第22話 パムとひょうたん
「あれが、スサノオか!」
ソシモリの言葉に、パムは首を横に振った。
「……みたいだなあと。いやだなあ、あれは加茂呂さまっすよ、ソシモリ。あはははは」
パムの背筋が、ぞくっと凍りつく。
ソシモリが身体中から殺気を放つと、突然目の前のスサノオの方に駆けだしたのだ。
パムは迷っている暇などなかった。ままよ、と横を走り去ろうとするソシモリに向かって飛びかかると、びんびんと突き刺さる殺気をまとったソシモリの身体に飛びこみ、羽交い絞めにした。それはもう死ぬ気で止めたのである。ソシモリがパムに頭突きをしたり、足を踏んづけて暴れたが、パムはどんなに殴られようともその身体を離さないつもりだった。
しかしソシモリの方が圧倒的に強い。必死でしがみつくパムを振り切り、スサノオの方へと向かう。通りがかりにいた出雲兵の腰から赤銅色の剣を鞘ごと奪いとると、スラリと抜いて走り出す。
全て終わりである。
スサノオが殺されてしまえば、もうソシモリはそれで満足するであろう。下手をすれば駕洛へと帰ってしまうかもしれない。オロチがのさばろうが、猩々がうろつこうが、ソシモリには関係のない話なのである。
ふとパムは思った。
自分は一体なぜこんなに土蜘蛛のために、ソシモリを必死で止めようとしたのだろう。パムだってもともと関係がない。行きずりで出会った人たち、向こうが勝手にソシモリのことを予言のツヌガアラシトだと思ってもてなしてくれただけで、本来どうでもいい人たちなのだ。でも、もう関係のない人たちではなかった。
マヤカさん。
ハハカラの妻のことが頭に浮かんだ。今まで家族の優しさを知らなかったパムに、優しく接してくれた人。はじめて優しくしてくれた人なのに、猩々の息を吸い込んでしまったのだ。今、どうしているんだろう。
もしかしたら、ククチヒコを倒せばマヤカさんを助ける術がわかるかもしれないのに。
でも、ソシモリは走り出してしまった。さすがにパムではもう止められない。ジリやキジも、ソシモリの行動が異常なのに気がつき、追いかけている。しかしこう言うときのソシモリの動きは普通の人ではないのだ。ケモノのようになってしまうのだ。
ソシモリが剣を上段に振りかぶると、地面を強く蹴りあげ、飛び上がる。そして、スサノオに向かって剣を振り下ろした。
パムは思わず目をつぶる。
パムが目をそっと開けてそちらを見ると、棍棒を振り上げた猩々がひとつ、バタリと倒れた。よろけているスサノオの足元に、死体は転がる。
「オッサン、こんなのにやられんなよな」
「ふっ。お前が剣を振らずとも、わしがやっつけたわ。余計なことを」
ソシモリは駕洛語で話しかけた。そしてスサノオは和語で返していた。会話はできていないはずだが、何と無く通じていた。
ソシモリが剣を鞘に戻す。その剣をじっと見たスサノオは「大した剣じゃねえなあ」と鼻で笑うと、
「このあと命があれば、この剣をくれてやろう」と言った。
ソシモリはキョトンとする。
パムは一生懸命走ったのだが、やっとのことでソシモリのところへと辿りついた。
「ソシモリ!」
「なんだよ」
「あの、そのひとは……」
「なんだってんだよ」
パムはほっと胸をなでおろした。どうやらソシモリは、まだ彼をスサノオだとは思っていないようだ。どうやら、ただ単に、猩々に襲われそうな加茂呂を見て走り出しただけらしい。パムはホッと胸をなでおろし、ゼエゼエと息を吐いていた。
「剣を、後でくれるってさ」
スサノオは背後にいる出雲兵に向かって怒鳴りつけた。
「野郎ども、もたもたするんじゃねえぞ。オロチはもう目前じゃ。傷ついたものは早く入れ! 闘えるものはわしについて来い!」
城の中に逃げ込もうとたむろしていた出雲の兵たちは、スサノオの檄に、お互いの顔を見合わせてうなずきあった。
「ツヌガアラシトの勇姿を見たか! 我々が加茂呂さまを守らずして誰が守る。今から命を賭してでも王を守るぞ!」
意気消沈していた出雲兵が、お互いを鼓舞してスサノオを追って駆け出す。
自分たちのために裸同然の姿で飛び降りてきたスサノオの姿は、士気の下がった出雲の兵たちを奮起させるのに十分であった。一同は鬨の声をあげると、また来た道へと、眼の前に迫りくる巨大なオロチへと向かっていった。塀の上からは、心配そうに出雲の人々が顔を出していた。
遠くから妖しげな笛の音が聞こえてくる。
「あの笛が、やはりヤマタノオロチを操っているのよ」とユタ。
「この目で確かめてきたわ。笛を持った小さな男、それがククチヒコ」
さっきまで自分たちがいた場所に、山よりも大きなオロチが、八つの首をもたげて暴れている。
「さっさと行くぞ」と、スサノオの後を追ってソシモリも走り出した。
さらに巨大になったオロチはもうすぐそこにいた。
オロチに向かっていく兵を見ながら、パムはどうしようかと悩んでいた。自分の刀子は、オロチの腹のなかに入ったときにソシモリに取られてしまったため、落ちている短刀を見つけて拾った。そして、町まで戻ると木の影に隠れてとりあえず様子をみていよう、と決めた。向こうでは巨大なオロチとの交戦が始まっている。先ほど戦って倒したオロチよりさらに大きいオロチだ。たたら場の真っ赤に燃えさかる鉄のように赤い口がところかまわず噛みついてくる。出雲兵がスサノオを守るように囲み、果敢にもオロチの首に挑んではいたが、米粒が挑んでいるかのように見えた。
「ひゃーっはっはっはっ」
どこからか高笑いが聞こえてくる。姿は見えないが、オロチの背から聞こえるようだ。木の影で隠れているパムのところまでそのいやらしい笑い声が響いてくる。ククチヒコの声か?
「きゃつらは酒をなぜ使わぬのだ。集めて持たせたはずであろう」
駕洛語で話しかけられ、思わず振り向く。カヤナルミであった。この巫女は腕組みをし、美しい顔を憤慨に歪めて怒気を含んだ声を吐く。
「そんなのもうあっという間に使っちゃいましたよ。もう一滴たりともありません」
ジリがひょうたんをあおって呑み、壷ごとひっくり返したなんてとても言えなかった。酒は貴重な酒だった。しかしこぼしてしまったものは仕方がない。ため息をついていると、カヤナルミが肘でパムを突っついてきた。そして上をみろと言う。顔を上げると、塀の上から顔をだしたじいさんが、ひょうたんの酒をあおってそれいけ、やれいけと見物しているのであった。
「じいさん! その酒をくれ」
パムがおもわず駕洛語で叫ぶと、じいさんはぎょっとして、その拍子に塀の向こう側へとひっくり返ってしまった。隣にいた少年たちがケラケラと笑っている。今度は少年たちに和語で呼びかけた。
「キミ、酒をわけてクレ! オロチ、酒に弱イ。早く!」
顔をのぞかせていた少年たちが顔を見合わせている。
「スサノオ、助ケル! 酒、集メル! 早く!」
パムは声を枯らして叫んだ。少年たちはひそひそと話し合っていたが、一人が怪訝な顔で訊いてきた。
「たしかうちの父ちゃんが夕べも酒を隠してたけど……酒で加茂呂さまが助かるのか?」
「オロチ、酒に弱イ。加茂呂さまたすかるヨ」
少年たちは顔を見合わせた。先ほどひっくり返ったじいさんが起き上がり、こちらをのぞきこむと、顔をしかめて見せた。
少年の一人が城門の上から乗り出すと、
「それじゃあ、待ってて。オレ隠してた酒を持ってくるよ」と元気に言った。
一人が言いだすと、他の少年も俺もみてこようと言い出し、そして塀の向こうへと消えた。先ほどのじいさんの声が聞こえる。「これはワシの酒じゃ。だれにも渡さんぞ」と叫び、もみ合う声が聞こえたが、しばらくすると、じいさんの半泣きの声が聞こえ、そしてひょうたんが塀の向こうから飛んできた。遠くから「わしの酒!」と情けなく泣く声がする。
「じいさんのも取ってくれたのかい、あの子たち」カヤナルミが大笑いする。
「僕は酒、ソシモリに持ってイクヨ」
カヤナルミは、薄い唇でにっこりと笑うと、
「スサノオに、あとで仲間とともにゆくと伝えてくれ」
とパムに言葉を託した。
パムはしばらくまんじりともせず、子どもたちを待った。もう今朝、ほとんどの家は酒を軍に出したため、町にはほとんど酒がないはずなのである。あまり期待はできないと思いながら待った。
ちゃんと子どもたちはきた。それも家々をまわってくれ、母親たちとともに父が隠した酒を集めてきてくれたのである。多くのひょうたんが門の上からヒモに吊り下げられて下された。
「アリガトウ!」
「大したことじゃないよ!」
「加茂呂さまを助けてよ!」
パムはジャラジャラといくつものひょうたんを肩に背負って、戦場へと向かっていった。
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