここを発ちます。剣師……お世話になりました。そして……彼女の事を宜しくお願いします」
カイイは黙って頷いた。
「そうか。じゃあ、今晩は腕よりの飯にしてもらうか」
とたとたとた――あぁ、飛べたらもっともっと早くお仕事出来るのに。
シオンは慣れない歩行を必死で行い、両手一杯に汚れた衣類を必死で運ぶ。
「……で」
――ん?
何やら聴こえた。女性の声だ。
そっと、その声の聴こえた部屋を見ると、後姿が見えた。
――エリカさんだ……
「そうだ……キミィ・ハンドレット……」
――え? キミィ様の名前を言った?
その事実を不審に思った彼女は、思わず身を更に部屋に寄りかけた。
「何をしている」
――え?
彼女が、恐怖で身を固めたのは、言葉が聞こえた事ではない。
言葉が聞こえた方向だ。
顎に伝った汗がぽとり――と床に落ちる。
先程まで見えていた場所にははっきりと『電信話機』だけが見えていた。
恐る恐る瞳を背後に動かす。
「盗み聞きとは、感心しないな」
冷たい瞳で自分を見下しているエリカがそこに居た。
ごくり――と、シオンの小さな喉が鳴る。最近にも突然背後に人が現れた記憶が在ったが、それを思い出す余裕も無かった。唯々、真実だけが口をつく。
「す、すいません。洗濯物が、無いかと思い……
お話し中だったので、様子を……伺っていました……」
エリカの瞳が、シオンの足元に動く。そこには、手から落とした着物が落ちていた。
「ふー」っと、一息吐くと、エリカは何も言わずにそこを去った。
エリカの気配が消えた瞬間。シオンはその場にへたり込んでしまった。途端。溢れ出る汗。それも、尋常な量ではない。
――違う。
それが何を意味するのかは、彼女には真意が掴めない。
――話を聞かれたとか、怒ったとか、そんな次元じゃなかった。
その答えは、想像するだけでも悍ましい。
――あたしを……殺す気……だった?
「よし、ほいじゃあ乾杯」
そう言うと、普段通り、カイイは盃を頭の辺りまで上げて音頭をとる。
「おい、坊主。これはおいらからのプレゼントだ。まぁ、受け取れや」
食事が粗方片付いた後、不意にカイイがそう言って、キミィに何かを受け渡した。
「これは――? 」そう言って、広げると、それは着物。そして、太刀――それも長刀の部類の刀が姿を覗かせた。
「大業物『
キミィはそれを感慨深い瞳で見ると、カイイに向け、地に額を付け、礼を行う。
「ありがとう……カイイ」
それに、恥ずかしそうに彼は顔を赤めて頬を掻いた。
そんな時、その様子をなんとも複雑そうに見ているシオンが視界に入った。
「どうした? 」キミィの言葉に「いえ」と、だけ答えた。
娘二人を育てた経験が在ったカイイだけは気付いた。
「おう、悪い悪い。坊主だけじゃなくて、お嬢ちゃんにも、ちゃーんと用意してんだよ? ほれ、これこれ」
そう言うと、赤い石が嵌った首飾りを取り出した。
「それは……」キミィがそれを見て声を挙げる。
「おうよ。この都『焔』に伝わる『封邪の巫女』が着けていたと言われる、
確か、夢魔――は、夢を司る魔族だったよなぁ?
昔からよ。
天下万来では夢ってのは、黄泉平坂に繋がる入り口だって、伝えられてる。
この鬼門石は、そこから、霊体を呼び出す力が有るって伝えられてんだ」
シオンは、嬉しそうにそれを受け取った。
「所謂、国宝ってやつよ。気にったろう? 」
にやり。とカイイは笑う。
その時、突然だった。シオンがぱたりと、その場で眠りに落ちたのだ。
「おろ? 電池切れ……ぁ? 参ったな、おいらも酔っちまったのか? へへ。悪ぃな坊主。もちぃと、最後にゆっくりと話したかったが……」
彼は、机に突っ伏すと、豪快な鼾を立てだした。
キミィは、彼の背に布団を掛けると、自分にも、眩暈の様な異変を感じた。
――何だ? これは……まさか……
そこで、一斉に、襖が開かれた。
そして、その先に居た一群をキミィは、霞む瞼で捉えていた。
「どういう、事なんだ? 」
その一群を率いる様に中央に居た人物は彼も良く知る人物だった。
「国家反逆者キミィ・ハンドレット。国際条約に乗っ取って、貴様を処罰する」
竜胆の花を思わせる輪郭の彼女は、そう冷淡に宣言した。
「かかれ」
そのエリカの言葉で、一斉に武装した男達がキミィに襲い掛かる。
キミィは即座に傍に在った『葛飾一茶』を取ると、鞘から素早く抜刀した。
キン――と、刃が鳴ると、一斉に二人、相手が倒れた。
「お見事」さも、それぐらいは当然――とでも云う様にエリカは言った。
――まずい……
身体が言う事を利かなくなっていた。どうやらこれは……
「ええ。毒を食事に混ぜました。しかし、貴方には『天』の精霊『ウィスパ』による
その言葉が言い終わる前に、キミィの膝が落ちた。しかし、震える足で彼はシオンの前に立ち塞がった。
「そんなに、その淫魔が大切か――姉と子を護れなかった分際で……その魔族の子どもは守ると言うのか……」
震える声が、徐々に大きくなる。
「心配するな。反逆者キミィ・ハンドレット。ちゃんと、その魔族と一緒にあの世に送ってやる……かかれぇ‼ 」
凛とした声が、屋敷に響き渡った。
――く……そ……身体が……
キミィは、死を覚悟し瞳を閉じた。
――だが……これで……やっと……
キミィの覚悟を、男達の刃が切り裂こうと、振り抜かれた瞬間。
一陣の風が巻き起こる。
同時に、重い物が崩れる音。
キミィは、その理由を、霞む瞳で何とか捉えた。
「安心しねぃ。おめぇらは、皆おいらの家族だよ。
喩えおいらに刀を向けようが……
傷つけはしねぇ……ただ……みねうちでも……おいらの剣は……痛ぇぞ? 」
金色の闘気が、その者を包み込んでいる。気迫、執念、鍛錬、自信、成果、実績。彼を支えているそれらが『力』という根本的且つ単純な物によって纏められた全て。
そして、その者を見て、初めてエリカの表情が歪んだ。
「御父上」
キミィの前に立ち塞がりしは、伝説の剣神、カイイ・ハンマ。
「坊主」
懐から、小さなアンプルをキミィに投げ渡すと、カイイは続けた。
「悪ぃな。明日ちゃんとした見送りをしてやる予定だったが、こういう状況だ。すまねぇが、せめてもの旅の手向けとして……」
場の空気が、まるで体重を帯びたかのように一気に重くなる。
「おめえらが、無事に逃げるまで、おいらがこいつら止めとくからよ」
気。圧倒的な武人が剣を構えただけで起こる。それで、襲い掛かろうと意気込んでいた一群は、一気に士気を失う。
キミィはアンプルを割り、それを一気に飲み干すと、右手にシオンを抱え、左手で餞別を持ち、出口へと駆けた。
「カイイ」
本当は、言葉など不要だったろう。
「死ぬな」
「ばーろい、誰に言ってんだ」
二人は口角を少し挙げると、背で言葉を交わした。
「さーてぃ。おめぇーらぁ……久しぶりに稽古つけてやるぜ」
その言葉に、エリカは顔を顰めて笑う。
「狸寝入りとは……恐れ入りましたよ、御父上」
キミィは、逃げながら衣服を着替え、そして、帯刀した。
これを受け取ったその直後に襲われたのが、不幸中の幸いだった。
思い入れのある剣を失ったのは痛いが、今は武器を持ち、逃走出来る事の幸運を喜ぶべきだろう。
「シオン。シオン‼ 」
眠る彼女の名を呼ぶ。状況的に、覚醒してもらわないと、とてもじゃないが、この修羅場から脱出する事は難しいだろう。
「仕方ない……数多なる『天』の精霊よ。この魔族の眠りを妨げ給え」素早く左の手で宙に印を刻むと、光がシオンを包んだ。
「ん……? キミィ……様? 」
覚醒後の微睡みで、シオンは現在の状況が把握出来なかった。
「一体……? 」
「館に追手が来た。今はカイイが抑えてくれているが、敵は恐らくまだ、大量に居る……‼ 目が覚めたら、飛行して、先を見通してくれ」
その、言葉に、半分瞑っていた蜜色の瞳が見開かれた。
「居たぞ‼ こっちだ‼ 」
そして、間もなく、大勢の人族の声が、二人の背後から聞こえた。
「よいっと」まるで、遊ぶ様な声を挙げ、カイイのみねうちが男の胸に入る。
これで、用意していた精鋭の隠密二十四名が、全て倒された。その事実を受けて、なお。エリカの瞳には決意の色が灯る。
「御父上――何故、あの大罪人を庇うのです?
あの男を匿えば、『焔』にとっても、外界から悪として見なされ、攻撃を受ける危険がある事はお判りでしょう? 都を滅ぼすおつもりですか?
それに――あの男は……‼ 」
カイイは、余裕を見せてはいるが、内心はその時の訪れに怯えていたのだ。だが、それを見せる訳にはいかない。特に――今目の前に居る、この者には。
「エリカよぉい……キミィを恨んでも……エリスは、ミナは……戻っちゃ来ないぞぉい? なぁ、エリカ。あいつはな? あいつは、意味もなく人を斬り伏せる様な悪に染まった男なんかじゃねぇ……だってそうだろ? あいつはよ」
カイイはす~~っと大きく息を吸った。
「勇者なんだぜ? 」
月明かりが、部屋に注がれる。向かい合った父娘の間に、それはまるで天に通じる梯子の様に見えた。
「おめぇの姉ちゃん……おいらの娘が……惚れた男。なんだぜ? 」
その言葉は、エリカの心の奥を貫く言葉だ。
「だから、何だと言うのだ‼ 奴は人族に刃を向けた狂人だ‼ 大罪を犯した‼ 」
飛び込んだエリカの、疾風の様な胴斬りを、流れるような動きでカイイはいなした。必然――エリカは、背をその剣神に預ける様な、絶対的無防備な姿を晒す。
「目が覚めたらよ。また、おいらが寝るまで、酒を注いでくれよ」
刃を裏返し、その細く美しい首に放とうとした。
その時だった。
「‼ ――ゲホッ、ガハ‼ ゴホッ‼ 」口から大量の鮮血が噴き出し、カイイは、その場に崩れ落ちる――咳と共に身体が痙攣を起こし、起立は困難という事は誰の目にも明らかだ。
「はあはあ」と、乱れた息を止めようと、彼は必死で胸を押える。
その眼前に、強い気配を感じた。
「ドンッ」
その正体を、確認する間もなく、衝撃がカイイの右手――つまりは刀を持った手に落ちた。
カイイの朧気な目がそれを確認すると、そこには刀を持ったままの自分の腕が、まるで折れた枯れ木の様に血を流しながら、畳に転がる。
その意味を理解し――なお、彼は相手に対し微笑を見せた。
それは、剣士として? いや、父親として――相手に対し罪悪の心を持たせぬ為の心意気……そして……覚悟。
「仕損じるなよ、エリカ。おいら、痛えのは、御免だぜ? 」
「さらばです――御父上」
その一突きは、見事に背から心臓を一突きにした。恐らくは即死。苦しむ間も無かったろう。だが、カイイは、確かに満足した様な笑みを浮かべ――逝った。
「え、エリカ様……‼ こ、これは……カイイ様⁉ そんな! 」
応援に駆け付けた隠密達を背にエリカは外を睨み、宣言した。
「大罪人、キミィ・ハンドレットを追う! 闘える者は、私に続け‼ 山狩りにこれより向かう! 」
エリカの頬を伝った様に見えたそれは、涙か?
それとも、月明かりが見せた輝きだったのか?
それは、誰も解らない。誰にも解らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます