第10話 酔っ払いパム、盗賊に説教する

 赤い髪、赤い仮面、赤い衣。赤赤赤。赤づくしの猩々がゆらゆらと体を揺らしながらこちらへと近づいて来ていた。酔っ払ったオヤジのようにあっちへフラフラ、こっちへフラフラと歩き、そして突然高く飛び跳ねると、次の瞬間には目の前に立ってこちらを見ている。

 パムはドキリとする。


 こっちへくるな!


 猩々は、あっちへ行っては赤い息を吐き、こっちへ来ては青い息を吐く。

 赤い息を吸ったら死に、青い息を吸ったら生き返る。

 パムは地獄の入り口に立っていた。右側には地獄の亡者が手招きをし、左側には美しい海が広がって、じいちゃんが呼んでいる。

 ふと見ると、体が大きな岩にくくりつけられている。このままでは逃げられない。

 猩々はくすくす笑いながらこちらへとピョンピョン跳ねながら寄って来た。


 赤い息を吐く。青い息を吐く。赤い息を吐く。青い息を吐く。


 自分のところに来た時、どちらの色の息かで、死ぬか生きるかわかるんだ。

 赤。

 青。

 赤。

 青。


 そして目の前に猩々がピタリと止まった。

 順番でいうと、次は、赤い息だ。


 死ぬ。


 くすくす笑う声が、赤い仮面の奥から聞こえてくる。その瞳はなく、仮面の奥は暗い暗い闇がどこまでも深く落ちていく淵のように淀んでいた。


 赤い息。


 猩々が赤い息を吐き出した。

 吸ってはいけない、吸ってはいけない。息を止めるが、次第に苦しくなってくる。

 くすくす笑う声が響く。


「くすぐっちゃおうかなあ」


 猩々がくすぐり出すと、思わず大きく息を吸ってしまっていた。


「ヤメローーーーーーー!」


 パムは汗びっしょりになって目を覚ました。大きく息を吸ってしまい、ああ、もう終わりだと思いながら、息を止める。しかし我慢しきれずに、大きく息を吐く。息を吸う、息を吐く。

 あたりを伺う。猩々はいない。

 夢だったとわかってからは、しばらくの間、大きく呼吸を繰り返した。


「なんだ、起きたのか、小僧」


 ハハカラが、無愛想に声をかける。子どもたちに粥をくれていた。子どもがお椀をひっくり返しそうなほど持ち上げて粥をかきこむのを見ながら、ハハカラは子どもに声をかける。


「いいか、父がいない間は、頭領の言うことをちゃんと聞いて、いい子にしてるんだぞ」

「うん。大丈夫じゃ。僕らいい子だもん。安心しね父ちゃん」


 妹も、「大丈夫じゃ」と真似をする。


 ハハカラは、二人の頭をクシャクシャとなでると、パムに向きなおった。


「飯を食ったら、早速出かけるぞ。急いで支度をしろ」


 せき立てられ、パムも子どもの横に並んで粥をかきこんだ。


「行くぞ」


 つっけんどんに言い放つと、ハハカラはさっさと支度をして小屋をでる。

 パムは、粥を口の中いっぱいにしたまま用意された土蜘蛛つちぐものこげ茶色の衣に着がえた。布の真ん中の穴に頭を通し、一枚の鹿の皮を腰に巻き、紐で結ぶ。頭に黒い頭巾をかぶり、頭の後ろでしばると、子どもたちが「土蜘蛛、土蜘蛛」とはやし立てる。毛皮の内側は綺麗になめしてあり、着心地は意外と良かった。毛皮を身につけると、まるで土蜘蛛の一員になれた気になる。

 ハハカラに連れられて広場に行くと、相変わらず元気なソシモリがぬえと遊んでいた。ソシモリも土蜘蛛の服だ。毛皮の腰巻を履き、黄色い頭巾をかぶっていた。頭巾はツノを隠すのにちょうどいいだろう。

 隣には、雉の尾羽の飾りを被った細い体躯のキジ、昨日パムを抱えて歩いた大柄なジリ、あと一人、体の小さな鹿の頭をかぶった男が立って待っていた。鹿男はパムに近づくと、大きな鹿のツノを揺らして頭を下げた。


「あ!」

「先日はどうも」鹿の角の下から見覚えのある顔が二ッと笑う。

「こいつは、ユタだ」とジリが紹介する。


 牢屋に捕まっていた時、団子の差し入れを持ってきてくれた人だったのである。パムはあの団子の味を思い出し、唾を飲みこんだ。


「こいつの作るメシがうまいんじゃあ」とジリは付けくわえた。

「ヨロシクお願いシマス」と頭を下げるパムに、ユタはもう一度、ニッと笑って返した。


「いいか? 急ぎたいのでな、早く行こう」


 ハハカラは出発を急かした。ハハカラを先頭に土蜘蛛の連中とパム、鵺に乗ったソシモリがぞろぞろと、アジトの山から降りて行く。

 見送りの者たちが村の入り口まで出てきてくれた。ハハカラの子どもたちが、いつまでも、いつまでも、見送っていた。


 ****************************


 土蜘蛛の一行は山を降り、パムとソシモリが漂着した気比の浜を通らずに、南西へと進んだ。気比の連中がうるさいからだとハハカラが言う。そこからは海岸線に戻る。曲がりくねった海岸線沿いに進んで行くと、見たことのない光景が広がっていた。

 なんと、五つの色の違う湖が眼下にみえてきたのである。パムが声をあげて喜んでいると、


「あそこのウナギとシジミは、めちゃくちゃうまいんや」


 と、キジが舌なめずりをして教えてくれた。うなぎがどんな食べ物かわからないと言うと、どれだけうまいのかをキジがこれでもかと説明してくれた。

 色の違う五胡の周囲をぐるりとまわり、そこから西へ進む。一面に葦の原が生い茂っていた。ざわざわと葦が風にゆられる中、トンボがあやしい行軍を偵察しているかのように周囲を飛び回る。 


 一行は、ある村を通りかかった。

 遠くからでも目につく彼らのその姿を見かけた人々は、途端に


「土蜘蛛よ、襲われるわ! はやく家へ戻りなさい!」


とあっという間に家へと入っていく。黒のボロボロの毛皮に頭巾姿は、パムの思っている以上に、この一帯では知られた存在らしい。

 土蜘蛛が通ると、野草を摘んでいた女が恐れおののき逃げる。また別の村を通りかかると、畑を耕していたじいさんが鍬を持って追いかけてくる。それも強面のジリが脅すと、あわてて逃げ去るのだが、パムはその様子をみてため息をついていた。


(この人たちは、きっと、ずっとこうして生きてきたのだろうな)


「けっ、若狭わかさでも有名なんだな、ワシたち」


 村人のつれない反応にジリはカラカラと笑った。


「ワカソ?」とパムが訊く。

「ワカサだ、うつし殿。ワカサとは、この辺り一帯のことだな」パムの問いにハハカラが前を向いたまま答える。


 駕洛語に“ワカソ”という言葉がある。

 ”行ったり来たりする”という意味である。

 海岸にいくつかの舟が見え、行ったり来たりしているのをみると、パムは誰か駕洛の人がここへきて名づけたのかもしれないとふと思った。


「ハハカラよぅ、やつらの願いどおりに襲いに行こうぜ。腹も減ったことだしな」

「なんだ。さっきメシを食ったばかりであろう。それにお前も少しは食いぶちを持ってきただろう」

「ばかいえよ、もう手持ちは全部くっちまったわ。もう酒しかねぇんじゃあ。つまみがなけりゃ酒もうまくねえしよう」

「もう少し我慢せんか」

「へいへい」


 ジリは、そう言いながらも、とんでもなくでかいひょうたんに入った酒をあおると、ゲップをひとつした。


 一日目は自分たちが持ってきた、どんぐりで作った干し団子や干し肉を食べた。

 二日目になると、早くも手持ちの食料がそこをついた。一体この後、飯はどうするのかと思ったら、盗むのだ。畑の手入れされた村にかかると「よし、あの村へいこう」とジリが声をかけ、土蜘蛛はたちまち畑に実った野菜を盗る。次は家に入り込んだかと思うと、鍋まで盗ってくる。


「さぁ、料理しましょう」


 もともとたいした支度をせずに出てきたとは思っていたが、この連中はあらかじめこうして行く先々で奪っていく予定だったらしい。


 夕陽が空を真っ赤に染める時分になると、ようやく夕飯の支度ができたようだ。

 他人の家から盗ってきた鍋を使い、漁民を脅し盗ってきた甘鯛ぐじ、畑から盗ってきた豆を手際よくユタが煮炊きする。この辺りの塩はうまいというので、塩もしっかり盗ってきていた。

 確かに鯛も豆もとてもうまい。


「ツヌ、うつし殿、うまいか?」


 パムが「うまいか? と聞いている」とハハカラの言葉を駕洛語に訳してやると、


「うむ、うまいぞ」とソシモリも返す。


 ソシモリも供されたものを食し、ジリの持っていたひょうたんから酒をついでもらい、飲んでいた。食料はたいして持ってきていないくせに酒だけは大量に持っている連中である。


「酒がなけりゃやっていけんわなあ」ジリが豪快に笑うと、「パム、お前も飲め」と酒をすすめる。


 パムは、少し飲んだだけで、真っ赤になった。

 宵闇にぱちぱちと燃えさかるたき火を囲んでにぎやかに酒を酌み交わしているところへ、酒で気の大きくなったパムは、「アノさあ、ハハカラしゃん!」と馴れ馴れしく話しかけた。


「なんだ」


 こわもての男たちが一斉にパムを向くと、なかなか迫力があるのだが、そのずらりと並んだ顔に、酔っ払ったパムは、恐れもせず顔を近づけながら言った。


「ミナさん。盗ムっての、よくないデスよ。村の人、イッショウケンメイはたらいた。それ盗ム、よくナい! あんたたち、悪いヨ!」


 パムの酔っ払い発言に、一同互いに顔を見あわせると、どっと笑う。


「盗賊に盗むな、と進言するとは。勇気があるのう、小僧」

「ワシらに盗むな、というということは、死ねといっとるようなもんじゃ」

「ほうじゃほうじゃ」


 パムはむさくるしい男たちに頭をわしづかみにされては、髪の毛をぐしゃぐしゃにされていたが、そのままぐしゃぐしゃにされながらハハカラのそばまで流れてくると、ハハカラはさみしい顔で言った。


「ワシらには、生きるかてがないのじゃ」

「カテ?カテ、何ヨ?」パムはさらに絡む。

「食べ物のことだが、生きる術のことでもある」


 みんなが騒ぐ中、ハハカラはいつもにも似ず厳しい視線でパムを見つめ、語った。酔っ払いパムは、それをにらみかえす。ハハカラは、そして寂しい顔をして、語りはじめた。


「わしらは遠い昔、ずっとずっと北の国から来た。もう何年前のことかは忘れてしまったがな。わしらの祖国ではひどい寒波や大水おおみずがつづいてな、人が食べる物もなく、つぎつぎと死んでいったのだ。屍が累々と重なってな、そりゃいにしえよりきこえる黄泉よみの国とはこんなところじゃろうと思った。

 あるとき、有名な卜部うらべにたのんでな、鹿の骨を焼いて太占ふとまに(占いのこと)でみてもらったところ、南へ行くようにと出た。そして頭領が生き残っている連中を集めた。生き抜く意志のあるもの、新天地を求める気があるものを集めたのが今の土蜘蛛の前身だ。もうボロボロの身体をおして新天地を求め南へ南へと向かったんだ。ようやく占いで出たこの地まで来たのだが……まぁ、おぬしらも見たとおり、気比けひの連中も、突然現れた新参者に、『はいどうぞ、この土地に住んでください』とはいかん。結局土地をめぐって幾度も争った。

長い長いいくさだった。

どちらも譲らぬうちに、わしらは人の住んでいない鉢伏山はちぶせやまの木を伐り倒し、草を刈り、なんとか切り拓いて隠れ家を作った。それがあの木の芽峠の隠れ家だ。ワシらが切り開いた場所だ。もう、これだけは譲れん。ただ……」

「タダ?」

「あの山の中の食料は知れていてな。わしらの生業なりわいは猟なのだが、猟をしても、熊や鹿が少なくての。かといって魚を捕れば界隈の人間が邪魔をし、畑を耕せば、苗床を掘り返して妨害される。わしらは生きるために盗るようになった」

「な、盗むしかないじゃろ? ボクちゃん」


 と話の最後に真っ赤な顔のジリが、パムに顔をくっつかんばかりにして言うと、再びどっと笑いが起きた。パムはいまいち納得せずに不機嫌に少しばかり星団子を口のなかに放り込んだ。ハハカラは続ける。


「国はワシらの夢だ。頭領の夢だ。わしの夢だ」


 ジリが酔っぱらいながら歌うように大声で言葉をつなぐ。


「ワシらの国。ワシらの国ができれば、捨ててきた故郷の者たちも呼べるかもしれねえ」


 ユタが首を振ってそれを遮る。


「そんなの夢ですよ夢。今、あの山で盗賊をして生きるしかないってことは、もうさんざん経験して分かっているでしょう。それに、もうあの人たちは……あの国には、もう誰もいない。本当にひどい土地でございました」


 しばらくみなしんみりして静かになってしまった。

 向こうで、和語のわからぬソシモリが、鵺に乗ってはしゃいでいる。奴も酔っ払っているらしい。パムは、なおも


「それでも、盗むよくナイ!」と説教をしていたが、ハハカラは、「わかったわかった」となだめ、


「さぁ、明日も一日歩くぞ。早く寝ろ」


 ハハカラの一喝に一同は低い声で「おう」と応えると、思い思いの場所で休んだ。パムも、しぶしぶソシモリを呼んで、毛皮をかぶって横になった。


 陽が落ちたあとは急激に冷え込んでくる。パムが両手で身体をこすりながら空を見上げると、きらきらと瞬く今にも降ってきそうな星たちが天空を賑わしている。

 赤い星を見つけると、くだらない考えが浮かんで自分でも笑ってしまった。あの星も酒を飲んであんなに赤いのだろうか。

 ふと故郷の父親の顔も目の前に浮かび、パムは顔をくもらせた。いつも酒を呑んでは赤くなっていた父親の顔。パムは毛皮を頭からかぶって星から目を背けた。

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