第14話


「先輩、先輩ってコカイン中毒なんですか?」



 理科準備室に来るなり、陽來はそう切り出した。首を傾げる仕草は無邪気そのものだ。


「誰がいつどこでそんな物騒なもんを使ったよ」

「だって、いつもコーヒー飲んでますよね。てっきり、それも何かの病気なのかと……」

「カフェイン中毒って言いたかったのかよ! ちげーし!」


 俺は呆れてため息をつく。

 俺が飲めもしないコーヒーを作るのは、香りが強いためだ。臭覚は普通にあるので、コーヒーくらいしっかりした香りがあれば匂いをかいだだけで飲んだような気分になる。


「だったら、今日、わたし、紅茶を持ってきたんです! 先輩にばっかりおごって頂くのは申し訳ないので」


 俺の答えに笑顔になった陽來は、カバンから高級そうな箱を取り出した。


「別に気を遣わなくていいぞ。このコーヒーは職員室からパクってきたものだから」


 教員が帰った後に職員室に侵入して来客用のコーヒーやカップをせしめることなぞ、幽霊の俺には朝飯前だ。飯は食えないけど。


「やっぱ先輩、ワルじゃないですか! この紅茶、使ってください。家に余ってたものなので」


 差し出される立派な箱。

 中を見ると、数種類のティーバッグがきっかり詰まっている。新品だ。


「いいのか?」

「いいんです。……ほんとはお姉ちゃんのものだけど、いないので」


 陽來の声に暗いものが混じった。俺が目線を上げると、陽來は表情を瞬時に切り替える。


「どれがいいですか、先輩? ちなみにわたしはアッサムが好きです」


 一瞬見えた影のある表情はもうない。言いながら陽來はアッサムのティーバッグを取る。

 残念ながら俺にダージリンとセイロンの香りの区別がつくとは思えない。俺は無難にダージリンのバッグを取った。


 二人でカップにティーバッグをスタンバイして、ビーカーの水が沸くのを待つ。


「先輩って、何時頃ここに来てるんですか? わたし、終礼が終わると同時に教室出てきたんですけど、もう先輩はいましたよね?」

「……六限からかな」

「え、授業一つサボって来てるんですか? そんなことしていいんですか?」


 いいわけがない。


「新入生は真面目に授業受けとけ。ただでさえ、おまえは既に校内で奇人変人扱いされてんだから」


 俺より早く陽來に理科準備室の前で待たれていたら困るのだ。鍵のかかったドアをすり抜けることでしかここに入る手段はないのだから。


「先輩は、みんなに幽霊が視えること隠してるんですか?」

「平穏な生活を送りたかったら普通そうするだろうな」

「じゃあ、先輩が視えるって知ってるのは、わたしだけなんですか?」

「……そういうことになるな」


 言ってから、なんだ、俺の弱味でも握ったつもりか? と訝しんだが、陽來は邪念の欠片もなく微笑んだ。



「嬉しいです。先輩が初めて秘密を打ち明けてくれたのが、わたしで」



 笑顔が超特大の秘密を抱えた俺の胸にグサリと刺さる。


 俺は胸の痛みを紛らわすために布巾を手にビーカーを取った。水はもう沸騰しかけている。

 自分のカップにお湯を注ぎ、陽來のにも入れてやる。紅茶の香りが湯気と共に鼻先に上ってくる。


「なんで先輩は部活入らないんですか? やっぱりワルだからですか?」

「集団行動が苦手だから」


 これはあながち嘘ではないかもしれない。サッカー部とかを見ていても、あそこに混じりたいとは微塵も思わない。


「なら、先輩がこれを部活として立ち上げてくれませんか? そうですね、幽霊退治部とかどうでしょう?」


 幽霊退治部の部長が幽霊って、いろんな意味でダメだろ。

 勘弁してくれ、と言わんばかりに陽來を見るが、陽來は俺の視線に気付かずに砂糖を入れている。


「わたし考えたんですけど、わたしたちの活動が公に認められていないのがいけないんだと思います。公式にそういう部活を作ってしまえば、みんなもわたしたちを認めてくれると思うんです」


 いつの間に俺も活動していることになっているのだろうか。


「陽來、おまえ、その銃のこと、よく知らないんだろ? むやみに使うのはやめた方がいいんじゃないのか?」


 ずずず、と紅茶を啜る陽來が上目遣いで俺を見る。


「もしかしたら、使うことで何か副作用があるかもしれないし、間違って人間に当たったらどうなるか知ってるのか?」

「今のところ、わたしに何も異常はありませんし、人間に当たっても何も起こらないことは確認済みですけど……」

「今のところ、だろ。長く使っていったらどうなるかわからないぞ。その銃が得体の知れないものであることには変わりがないんだから」


 言っている途中で、陽來のキラキラと輝く瞳とぶつかった。その両手は胸の前で固く握られている。


「先輩……そんなわたしの先のことまで心配してくれているんですか……嬉しいです! 感激です!」

「ぇ、ぁ、ぃゃ……」


 陽來ではなく、自分の身の心配から出た言葉なだけに居心地が超絶悪い。

 俯いた俺の目の端で、陽來がビーカーを持って立ち上がるのが見えた。

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