第3話 オニギメ
校庭では、吉岡勇気が震え上がっていた。
彼の目の前に突然現れたのは、高さ5メートルを超える巨体。
2本足で立つその姿は――
「お……鬼!?」
肌はどす黒く、しかしよく見ると赤褐色にも見える。
体全体から異様な臭気も放っていた。
髪の毛は荒れ放題に伸び、腰まで届く長さ。
戦国武将の甲冑の様なものを身につけている。
ぼさぼさに伸びた頭から生える2本の角。
それは昔話に登場する姿とは趣が異なるものの、まさしく『赤鬼』であった。
赤鬼は吉岡勇気をジロリと見やる。
「おい、貴様。この場にいる人間を集めろ! 全員、一人残らずだ!」
ごつい風体には少々不釣り合いな高めのトーンで赤鬼はそう言った。
吉岡は唾をごくりと飲み込み、言葉を探す。しかし声が出せない。
そのとき――
「吉岡、後ろへ下がっていろー!」
金属バットを両手で握った体育教師が赤鬼に向かっていく。
『ガコッ!』
鈍い音と共に、体育教師の体は10メートル跳んだ。
まるで飛んできた羽虫を追い払うような仕草で赤鬼がなぎ払ったのだ。
「ううっ……」
体育教師の身体は地面に転がり、彼はそのまま動かなくなった。
「きゃあぁぁぁぁぁ――!」
周囲の女子生徒の悲鳴が、のどかな田舎の山村にこだました。
その赤鬼の一撃は、生徒たちを恐怖のどん底へと陥れた。
*****
赤鬼の命令により吉岡勇気は赤鬼の前へと全校生徒を集めた。
生徒たちは一様に不気味な赤鬼の姿に戦々恐々となっていた。
そのやや後方に、坂本佳乃は親友の長谷川智恵子とともに立っていた。
「何なの、あの不気味な生き物は……」
佳乃は呟いた。
不気味な生物は吉岡に何事かを命令している。
遠くてその内容はわからないが、その生き物は確かに吉岡と会話している。
「言葉を話す巨人……? そんなものがこの世界に存在したの?」
佳乃は隣にいる親友の智恵子に言った。
智恵子は何も答えなかった。
「貴様らの命はワシが預かった! 人間の諸君、ゲームをしようではないか!」
生徒達はどよめく。
赤鬼の宣言の意味が全くもって理解できない。
人は分からない状況をひどく怖れる生き物なのだ。
赤鬼はニヤリと笑い、言葉を続ける。
「これは貴様らの生き残りを賭けたゲームだ。まず1人、オニ役を差し出せ!」
生徒達は再びどよめく。
1年生の男が訊く。
「あの……オニ役になった人は何をするんですか?」
「逃げろ。ひたすら逃げるがいい。逃げられればオニ役は助かるのだから」
「あの……もし逃げられなかったら?」
「貴様らが殺せ!」
生徒達がざわめく。
みな、『殺す』という言葉を聞いて動揺しているのだ。
凶暴そうな風体の赤鬼から発せられたその言葉は、文字通りの意味であろうことは想像に難くない。
しかも、『殺す』のは赤鬼ではなく『貴様ら』であるという。つまりそれは、生徒同士で殺し合うことを意味しているのだ。
吉岡勇気は赤鬼に背を向け、生徒達に向けて両手をあげて、
「みんな一旦落ち着こう! まずは相手の要求を聞こうじゃないか!」
と、全員に通る声量で呼びかけた。
吉岡はこういう場面での統率力に長けている。弱い者いじめでストレスを発散する欠点さえなければリーダーシップをとれる男なのだ。
「俺たちは仲間を殺したりなんかできないし、絶対にしない! そうだよな?」
吉岡は全員の気持ちを代弁するように言った。
――それは一瞬の出来事であった。
「なら、貴様が先に死ぬか?」
吉岡の顔の間近に赤鬼の巨大な笑い顔。
大きな指の先端――尖った爪の先が吉岡のこめかみに突き刺さっていた。
赤鬼は約10メートル離れていた場所から吉岡の所まで瞬時に移動していたのだ。
吉岡のこめかみから少量の血液が流れる。
しかしその量から考えるに、それは寸止め状態の脅しなのだろう。
赤鬼は恐怖に引きつる吉岡の顔に自分の顔をすり寄らせて『ニタァ』と不敵な笑いを浮かべた。
*****
『赤鬼』が指示したルールはこうだ。
1.オニ役は学校の敷地内を自由に逃げ回る。
2.3分後に最初の追跡者を7名、以降3分ごとに追跡者を2人ずつ解放する。
3.追跡者はオニ役を見つけ仕留めるか連行すれば勝ち。
4.オニ役は逃げても追跡者に反撃してもよい。
5.夕方6時までに逃げ延びたらオニ役の勝ち。オニ役以外全員死亡確定。
「さあ、オニ役を決めるがいい!」
ルールを説明し終わると、赤鬼は生徒たちに指示をした。
吉岡勇気が一歩前に出て質問する。
「オレたちを戦わせて何が目的なんだ?」
背後から「そうだそうだ」という声が上がる。
「目的?」
赤鬼は不敵な笑みを浮かべて答える。
「恐怖に怯え、絶望した様子を見るのが面白いじゃないか。なあ、そうだろう? フハハハハハ……」
吉岡は赤鬼に視線を送られて全身が硬直した。
(自分の性格を言い当てられた? いや待て、ありえない。そもそもオレは他人の死までは望んでいない……これは偶然だ! たまたまオレがこいつの近くにいたというだけのことだ……)
「さあ、残り時間がどんどん短くなっていくぞ。オニ役を早く決めるがいい!」
赤鬼が催促した。
生徒たちは互いの顔を見合い、動揺している。
この中から一人、オニ役を決めなれればならない。
それはつまり――
「誰か犠牲になってくれ!」
「そうだ、誰か一人が犠牲になってくれれば全員助かるぞ!」
「なあ、おまえ陸上部だよな? おまえがオニ役なら逃げ切れるんじゃないか?」
「ふ、ふざけるな! 絶対そうは思っていないだろう? 僕が逃げ切れたら自分たちが死ぬんだぞ。うまいこと言って誤魔化すな!」
3年生の集団からやがて全校生徒へと言い争いが広がっていく。
オニ役の一人を犠牲にすれば、その他の全員が助かる。
絶望的な状況から脱するための、一筋の光が見えていた。
「最弱にやらせようぜ!」
3年生の中からそう声を上げる者が出始める。
「そうだ! 最弱がいるじゃないか」
生徒達は口々にそう言い始める。
探していた答えが見つかった……
そんな安堵感が集団に漂い始めた。
しかし――
「最弱はどこに?」
「最弱がいないぞ!」
「一緒に逃げてきたんじゃないのか?」
校庭に集められたはずの『全校生徒』の中に最弱の姿はなかったのである。
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