第53話


 陽來はここ数日学校を休んでいた。入院には至らなかったが、打撲のため自宅で休養しているという。




 幽霊の俺が自宅に見舞いに行っていいのか? と姫条に訊いたら、「幽霊だからいいんでしょ」と言われた。確かに女子高生の部屋に男子がお邪魔するのを保護者の方はいい目で見ないかもしれない。


 そうして姫条に連れられて陽來の家の前まで来た俺は、姫条と並んで大きな洋風の門を見上げていた。

 庶民の感覚しか持ち合わせていない俺にとっては気後れしそうな豪邸である。それはどうやら姫条も同じだったようでしばしインターホンを押しあぐねていたが、やがて意を決したように押した。


 呼び出し音が鳴って少しした後に、「はい」と女性の声が機械越しに聞こえてくる。


「私、陽來さんと同じ高校に通う姫条と申します。陽來さんのお見舞いに来たのですけれど……」

「あらあら、今開けますからね。どうぞ入ってください」


 スピーカーが遮断されると同時に門が自動で開いた。思わず「おおー」と声を上げると、姫条の呆れたような視線を感じた。


「別にいいだろ。向こうに俺の声は聞こえないんだし」


 肩を竦めて応えた姫条は、無言で門の正面にある大きな一軒家へと向かう。そして、白く塗られた豪華そうなドアが開いた。

 目がぱっちりとした穏やかな雰囲気の中年女性が姫条を見て目を丸くする。

 間違いない。陽來の母親だ。


「まあ、陽來ちゃんにこんなしっかりしたお友達がいたなんて。上がってちょうだい。陽來ちゃんも退屈してるところだから喜ぶわ」


 笑顔の女性の招きに応じ姫条が「お邪魔します」と玄関に上がる。スリッパが一つしか用意されていないのはお約束だ。


「陽來ちゃんのお友達が訪ねてきてくれるなんて初めてのことだから、びっくりしちゃったわ。ごめんなさいね」


 姫条が靴を丁寧に揃えている間、陽來の母親は言った。


「いえ、こちらこそ、突然お邪魔してしまってすみません。あの、陽來さんの容態は……」

「まだ打ったところは痛むみたいだけど、元気よ。早く学校に行きたいってうるさいくらいに言っているわ」

「そうですか……」


スリッパをはいた姫条は母親に促されるままついていく。俺は靴を脱いで靴下のまま姫条を追った。


「姫条さんは、あの子のクラスメート?」

「いえ、私は陽來さんの一つ上の学年で……」

「じゃあ、陽來ちゃんがいつも言っている『先輩』というのは、あなたのことかしら。楽しい部活に入ったみたいで、高校に入ってからあの子、毎日嬉しそうに帰ってくるのよ」


 思わず姫条と俺は顔を見合わせていた。母親が振り返る気配がして姫条はすぐに顔を前へ戻す。


「それはたぶん、私じゃないです……」

「あら、そうなの? でも、こうしてわざわざお見舞いに来てくれる先輩がいるなんて、あの子、本当に高校では上手くやっていけてるのね。少し安心したわ」


 母親の屈託のない笑顔に姫条は気まずそうに視線を逸らした。お世辞にも陽來の高校生活は「上手くやっていけてる」ものではない。

 母親はその様子を見て口元の笑みをわずかに深くした。全部わかっている。そう言うような、苦笑にも似た表情だった。


「あの子、ちょっと変わってるでしょ。今まで学校に馴染めないことが多くて、あの子なりに苦しんでいたみたいなの。お姉ちゃんが同じ学校のときは、ずっとお姉ちゃんにべったりだったのよ。そのお姉ちゃんと同じ高校に行けるって喜んでた矢先に、いろいろあって……」

「いろいろ……?」


 反芻したのは俺だった。

 姫条は何か知っているのか、したり顔で沈黙を貫き母親について階段を上っている。


「姫条さん、これからも陽來ちゃんのことをよろしくお願いします」


 階段を上り切ったところで母親から丁寧に頭を下げられ、姫条が慌てて頭を下げ返す。

 陽來の母親は廊下の突き当たりまで姫条を案内すると、ドアをノックした。



「陽來ちゃん、学校の先輩が来てくれたわよ」



 中から「え?」という声がする。陽來の母親はドアを小さく開けると、姫条に「すぐにお茶持って来ますからね」と声をかけ廊下を引き返していく。


「お邪魔するわよ」


 姫条が声をかけ、ドアを大きく開く。


「姫条先輩!」


 女の子らしいピンクを基調とした部屋に埋もれるようにして寝ていた陽來が勢いよく身体を起こす。と、「いたたたー」とベッドに突っ伏した。


「おい、無理すんなよ。寝たままでいいからな」

「先輩まで!?」


 声をかけたのは逆効果だったようだ。陽來はもう一度身体を跳ね上げ、今度は「ううぅー」と呻いて転がった。


「見ないでくださいー。頭がボサボサなんですぅー」


 そう言ってヤドカリが砂の中へ隠れるみたいに、布団へと潜っていく陽來。

 姫条と俺は揃って、ほっとしたように息をついていた。

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