第二章 最高の幕の下ろし方

第20話 老狐の決断─1

「いやぁ~……心配かけさせちゃってごめんね」

 病院のベッドの上で、上半身を起こしたルソーさんが照れ笑いをした。

「いいよいいよ、大事に至った訳でも無かったし。ルソーさんが元気で何よりだから」

 私はベッドの隣の椅子に腰かけながら答えた。



 ルソーさんが病院に運ばれたという話を聞いて、私とネロはすぐにその病院へと駆け込んだ。

 話によると、ルソーさんが運ばれた理由は腰痛らしい。朝起きると、布団から体を起こすのすらままならなかったらしいのだ。


 ルソーさん自身はとても元気で、夕方には腰痛もマシになっていた。大事をとって二、三日は入院するらしい。その間、ルソーさんの床屋は休みとなった。



「だから早目に病院へ行けと言ったんだ。もしかしたら、取り返しのつかない事になってたかもしれないんだぞ?」

 リンゴの皮を、器用に果物ナイフで切っているネロが、不機嫌そうな声で言った。ネロとしては、自分の忠告を無視されたように思えるのだろう。


「でもねぇ……私も店があるし、やっぱり病院自体遠いからね。医療費だって馬鹿になんないし」

「だとしても、だ。自分の命は金で買えない。だが今ある命を金で救うことは出来る。忘れるな」

 不機嫌な声とは裏腹に、手の中のリンゴはいつの間にか丁寧にカットされている。皿に盛り付けられたリンゴに、私とルソーさんは競うように手を伸ばした。



「リンゴはまだあるから焦らなくていい。その調子なら、退院はすぐに出来そうだな」

 苦笑しながら、ネロがルソーさんに尋ねた。

「そうね。明日にでも退院は出来そうだわ。というより腰痛自体は入院した日のうちに直ってたのよ。それを医者が大袈裟にして……あぁ、入院費どれくらいかかるのかしら?」


 ルソーさんが演技っぽく天を仰ぐ。確かにこの様子なら、もうすっかり元気そうだ。

「じゃああまり遅くなるといけないし、僕らはそろそろ帰るとするよ」

「あらそう? もう少しいてもいいのに」

「生憎だが、僕らにも自分の店があるんだよ」

「まっっったくお客の来ない店がね」

「こら舞!!」



 そう言って喧嘩(というより小競り合い?)を始めた私達を、ルソーさんは名残惜しそうに眺めていた。

「ねぇ、ネロちゃん。ちょっと良いかしら」

「うん? なんだい?」

「明日……退院したら、ネロちゃんの事務所に寄っても構わないかしら?」

「別にいいけど……どうして?」

「それは、明日のお楽しみ」


 そう言って、ルソーさんはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。





「ルソーさんも大変だね。お店があるのに、腰痛なんか患っちゃって……」

 帰り道、私はネロに対してそう言った。

「腰痛のせいで、ルソーさんの商売に影響が出たらどうしよう?」

「う~ん……でも、ルソーさんが腰痛持ちなのは、きっとお店が原因の一つだと思うな」

「え? そうなの?」私は驚く。

「あくまで仮説だけどね」

 そう前置きしてから、ネロは話始めた。


「ルソーさんのやってる店が何かは、舞も知ってるだろう?」

「うん、床屋だよね」

 私の答えに、ネロは「正解だ」と言うように頷いた。


「床屋という商売は、長時間立ちっぱなしでの作業が多い。そして腰痛の主な原因の一つも、長時間立ちっぱなしでいることなんだよ」

「……そうなんだ」

 沈んだ私の声を聞いて、ネロが慌ててフォローをいれる。


「もちろんこれはあくまで仮説だから、それが原因と確かには言えないよ。もっと他に原因があるかもしれないし……」

「そっか……分かった。ごめんね、気を使わせちゃって」

「僕は別にそんなつもりじゃ……」


 ネロは小さな声で言うが、これ以上聞いていても悲しくなるだけだ。

 この話題はさっさと切り上げて、何か別の話題に移ろう。




 事務所前にて──

「だから!! 目玉焼きにはケチャップでしょ!! 私ずっとそうしてきたもん!!」

「何言ってるんだ、目玉焼きは塩コショウで十分だろ!! ケチャップを使ったらオムレツと変わらないじゃないか!!」

「全然違うわよ何言ってるの!? 塩コショウって何? じゃあネロはオムレツに塩コショウ振るの!?」

「それこそ全然違うじゃないか!!」



『目玉焼きには何をかけるか──?』これも話題に出すべきでは無かったな……

 ちなみにその日の夕食は、これでもかと塩コショウがかけられた目玉焼きオンリーだった。


 ムカついた私が、ネロの目玉焼きにケチャップをぶちまけたのはまた別の話。





 翌日、約束通りにルソーさんは来た。

 退院したルソーさんの片手にはステッキが握られていたが、それ以外に変わったところは特に無い。


「少し朝早かったかしら?」

「気にしないでくれ。老人の朝が早いことは重々承知してる」

 何気に失礼な事を言ったネロの脇腹に、ルソーさんが見えない角度からエルボーを喰らわせる。


 脇腹を押さえたネロが凄い形相でこちらを睨むが、私は構わずニコニコする。目玉焼きの恨み、忘れた訳じゃないからね。

「……じゃあ、そろそろここへ来た理由を教えてくれるか?」

「そうね……と言っても、用件は大体察しがつくんじゃない? わざわざ『探偵事務所』に来てるんだし」

 探偵事務所のところを強調して、ルソーさんが言った。

「……依頼か」

「そう。ネロちゃん達に、私から依頼したいことがあるの」



 そう言ったルソーさんの口から、次の瞬間衝撃的な言葉が出た。



「私の店……。手伝ってくれる?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る