第25話 真実
まっしろだった。
金海でみた雪のようだとも思ったが、それよりももっと真っ白だった。
白い景色が次第にゆがみ、少しずつ形をなしていくと、見たことのある光景へと変わっていった。雨が降り出している。雨を見上げて、ここがどこなのかパムは理解した。
ああ、またあの夢だ。
パムの大嫌いなあの夢の舞台だ。
思わず逃げだしたくなるが、足はまったく動こうとしなかった。
大人たちが人垣を作り、ワイワイと騒いでいる目の前に、パムはいた。入りたくない、この中に入ってはいけないと願っているのに、人垣の中に体は幽霊のようにすうっと入っていってしまう。
そしてソシモリと、その母が、兵たちから暴力を振るわれているのをまた目の当たりにする。わかっている光景なのに、見たくないのに、目はその光景から離れない。足はすくんで動くこともできない。助けなければ。でもこんな小さな僕では何もできない。気づけば幼い自分に戻っていた。
ぼんやりともやのかかったような光景の中、いつもの夢がつづく。
スサノオ様、と声がして、その声の方を見ると、赤い傘を差した女性と、背の低い男が現れた。
背の小さな、その男の顔が、今日はぼんやりとしている。いつもはっきりと見ていたはずなのに、今日に限って顔がはっきりとわからない。今ならスサノオの顔を知っているのだ。よくみてやろうと目を凝らすのだが、篠突く雨で幕がかかっているようだった。
スサノオは、見ている前で、ソシモリに左耳を食いちぎられた。もう一度ソシモリがスサノオに飛びついたところを兵士が引き剥がし、手にした剣でソシモリを貫こうとする。
今まで何度見たことだろう。
同じ光景がまた目の前で繰り広げられる。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ」
ケダモノの咆哮がした。少しこの声を聞くとホッとするのだ。
物語がようやく終わる。このケダモノだか人間だかわからぬモノがこの鬼たちの集まりをめちゃくちゃにしてくれるのだ。
そのケダモノが暴れだした。
見物していた大人たちも、兵たちもたちまち振りまわすその腕で跳ね飛ばしてしまう。
赤い傘が飛んでいき、その傘の行き先を目で追っていると、誰かがパムを抱きかかえて走った。
パムが顔を上げると、その女性はまだ若いカヤナルミであった。ギョッとして暴れるのだが、体の小さなパムはしっかりと抱きかかえられているから動けない。カヤナルミは、騒動から少し離れた岩陰まで来ると、岩の上にパムを座らせ、ふたたび走って戻っていく。まずはソシモリを連れてきた。ソシモリは気を失っているのか、泥の上に自分の頭巾を敷いて寝かした。それから、またどこかへと走る。ソシモリの母親を背中に背負ってやってきた。
遠くでまだ咆哮が聞こえる。激しく降っていた雨が、今は小雨へと変わっていた。
そぼ降る雨の中、カヤナルミは少し離れたところへ自分の羽織っていた衣を敷き、母親を寝かせた。しばらくの間、水を汲んできては傷口を洗ったり、声をかけたりと手を尽くしていたが、途中で手を止めてしまった。
若いカヤナルミはうつむくと、肩を揺らし、声を絞りだした。
「私たちが、もう少し早くきておれば、助かったかもしれぬものを……」
カヤナルミは泣いていた。
その時、体の大きな生き物がグオオオオオオッと咆え、全身で息をしながら現れた。
あのケダモノである。
いや、パムがずっとケダモノだと思っていたのは、体の大きな人間であった。こうしてみると、篠突く雨の中、近づいてきたケダモノは影のように見えた。そしてケダモノは母親のそばのカヤナルミのそばに座り、母親が死んだと聞かされると、大声で泣き出した。
カヤナルミはその恐ろしい風態のケダモノを気にもとめず、パムのところに来ると、頭をなでて「大丈夫だ。もう安心しろ」と優しく諭した。
「ソシモリは?」
カヤナルミは「ソシモリ?」と聞き返した。パムがそばのツノのある少年を指さす。
「ああ、この子は大丈夫だろう」
そんな会話をしていると、ソシモリが目を覚ました。
「母ちゃん、母ちゃんは?」
カヤナルミはソシモリのそばへと歩み寄ると黙って母親のところへと連れて行く。ソシモリはじっと動かぬ母を見つめていた。
「残念なことをした……。立派な母だったな……」
ソシモリは口をへの字に曲げて女性を睨みつけた。
「母ちゃんは何で寝ているんだ」
「ソシモリ、寝ているんじゃない……残念だが、お前のかあさんは死んでしまったよ。あとできちんと体を清めて葬ってあげよう」
それからソシモリは、「死んだ、死んだ?」と何度かくりかえすと、やっと彼女の言葉を飲みこんだようで、急に母親に飛びついた。
「母ちゃん、母ちゃん、母ちゃん」と揺さぶり、呼びつづけるが、母親は応えることはなかった。
そばでじっと見ていたケダモノはソシモリの頭を鷲掴みにし、ぐしゃぐしゃにする。
「うるさい!」とソシモリがその手を払いのけるが、ケダモノは泣きながらまた頭をぐしゃぐしゃにした。そして、ソシモリを力いっぱい抱きしめた。
「おぬし、おぬし、わしの息子になれ」
ソシモリはその大きな腕を振り払おうとした。しかしケダモノは決して離そうとはしなかった。力強く抱きしめながら、こう言った。
「ソシモリ、わしの息子になれ、息子に」
この声は。
パムはケダモノの顔をのぞいた。
やっぱり。
涙と鼻水とでぐちゃぐちゃになったその顔。
スサノオであった。
今、出雲で会い、知っている、あのスサノオであった。国の民のために、なりふり構わず、寝床から飛び起き、自分の体がどうなろうとも国の民を守ろうと、寝間着のままで飛び出して、オロチと闘う男。
あのスサノオの顔であった。
「わしがおぬしを見ておるからな。おぬしが大きくなるまで、わしはおぬしの父となるから、強く生きろ。負けるなよ」
カヤナルミがスサノオの言葉を聞いて苦笑した。
「スサノオ、見ておるってどうするの。もう和國に戻らねばならぬというのに」
「おお、そうだ、ナルミよ、しばらくこの子の面倒を見てくれぬか」
「何だって? そうやって、私をこの国においといて、その間にまあた他に女を作る気でしょ」
「そう意地悪を言うな。頼む」
「もう、しょうがないわねえ。たしかに私もこの子が気になるし。しばらくはみられるかな。そのあとは誰か親代わりの人を見つけるけど、それでいいなら」
「おお、助かる。感謝するぞナルミ」
よかったなあと、スサノオはまたソシモリの頭をぐしゃぐしゃにした。ツノのある少年は、頭をぐしゃぐしゃにされるがままにして、ケダモノの腕の中ワンワンと泣いた。
……おそらく、現実の世界のソシモリも、夢を見ながら泣いていたのだろう。
あまりの泣き声にパムの意識は白い世界から現実に引き戻され、朦朧とした意識漂う中で目を少し開けた。オロチの咆哮が聞こえる。遠くで「オロチが起き出したぞ」と叫ぶ声も聞こえる。カヤナルミがまじないの言葉を静かに唱えていた。まじないの声を聞き、白い玉がぼんやりと輝くのを見ているうち、再び目を瞑っていた。
また先ほどの夢の中に戻っていく。今度は体が宙に浮いていた。
中空から下を見ると、スサノオの腕の中で泣いていたソシモリが、泣き疲れて眠ってしまっていた。
雨はすっかり上がり、遠くでは太陽が顔を出していた。寝てしまったソシモリを草の上に寝かせ、スサノオは先に仲間の元へと戻ると言って去った。カヤナルミも、水をもらってくるからもうしばらくソシモリを見ていてくれ、とパムに伝えると、村の方へと姿を消した。
パムは一人で待っていた。
その幼いパムを、宙から見ているパムがいる。
この後の記憶が曖昧だったから、宙に浮いているパムは、この後何が起こったのかを知りたかった。あの後、パムとソシモリに何かあったのだろうか?
幼いパムは寝ているソシモリの横で、膝を抱えて丸くなっていた。
何かを引きずる音が聞こえる。
ズリッズリッ。
足を引きずって、現れたのは、何と、ククチヒコであった。顔も体も傷だらけで、どうやら今まで物陰に隠れて逃げ果せたらしい。後ろにはあの傘をさしていた女性が付いている。傘は持っていないが、この色の白さ、艷っぽさはあの女だ。
ククチヒコは子ども二人を見つけると、チッと舌打ちをした。
「このクソガキども」
ククチヒコはフラフラしながらも、腰から剣をズッと引き抜くと子ども二人の前で構えた。
「てめえら、ぶっ殺してやるわ。ただぶっ殺すだけじゃあ収まらないねえ。ああ、腹立たしい。どうして苦しめてやろうかしら。爪を一枚ずつ、剥がしてやろうか、指を一本ずつ折ってやろうか……」
子ども二人に近づこうとするククチヒコのそばに女が近寄り、何か耳打ちをした。
「ふん。こいつらを利用する? こんなクソガキどもに何ができるってのよ」
女はにっこりと笑った。
「さっきのバケモノを、近い未来この小僧どもが倒すって?」
女は喋らなかったが、意思は通じているようだ。
「そんなバカなことがあるかよ。あんな化け物みたいなのをこの子どもが……ははん。そういうことか……小僧?」
ククチヒコは体を縮こまらせて不安げに見上げているパムを見下ろした。
「さっきの連中の名前を聞いたか?」
パムは顔を横に振っていたが、ククチヒコの目を見ていると、自然に口が開いてしまった。
「スサノオ……」
小さなパムは先ほどカヤナルミの口から出た名前を覚えいた。
「スサノオ、か……」
ククチヒコは笛を取り出し、子どもたちの前に立った。そしてまじないの言葉を
「いい? よく聞きなさい。笛の調べを聞きなさい。
ククチヒコの名をスサノオとせよ
スサノオの名をククチヒコとせよ。
スサノオを恨めよ。スサノオを憎めよ。
あれはスサノオ。
お前の頭に残り、苦しめるのはスサノオ」
ククチヒコは静かに気味の悪い調子の調べを奏で、そのままゆっくりと、女とともに後ずさっていった。
ククチヒコの笛の音にカヤナルミが慌てて戻り
「あんたたち、何してるのよ」と大声を出した。
「あら、あのケダモノの女? もう用は済んだから帰らせてもらうわ。じゃあね」
笛の音はしばらくつづいていた。
ソシモリの様子がすっかり変わっている。
「にくい、にくいにくいにくい……スサノオ憎い、スサノオ憎い」
カヤナルミがソシモリに手を差し出したが、ソシモリはそれを振り払った。
そしてカヤナルミを睨みつけると、母親をそのままに走って去っていった。
……夢が終わった。
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