第29話

 電車を降りると、強烈な昼間の陽射しが照りつけてきた。



 思わず手をかざすが、幽霊には無駄なことである。手をすり抜けた光は容赦なく俺の網膜を灼いた。視界が白に侵される。


「うーん、陽射しが気持ちいいね、ハル」


 直射日光をものともせず伸びをした制服姿の少女が俺の霞む視界の中、笑いかける。



 何だろう、前にもこんなことがあったようなこの感覚は。楽しそうに浮かれる彼女と俺。



 自身の記憶を探りかけたとき、左耳から割り込む声によって意識を戻される。


「晴れてよかったですね、姫条先輩! 今日のためにテルテル坊主を百八個作った甲斐がありました」

「……そんなに作ったの?」

「はい! 窓がテルテル坊主で埋まりました!」


 想像すると凄まじい。煩悩の数だけテルテル坊主を作る奴があるか。


「動物園、こっちだって。駅から近いみたい」


 マユリが人だかりのできている標識を指さし、俺を振り仰ぐ。それに俺が頷くや否や、マユリは「ひゃっほー!」と無駄に高いテンションを爆発させて急勾配な坂道を一気に駆け上った。


「ハルっ、早く早く! 動物いなくなっちゃうよ!」


 振り返って俺に手招きするのも忘れない。


 売り物じゃねえんだから、と俺が呆れ顔になったところで、


「早く追いついてエスコート」


 左耳から指令が入る。それに俺は「はいはい」と返事をして坂道を上った。

 坂を上がれば動物園の入り口はすぐそこで、放し飼いにされている動物が出迎えてくれる。


「ハルっ、カピバラっ! カピバラがいるよっ!」


 既にマユリは大はしゃぎで入口にいるカピバラを撫で回していた。それから気に入った奴を見つけたのか、園内奥に向かって猛然と駆けていく。

 このペースについていくのか、と俺が早々にげんなりしていると、


「姫条先輩、マユリちゃんがチケットなしに入れるのはわかるんですけど、どうして先輩もスルーだったんでしょう。不思議じゃないですか?」


 突如、左耳から聞こえてきた陽來の声に、ギョッとした。


 上手くカモフラージュしたつもりが全然できていなかったらしい。ひやひやしている中、姫条の一ミクロンも動揺していない声が響く。



「そんなの、受付のお姉さんを恐喝したからに決まっているじゃない」



  ※注、犯罪です。



 他にもっと信憑性のある言いようがあんだろバカやろおぉぉう、と叫ぶのをぐっと堪えていると、陽來の「えっ」という声がした。


「先輩が恐喝!? あんな恐くない顔で恐喝できるんですか?」


 おまえも真に受けるな。


「できるわよ。ああ見えて、クラスでは極悪非道な人格破綻者で有名なんだから。恐喝なんてお手のものよ。私も何度脅されたことか。ここで×××されたくなかったら俺に×××を×××しろとか……」

「伏せられたところから大人の危険な香りがします! やっぱり先輩ってワルなんですね……」


 もういちいちツッコむのも疲れた。


「ねえ、ハルもエサあげようよ」


 気が付くと、マユリはどこから取ってきたのかカピバラに園内で販売されているエサをあげていた。カピバラはマユリの手から無心にエサを食べている。

 その傍に俺も近寄る。マユリと同じようにしゃがんでカピバラと目線を合わせる。と、その穏やかな目が俺を見たような気がした。


「こいつ……視えてるのか……?」


 まさかな、と思ったところでマユリがふふっと笑った。


「視えてるよ、たぶん。動物って、あたしたちに気付くこと多いんだ。野性の勘なのかなあ? 不思議だよね」


 エサをやり終えたマユリが勢いよく立ち上がる。


「よーし、次はフラミンゴだって。行ってみよう!」


 歩き始めたその足にカピバラが寄っていく。


「え? ついてくるの? わあ、ハル! 見て見て! すごいよ、あたしカピバラに追いかけられてる!」


 園内を走り出すマユリに、それを追うカピバラ。

 それを眺め、俺は動物園で正解だったなと思い始めていた。

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