第6話 得物
吉岡勇気は、よろよろと校舎の中へ逃げていく坂本佳乃を昇降口付近まで見送っていた。それは無論、彼女を気遣ってのことではない。
「先発メンバーを決めるぞ! 1年と2年はクラス代表男女1名ずつ、そして3年は全員集合しろ!」
彼は全校生徒と赤鬼に聞こえるように声を上げた。彼が立つ昇降口前から赤鬼までは300メートルの距離がある。小声では赤鬼に声が届かない所に、自然な形で移動するためだった。
オニ役の坂本佳乃と、この場に不在の豊田庸平を除くと3年生の総勢16名、そして下級生の男女4名がぞろぞろと吉岡の周りに集まり始める。
「さて、赤鬼の指示通り、先発メンバー7人と、それに続く追跡者の順番をどうするかだが……この中で先発メンバーに入りたい奴はいるか?」
吉岡の問いかけに互いに顔を見合わせる生徒たち。
手を挙げる者はいない。
それは至極当然の結果である。
「オニ役を見つけたら……殺さなければならないんだぞ!」
「坂本さんを殺すって、あなた本気で言っているの?」
「だ・か・ら、殺したいとは言っていないだろ!」
「連行するだけでも良いって……」
「でも……連行したあと坂本さんがどうなるか分かるよね!」
1人の発言を皮切りに、生徒たちは互いの意見を言い合い始めた。自身に向けられていたナイフの切っ先が、一時的にとはいえオニ役の坂本佳乃に向けられたことで、直接的な恐怖心から解放されたのだ。
「佳乃ちゃんを助けてあげて! 悪いのは逃げた最弱君なんだから!」
「そうだ、最弱がすべて悪い! 奴は卑怯者だ!」
「最弱を見つけて赤鬼に突き出せば、オニ役をチェンジしてもらえるんじゃない?」
「いいね! その作戦でいこうぜ」
皆の意見がまとまり始めたところで、吉岡が告げる――
「赤鬼は俺たちとの約束は守らない。俺たちが最弱を捕まえて赤鬼の前に連れだしても、その時はオニ役が二人に増えるだけだ」
『俺だったらそうする』と言いかけて、吉岡は言葉を飲み込んだ。
「君たち、ボクに考えがあるんだが……」
吉岡の背後から声がした。
2年生のクラス担任の山田先生だった。
山田先生は数学と理科を兼任する35歳の男性教諭である。
「今、君たちの副担任の鈴木先生が怪物と交渉しているところだが、病気を装った生徒を下校させて、警察に助けを求めようと考えている。この中で誰か病人の役をしてくれないだろうか?」
「先生、警察を呼ぶなら携帯電話でした方が早いですよ」
「それが……怪物の襲来直後から携帯の回線が切れているんだ……職員室の電話も使えないし、何がどうなっているのやら……」
山田先生がそう嘆いたとき――
「きゃぁぁぁ――――!」
女子生徒の悲鳴がきこえた。
吉岡達が振り返ると、赤鬼と交渉していたはずの鈴木先生が空中に飛ばされてる様子が見えた。
*****
「さあ時間だ! 最初に追跡する7人はもう行くがいい……おっと、その前にオニ退治には得物が必要だろう!」
赤鬼は左手を空に向かって振り上げ、勢いよく下ろす動作をした。
すると赤鬼の前方10メートル、高さにして5メートルの場所に突如、漆黒の闇の空間が出現し、大量の何かが地面に降り注いだ。
生徒たちは校庭に散在したそれらを近寄って観察する。
「武器だ! どこから運んできたんだ?」
「上空から降ってきた?」
生徒は一斉に騒ぎ始める。
「すげえ、機関銃にロケット砲まであるぜ!」
兵器マニアの長髪男子が興奮を抑えられないという感じではしゃいでいる。
「うわっ、これ本物の日本刀だ。重くて振れそうもないな」
「この小さな機関銃は使いやすそうだ。僕はこれにするよ」
「この手榴弾本物か? 想像していたよりも軽いんだなぁ……」
男子生徒の半数近くは臆せずに初めて見る本物の兵器に興奮していた。
「君たち、すぐ武器を戻すんだ! それは人殺しの道具なんだぞ!」
2年生担任の山田先生が男子生徒たちに指示する。
しかし――
「せんせー、ボクたちオニ役の坂本サンを殺さなくちゃ全員殺されるんです。これは正義の戦いなんですよ」
3年生の黒縁メガネ男子が大きな機関銃を肩に担いで言った。
そこへ吉岡勇気が間に入り、
「先生も武器を持ってくださいよ。赤鬼に怪しまれます。それに万一の時は赤鬼を攻撃するのに使えますから」
と自らも手榴弾と拳銃を制服とズボンのポケットに入ながら言った。
「さあ、貴様ら急がないと時間切れになるぞ。オニ役を連れてこないと全員死ぬのだぞ、フハハハ……」
赤鬼の高笑いに吉岡はイラッときた。
「よしっ、先発隊の7名、出発するぞー!」
吉岡のかけ声に応じた3年男子5名と山田先生が校舎へ向かって走り出した――
*****
「どうして私だけがこんな目に遭うの?」
坂本佳乃は必死に涙を堪えつつ、階段を上っていた。
涙が床にこぼれることで追跡される危険が増える。
だから佳乃は涙を堪えている。
脳裏に浮かぶのは、毎日のようにいじめられていた記憶。
いじめられていた頃の経験が、生死を分けるこの場面で活かされるとは、何という皮肉なことか。半年前までとは違うのは、今日は見つかったら死に直結すること。
「でも……同じね。私の中ではどちらも同じこと……」
クラス全員にいじめられることは『死の宣告』を受けていたようなもの。
ふと、今日まで生きてこられた自分を不思議に感じた。
この半年間で『友達』ができ、死の恐怖を考えないで済む日々を過ごせた。
その理由は――
「豊田君が転校してきたからね」
転校生の豊田庸平が自分を庇い、新たなイジメのターゲットになってくれた。
そして彼女はイジメから解放された。
しかも、イジメる側に回ることができ、『友達』もできた――
しかし今回、その豊田庸平がいなくなったことで、自分はその報いを受けることになった。
これは仕方がないこと……
佳乃は自虐的な表情で微笑み、そう自分を納得させようとしていた。
廊下に掛かる電波時計を見る。
「5時10分…… あと50分間逃げ切れば……」
自分は助かるのだろうか?
赤鬼は約束を守ってくれるだろうか?
しかし今はそれを信じるしかない。
学校の『仲間』が敵となった今、彼女には巨体な魔物、赤鬼の言葉を信じる道しか残されていないのだから……
坂本佳乃は3階の音楽室の扉の前で立ち止まった――
*****
その頃屋上では、最弱と呼ばれる男、豊田庸平が瞑想に入っていた。
校庭での一連の出来事は、微かに聞こえてくる情報で理解した。
今、自分をいじめていた生徒達が大変な目に遭っている……
時折、それが爽快感となって現れてくる自分を律しつつ瞑想を続けていた。
人は誰でも鬼の心を潜めている。
庸平はそれを認めるしかなかった。
むしろ、それが本当の自分の姿なのかも知れない――
「よしっ、俺は俺の人生をここから始めることにした。俺は最弱だ! だから酷いことをしてきた奴らには同情しない! むしろ奴らが酷い目に遭うと清々するのさ! 奴らがどうなろうと知ったことか! しかし――」
庸平は目を開け、スッと立ち上がる。
「俺の先祖が封印したはずの鬼の野郎が勝手に暴れているこの状況は見過ごす訳にはいかない。俺にその力が有るとしたら、赤鬼をぶっ飛ばしてやる! 人間をなめるんじゃねーぞ!」
これは祖父の家の蔵で見つけた古文書の内容を頭の中で反芻し、導き出した結論である。陰陽師の存在を当の本人が疑心暗鬼であった故に試すことのなかった数々の情報が、赤鬼の存在を目の当たりにしたことで現実のものとして考えられるようになったのである。
ふと足元を見ると、大量の紙切れが散乱していた。庸平はそれに見覚えがある。何者かが彼の机の中やロッカーに忍ばせていた謎の紙――
それと同じ紙がなぜ屋上に散乱しているのか。
彼はそれをかき集め、ポケットにしまい込んだ。
それから彼は3階へ下り、階段から最も近い部屋、音楽室の扉で立ち止まる。
音楽室は防音のため重い鉄扉であり、通常は鍵が掛かっている。
しかし、通気用の足下にある小さな引き戸のうち、1カ所だけはロックが外れ易い。
いじめから逃げる際に、庸平はよくここを避難場所として利用していたのだ。
「よし、まずはここを作戦本部として準備を整えよう!」
庸平は四つん這いになって、音楽室に侵入した――
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