第5話 化け物

 普段人の形を成している獣人は、本人の意思一つで、獣の容貌に変化することが出来る。それを獣人の『獣化』と呼び、そうなった最後。彼らの身体能力は人型の時とは比べ物にならない程上昇し、軍隊一つと同等の力を得る。


 金髪の美女を守るように抱え、戦意をその身に滾らせる柚葉は既に獣化を済ませていた。ブロンドの髪と同色の猫耳をチョコンと真上に立て、真っ白な毛並みの尻尾はふんわりと宙に浮かべている。

 「柚……何でここに……?」

 囂々と降りしきる雨の中、海斗は疑念に目を丸くした。

 「連絡がないから心配で出てきたの。博士に電話したら今日色々あったからって……」

 不意に柚葉の表情が寂し気な色に変わる。きっと海斗がトミオと喧嘩したことを聞いた後なのだろう。そのことも相まり、彼女は中々連絡をくれない兄を案じてここまで捜しに来てしまったのだ。

 考察を終えた海斗は後悔し、口の端を噛む。自分が一本電話していれば、柚葉を危険な現場まで引き寄せることはなかったはずなのだ。

 「柚……早く逃げろ。そいつはお前の勝てる相手じゃ……」

 「お取込み中悪いんだけどよう」

 不意に白スーツの男が、海斗の話に割って入る。新たな敵が嬉しいのか、大げさに口を開いて光る犬歯を剥いて見せた。

 「お前ら全員殺していいんだよな? いやーまさかあそこで助けに入られるとは思わなかったよ。けど怒っちゃいねーぜ。殺せる奴が増えるんならそれで」

 「あんたねえ!」

 そんなことはどうでもいいと、次は柚葉が、男の語りを断ち切った。碧眼の美女を地面に降ろし思いの限り息を吸い込むと、ここぞとばかりに唇を尖らせ、

 「あんたみたいなやつがいるから獣人はみんな悪だなんて言われるのよ。本当に何様のつもりなの? 私たちがどれだけ迷惑してるかわかる?」

 怒涛の如くまくしたてる。柚葉は相当怒り心頭なようで、額に太めの青筋を何本も浮かべていた。猫の姿をした少女が見た目チンピラでしかない大男に食って掛かっている。何と不思議な絵面だろう。

 先刻まで命を狙われていた碧眼の美女も、目の前で繰り広げられる異様に目を丸くするしかない。海斗を横目でちらりと見てくるが、その顔には「どうすれば?」と、戸惑いの表情が張り付いていた。

 だとしても、現状が危険なことは些かも変わらなず。

 男は、柚葉の異議申し立てを唾を吐いて聞捨てると、

 「何様のつもり? 言ってる意味が分からねえなあ? 力があるなら使うべき。獣人が人を襲って何が悪いんだ、あ?」

 嘘言ではない。この男は本心から思っている考え方を、素直に吐き出しているだけだ。海斗はその場で言葉が出ず、疼く様な胸の痛みを堪えるだけで精いっぱいだった。

 より強い怒りの形相となった柚葉と、畏怖の感情が膨らみつつある碧眼の美女。男は舐めるように二人を見渡し、小さく頷きながら一人納得すると、

 「まあいいや。別にお前らの価値観なんざ興味はねえ。全員殺せりゃ……」

 途中で言葉を切る。足腰にぐっ力を込め目を引ん剥くと、禍々しい唸り声を迸らせた。

 腹に響く様な振動であたり一帯がどよめき、葉擦れの音が何重にも重なる。落雷や土砂降りなどは、もはや装飾品にもなりはしない。

 この異様は、もはや考えるまでもなく――。

 「柚葉! こいつ獣化する! その娘連れて走れ! できるだけ遠くだ!」

 一心不乱に今できる最善の支持を飛ばした。

 「いえ、でも……」

 が、柚葉は刹那逡巡。

 そんな妹の対応に、海斗は苛立ちと恐れを露わにしない訳にはいかなかった。何故ならその「刹那の間」は、獣化した男にとって、人ひとり殺害するのに十分すぎる時間だったからだ。

 「おいおい。何勝手なことしようとしてやがる?」

 巨大な影が風圧をまき散らし疾駆すると同時に、低く酷薄な声が降りしきる雨音を遮った。

 今まさに逡巡の動作を終えた柚葉の前に、巌のような巨体を持つ狼男が立っている。

 男は不敵な笑みを刻み、月夜に輝く鋭利な爪をぐっと突き出す。

 「こいつ殺せば逃げられる心配ないんだもんな? 大声で作戦さらすとか、お前ほんとに軍人か?」

 醜悪なアギトを鳴らし、情け容赦なく柚葉の顔面に向かい――。

 「ん?」

 爪甲が滑らかに空を切ると、男は短く唸り、何が起きたのかとぎょっと目を凝らした。そして今しがた起きた信じられない事象を確認すると、挑発するように「ふん」と鼻を鳴らし、舌なめずりをした。

 「ふう……。危なかった」

 「お兄ちゃん……?」

 飛翔する海斗の腕の中で、柚葉はきょとんとした面輪を兄に向けている。間一髪のところで兄に命を拾われたのだと言う事実を、まだ呑み込めていないらしい。

 「かっこいー! 何だよ何だよ。そう言う顔しようとすれば出来んじゃねえかよ」

 空に舞う海斗を見上げながら、狼男は震えて歓喜した。自分が本気で戦える相手を前に、相当わくわくしているらしい。

 数秒と待たず、海斗は地に足をつける。確かにここにある妹の重みを降ろすと、

 「あの娘連れてさっさと逃げろ。反論は認めない。あと、何が会っても戻っては来るな」

 狼男など脇目も振らず、厳命した。優先すべき事は感情論ではなく効率。軍人に一番必要なスキルは、いかに被害少なく敵を殲滅できるかという点に他ならない。

 「おいおいおい。何を無視してくれちゃってんだてめーわよー」

 自分の声がまるで届いていないので、少しだけ腹を立てたようだ。

  海斗は我が意を得たりと冷笑。そのまま追い打ちをかける。

 「お前獣化に時間かけすぎ。あれじゃさすがに俺でも間に合うって」

  見下すような口調で攻撃を回避できた理由を、端的に述べた。

  そんな態度のとうとうカチンときたのか、狼男は憤怒を滾らせ、

 「てめえ、ころす」

  殺人予告を繰り出した。

  その様子をみて、海斗は内心ほくそ笑んだ。

  獣人は獣化することで飛躍的に身体能力を上昇させるが、その代わりにいくつかのデメリットも抱えている。特に狼のような『肉食種』は、獣化した際凶暴性が増し、そのせいで判断を誤ることがあるのだ。

 暴走されるようなことがあればひとたまりもないが、現状は奴の意識を自分に向けた方が何かと都合がいい。

 海斗は今一度あたり一帯に目を走らせると、

 「早く行け」

 突き放すように柚葉の背中を押した。

 すると、一瞬の迷いが戦況を左右することを経験したからか、柚葉は返事さえせず、

 「ちょっと怖いけどつかまっててね」

 碧眼の美女を腕に抱え――。雷鳴の如く疾駆した。

 猫の目を持つ柚葉にとって、これくらいの暗闇は朝にも等しい。この時間帯に迷いなく駆ければ、どんな生き物にも追いつくことは容易でないだろう。

 二人の影が見えなくなって、ようやくホット一息。海斗は荒々しく息を荒げながら柚葉を追おうともしない男を見やり、

 「追わなくていいのか? お前のその丸太みたいな足で駆ければ追いつけるだろ?」

 挑むようなセリフを吐露する。

 男は口の端をぐにゃりと歪ませ、

 「お前殺したらすぐ追うさ。オオカミは鼻がいいんでな。直ぐに見つかる」

 自慢するように自分の鼻を触れて見せた。

 「ま、なんでもいいんだけどさ。長話はそれくらいにして、そろそろ第二ラウンドと行こうぜ」

 そんな事に興味はない。柚葉を逃がした時点で、戦いの結果など決まっている。

 急に余裕が出てきた海斗を訝し気に見るも、狼男はこれから始まる血の流し合いの方に俄然気が昂っているらしい。拳をボキボキと鳴らし、威嚇のポーズをとると、

 「ほら。てめえも早く獣化しろ。そうじゃなきゃ張り合いがねえ」

 力の解放を促し始める。

 海斗は小さく嘆息。それ以上は応じず、ズボンのポケットに手を忍ばせた。

 「そっちからそう言ってくれると助かるよ。俺の獣化は少し見た目がよくないんでね、できたらあんまり大きい声とか出さないでくれ」

 掴んだカプセル状の容器を口の中に放り、嚥下する。

 「さっきの借りは、返させてもらう」


 刹那、世界が反転した。


 瞬く間に狼男の顔色が青くなっていき、迸る闘志は消失する。目を見開き怯えるように後退し、

 「何なんだよそれ……そんなのもはや……」

 草木がどよめく。空気が凍る。

 そして男は、言葉を繋ぐ――。


 「化け物じゃねえか」


 雨を刺す絶叫は時を移さず、雨の中へと消えていった。

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