勇者の事情 身につける


 あれから、どうやら眠ってしまったらしい俺が目覚めたのは夜になってからではあったけど、どうやら夕食の時間には間に合ったらしく、少しばかり空腹を覚えながらも、部屋を出ようとすれば。


「あ」


 こちらに来る途中だったらしいアイリスが、部屋から出ようとしていた俺に気づく。


「どうしました?」

「いや、腹が減ったので……その……」


 食堂かどこかに食べに行こうとしていたと話せば、アイリスはクスクスと笑う。


「ああ、すみません。別に他意は無いのですが、何と言うかまあ、案内でしたら、メイドたちに頼めばよかったのでは?」


 アイリスの言う通り、現在も数人のメイドさんたちが忙しそうに行き交っている。


「でも、皆さんお忙しそうなので、一人で行こうかと思ったんです」

「そうだったんですね。それでは、私がご案内しましょうか」

「ありがとうございます」


 アイリスの申し出に感謝しつつ、食堂まで案内してもらい、彼女とともに夕食を済ませれ、再び部屋に戻る。

 この世界は娯楽というものが少ないのか、本を読むことしかやることがない――いや、そもそも召喚時の翻訳魔法があるとはいえ、この世界固有の字としてはあまり読めないのだが。


「……特訓、か」


 夕食時に、アイリスから剣や魔法の特訓が明日から始まるのだと教えられた。

 魔法はともかく、体力が必要そうな剣の訓練に付いていけるのか、正直不安である。

 召喚後に寝ていたこともあって、あまり眠くはないのだが、特にやることもないので、寝ることにした。目を閉じていれば、寝られることだろう。


   ☆★☆   


 特訓――訓練初日。

 まずは剣の訓練だが、現代っ子である俺に、戦闘に必要で、剣を扱うのに必要な体力があるはずもなく、まずは体力作りから始まった。


「そういや、勇者様は戦いの無い世界から来たんだったな」

「ああ、だから、あんななのか」


 そんな馬鹿にしたような嫌みも聞こえてくるが、事実だから否定できないが、あんな奴らのために少しでもこの世界を救おうとしている事実ことに、「こんな世界、見捨てれば良いんじゃない?」と悪魔の囁きが聞こえてくる。

 けれど、その程度で世界を見捨てては、心が狭いだとか言われかねないし、何よりアイリスのような子も居るので、そう簡単に決断できない。

 だからこれは、元の世界に戻るために必要なことだと思って、特に反応することもなく、訓練を続けた。


「……二~三周走るだけで、息が上がるとかマジか」


 訓練場の広さは学校のグラウンドぐらいの広さがあるのだが、召喚特典でちょっとは体力が増えてるかと思ったのだが、そんなことは無いらしい。

 しかも、今は軽装だが、もし防具とか着ければ、さらに息が上がるのではなかろうか。


「……ヤバいな」


 体力でこれだと、魔力の方も実はそんなに無いんじゃないかと不安になってくる。

 勇者として召喚されたのに、その召喚された俺がこのザマでは、期待してくれている人たちは落胆することだろう。

 せめて、この世界では一般的とされているレベルまでの強さぐらいは身に付けたい。


   ☆★☆   


 剣の訓練が終われば、次は魔法の訓練である。

 初日である今日は、座学と使用出来る属性の確認をやるらしい。そもそもこの世界での魔法の知識すら無いから、有り難い。

 あと、少しでも顔見知りも居る方が良いと言うことで、アイリスも同席するらしい。……彼女にまでがっかりしてほしくないので、なるべく恥をかないようにしよう。


「基本的な部分は同じなんだな」


 基礎も派生も、異世界転移や転生もので見た魔法の説明とそんなに違いはなかった。


「それでは、基礎の基礎が分かったところで、勇者様が使える属性を見てみましょうか」


 使用属性の確認では、もう定番と言うべきか、勇者(仮)とされていることもあって、使える属性は『光』を筆頭に『闇』を除く全属性と来た。どうやら、俺のチートは魔法の方に振られたらしい。

 いや、剣も慣れれば強くはなるんだろうけども、魔法でこれだと、剣よりも魔法重視の勇者に……なるのは駄目なのかなぁ。


 とりあえず、魔法側も一日目を終えたので夕食を済ませ、部屋に戻る。

 明日は筋肉痛になってるのが、簡単に予想できる。


「……みんな、どうしてるかな」


元の世界で、俺の扱いはどうなっているのだろうか。

 行方不明なのか、そもそも最初からいない人扱いなのか、それとも――……


「本当、何で俺が『勇者』なんだか」


 昨日と同じように、他にももっと相応しい人がいたはずなのに、どうして自分が選ばれたのだろう。そう考えてしまう。


「……」


 せめて一言ぐらい、どうにかして伝えられたらいいのに。


「もし伝えられたら、どうすっかな。母さんたちには……まずは謝るとして」


 いきなりいなくなった上に、心配させたことで、泣かれるかな? まあ、ほとんど無いだろうけど。

 父さんの方は、さすがに物理は無いだろうが、殴られるのも一応、覚悟しておこう。うん。


「……不知火しらぬいさんにも、謝らないとな」


 ――きちんと向かうはずだったのに、行くことすら出来ずにごめんなさい。

 彼女が今も待ち続けているのかどうかは、確認のしようはないけれど、それでもあのとき待たせていたのは事実だし、心の中でくらいは謝っておきたかった。

 それに女子からの呼び出しなど、一生に一度あるか無いかの出来事だから――それもある意味、校内では割と有名な人からのお誘いである――、どんな内容であっても、無視することだけはできない。だって、女子の噂って怖いから。

 そこで、ふと気づく。


「……あれ? そうなると、今の俺って、かなりヤバくないか?」


 不知火さんを現在進行形で待たせているのだとすれば、その翌日に待っているのは、女の子に恥を掻かせただとか、呼び出しを無視しただとかいう噂である。

 ……まさかとは思うが、そんなことになってないよな?

 俺、その時の時間帯に帰るとなると、確実に精神的ダメージを食らうことになるんだが。


「……」


 倒そう、魔王。

 そして、早く元の世界に戻ろう。召喚前の、あの時間軸の希望で、待ち合わせからやり直そう。

 ――とりあえず、いろんな不安や懸念事項などから目を逸らし、なおかつそんなことを思いつつ、精神的負担を減らしながらも、俺は眠りにつくのだった。


 そして――……





「……全く」


 魔国で、俺と同じように召喚されていた彼女が、俺とは逆にこの世界の残酷な真実を早々に知ることになったことなど、この時は知る由も無かったのである。

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