--少女、ひとり
ふとモニタに視線を戻すと、私がジョンドゥの声に混乱していた間にも――当たり前だけれど――時間は過ぎていて、モスグリーンの人影は「彼」の隣に座っていた。
あぁ、そうだ。「彼」のことは、私が守っていたんだ。けれどもう守れなくなったから、だから。
「守れなくなった、と、自分を責める必要はないさ。すべてがなるようになった。当然の帰結なんだ。」
まるで、私が何をどうしようと同じであったかのような。この真っ白な結末は最初から決まっていたものであるかのような口ぶりに、私は無性に、悲しくなった。
「でも、私はあの春に彼を守ろうとした。」
「そう、そのためにシステムに逆らった。」
「あの春には守れなかったけれど、彼の傷をなかったことにして、また新しく始めることはできた。」
「そう、そして夏を迎えた。」
「彼はあの男と会って、また新しい人生を始めるはずだった。」
「そう、けれど彼は檻に入って、そして、もう二度と戻らない。」
そうだ、彼は戻らない。あの日彼は死んだ。公園のベンチで、冷たくなった。そこまで考えて、私は気づく。
「けど、私は今度こそ、あの男を守ろうと、」
「そう、主人公でさえなければ、と思ったんだ。」
その通りだった。すべてジョンドゥの言う通り。
私は彼を二度も失い、そして、三度目の正直に賭けることもせず、今度は彼に接触したあの男なら、と考えた。彼は主人公だから、システムが絶対的な力を持っていたんだと考えた。あの男は主人公ではないから、主人公よりももっとたくさんの、代わりのいる人間のうちの一人でしかないから、システムもそこまで干渉はしてこないかもしれない、なんて、そう考えた。
「主人公じゃないなら、守れると思った。」
「そう、モニタは彼を映さない。」
「だから、あの男に何があったかが分からなかった。」
「そう、そして君は考えた。」
「……そう。彼の死体を残しておいたら、モニタも彼を映し続ける。そうしたら、彼に近づくたびにあの男を見ることができる。」
だけど、レディ。君はあの男の頭の中をいじってまで、あの場所に連れていこうとはしなかったね。
猫なで声で響くジョンドゥの言葉。私の言葉を継ぐばかりだったそれがいつの間にか、私の思考を引き出す導線になっていたことに気づく。けれど、今更だ。だってジョンドゥはきっとすべてを知っている。そして、ジョンドゥだけじゃない、同じようにすべてを知っている人間は山ほどいるはず。今までのそれらを隠す必要もなく、明け渡すことに心理的な抵抗もない。
私は、仕草まではきっと伝わっていない、それを分かっていながら頷いて、昔に色素を抜いたきり茶色く柔らかくなった髪が視界の隅で揺れるのを見ながら、ジョンドゥの言葉を継ぐ。
「そう。だって私は、彼と、あの男と、彼の生きた世界を守りたかっただけだから。」
「守ってみたかった。」
「そう。守ってみたかった。私はいつだって、守っているよ、なんて顔をした奴らに奪われてばかりだったから。あんな奴らとおんなじになんて、なりたくなかった。」
「だけど、システムには勝てなかった。」
「そう。でも勝てないのは分かってた。だから挑まなかった。」
「それが、秋だね。レディ、君はあの男の妹君を、生き返りのリストに入れた。」
「そう、勝てないなら、利用させてもらうまでだ、って、思ってね。」
「世界の崩壊を、止めようとはしなかった。」
そう。もうあの時には、私の手に世界はなかった。
止めようがないのを知っていたから。そうなるのが分かっていたから、あの夏から秋までの間に必死で私は世界に穴をあけた。 モニタひとつぶんの穴。そして、ほんの少しだけ、コードの一文にも満たない量だけれど、それでもこちらから世界に干渉するための穴。
いつ私の手を離れても、見守り続けられるように。
その決断を私は尊重するよ。
ジョンドゥの声が、また私の話を引き出す。
「あの秋、あの男に妹を与えたのは、間違いじゃなかったと思ってる。」
「結果的には、ね。けれど彼はもう一度妹君を亡くすことになった。」
「そう。だけどあの男はそれでも折れなかった。むしろ冷静になったんじゃない。」
「それも結果だ。確かに、冬が来ても彼は動じたりしなかったね。」
「そう、そのための妹だった。あの男だって妹がほんとに生き返っただなんて思うほど、馬鹿じゃない。」
「だから、多少苦しめても良かったと。」
「そうじゃない。」
私は彼を苦しめたかったわけじゃないし、苦しみが必要だと思ったわけでもない。私は初めて、ジョンドゥの言葉を否定した。
彼の最期を少しでも穏やかに、と思ってのことだ。
私は、「何も知らないのだ」と知った時に恐怖をおぼえた。何かが起こっていることを知らないというのは、対処のしようがないことだから。何かも分からないことが進んでいる時、その現象の一端でも知っていれば、せめて自分の身に直接それが降りかかる時までに、心の準備くらいはできる。
私はジョンドゥと会ったあの日に、それを思い知った。だから、あの男にも、心の準備をする時間くらいはと思ったのだ。
そんな言い訳を心中で繰り返す私。どうジョンドゥに伝えたものかと悩んでいる間に、ジョンドゥはその思考を読みとったようで、私に言う。
それも、結果論だ。と。そして続ける。
「私はね、レディ。君を否定したいわけじゃない。結果的に上手くいったが、それはすべてシステムのおかげで上手く収束しただけの話だ、なんてことを言いたいわけでもない。私が言いたいのはね、レディ。君が彼らのいっときの安寧のために後を犠牲にするのではなくて、最期の安寧のためにいっときを犠牲にすることを覚えた、それが素晴らしい、ということなんだ。母たるものには、その思考が必要不可欠だからね。」
母とは根源であり、導くものだ。
そのジョンドゥの言葉が、回線からではなく聞こえた時。音の出所からして、彼は今私の背後に立っているのだ、なんて考えた時。私には振り返る暇もなかった。
ジョンドゥの長い指が背後から伸びてきて、恭しさすらうかがえる手つきで、私の腕からチューブを抜く。私の茶髪とは違う、ゆったりと長い、黒髪が揺れる。
命を支える管を抜かれた私が最後に見たのは、真っ白なモニタの中、寄り添うモスグリーンのコートと、黒いジャケットだった。
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