第57話
俺はもう冷めてしまっている自分のコーヒーを鼻へ近付けた。姫条の前だとこれをしても大丈夫なのがありがたい。
「それで、あなたの身元を調べていたら興味深い情報が手に入ったのよ。失踪した女子生徒がいたって言ったでしょ? あれ、神々廻さんのお姉さんよ」
「本当か!?」
「間違いないわね。神々廻なんて苗字、そんなにいないはずだし、神々廻さんのお母さんも言ってたじゃない。お姉ちゃんと一緒の学校に行けるって喜んでたのにって」
「そうか、陽來の姉はこの学校にいたはずなんだな」
「そして、神々廻さんのお姉さんが私の前任者だった」
外からホイッスルの音が聞こえてきた。次いでサッカー部の掛け声も。その音に紛れるように姫条は静かに言葉を続ける。
「私は今年の四月始めに〈桜花神和〉の本部から連絡を受けてこの地域担当になった。そのとき告げられたのは、前任者が不在になったためという簡素な理由だったけれど、時期は一致するわ。それに、増幅器を持っていたというのなら決まりよ」
俺は最初に陽來に幽霊退治を始めるようになったきっかけを訊いたときのことを思い出していた。あのとき、陽來は呪文はお姉ちゃんが教えてくれた、と言ったのだ。そのときは厨二病姉妹かと思ったが、その呪文が正当なものであることを知る今、それは姫条の推察を確かなものにしてくれる。
「でも、どうして失踪なんか……?」
ぽつりと呟くと、姫条はカップを見下ろした。
「わからないわ。死神として何らかのトラブルに巻き込まれたか、本当に家出なのか。予想通りというべきか親しい友人もいなかったみたいで、クラスメートからの情報は役に立たないものばかりだったし」
「まあ、妹があれだからなあ。姉の性格も推して知るべしというか……」
「学校や社会で孤立してしまうのは、死神の宿命でもあるわ」
姫条の言葉に俺は口を噤んだ。
「仕方のないことなのよ。私たちは普通の人には視えない自縛霊と対話をするし、霊装武器を起動させる。一般人から見たら理解できない言動が多くなってしまうの。死神の任務も決して少なくはないから、人付き合いも悪くなるしね。元クラスメートから聞いた神々廻さんのお姉さんの評判は、独り言が多い、友達がいなかった、妄想が激しい、変な子、美人だけどあれじゃね……という散々なものだったわ」
独り言が多い、友達がいなかった……。
口の中で反芻した俺は、はっとして顔を上げた。
「ちょっと待て。ということは、おまえもクラスメートからそう思われてるんじゃ……」
思い出す。陽來を誤魔化すために二年の教室にはちょくちょく行っていた。そのとき、姫条が誰かと仲良く喋っているシーンを見たことがあるだろうか。いや、ない!
衝撃を受ける俺に、姫条は半目になる。
「別に私はそれを織り込み済みで死神をやっているんだから、憐れむのはやめて。以前、死神は中高生が多いと言ったのは、これが理由よ。霊感はほとんど生まれつきで素質がある人は十代のうちにこっちの道にスカウトされる。そうして死神になるのだけれど、社会では孤立しやすいし、任務も孤独な戦いだからすぐに辞めてしまう人が多いの。霊感があるからって死神であることを無理強いすることもできないしね」
「そこまでして死神を続けたいと思う奴は、やっぱり何か事情があるんだろうな」
「そうね。私もそうだけど、過去に何かあったり強い使命感があったりしないと、死神は務められないと思うわ」
姫条が紅茶を飲み終わったのを確認して、俺は「じゃあ、聞き込みに行くか」とコーヒーを流した。え、と姫条が瞬く。
「陽來の姉のこと、気になるだろ。昨日の陽來の態度も妙だったしな」
黒いミサンガに触れたときの陽來の反応は過剰だった。姉が残していったものを取られたくない。そう思っての行動にしてはちょっと異常だった気がする。
「でも、神々廻さんのお姉さんの件は、死神の任務とは関係ないわ。それより、あなたの身元の方が……」
「俺の方は手詰まりなんだろ。だったら、いいだろうが。調べられることからやろうぜ」
「もう学校の関係者はあらかた当たったわ。これ以上、誰に訊けと?」
「学校関連じゃねえよ。それだったらたぶん警察がとっくに聞いてるだろ」
失踪ならば、警察が動いているはずだった。それでも見つかっていない。つまり、公的に認識されている線では手がかりが薄いということだ。
「死神が行きそうな場所で聞き込みはしたのか?」
「そういうことね。それならまだだわ。どうせ見回りもしないといけないわけだし、ついでに神々廻さんのお姉さんについて調べるのも悪くないかも」
頷く姫条に、俺はふと思い立って訊いた。
「そういや、陽來の姉の名前って何て言うんだ?」
「紗夜」
端的に発された単語に脳がついていけなかった。「え?」と俺は訊き返す。姫条はそんな俺を一瞥すると言葉を重ねた。
「神々廻紗夜。それがお姉さんの名前よ」
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