8-2
「白鷺壱番隊は事実上の解散となりました」
輝から開口一番に告げられた事柄に、月華達は予想通りと言わんばかりの表情を浮かべる。軽く見積もっても除隊処分になるか、無謀な任務を押し付けられるかのどちらかだと思っていた四人は複雑そうな表情を浮かべた。
「……そうだろうな」
「すまない。今の状態では、いつ末羽たちの手が他の基地に及ぶかわからなくて、壱番隊を再編成することができそうにないんだ」
渋い顔をする雅也に、月華たちの表情も苦いものに変わる。帝国魔天軍でも上位の実力者が集う白鷺一番隊が大打撃を受けたとあっては、他の隊から人員を派遣しようにもその人物の選定が難しくなるばかり。
壊滅の噂を聞いて、世間からは本部の元帥たちを出動させろという声もあったようだが、元帥と言っても実際はほとんどただのお飾り。実力で言えば四番隊の足元にも及ばないような人員ばかりだ。
その中でも唯一、家柄だけでなく実力で上り詰めた元帥である雅也は、部屋に集められた月華達の顔を見据えながら口を開いた。
「君たち特攻隊は解散。これより、元帥・雪原雅也直属部隊――【特務隊・流】の一員として籍をおいてもらう事になる」
「……特務隊?」
告げられた辞令に真っ先に疑問の声を上げた幸の言葉に、雅也は視線を輝の方へ向ける。彼が何を言いたいのか察した輝は、何も言わずに机の上に置いてある四人分の辞令を差し出した。
「言葉の通りです。隊長を欠いた特攻隊は解散――これは当然のことでしょう」
辞令書とともに渡された真新しい純白の隊服は、皇隊員の幸や一葵だけでなく、神姫や月華にも渡される。
皇の制服を彷彿とさせるような純白のジャケットに、漆黒のインナー。全体的に皇と陵の制服のイメージを残しつつ全く違う作りになった制服に、彼らは戸惑いを隠せない様子だ。
制服は輝を含む五人のみに渡され、後ろで控える冷は言葉一つ発することなく成り行きを見つめていた。
「それから、紹介しよう。彼が、君たちを含む特務隊【流】の隊長だ」
そうして促された先にいた人物に、月華たちの瞳は驚愕の色に染まる。
濃紺のロングコートが脱ぎ去られ、あらわになったのは、渡されたばかりの隊服と同じ物を身に纏った姿。
「――特務隊長、葉邑冷准将です」
研ぎ澄まされた翡翠の瞳は彼のかつてのパートナーを彷彿とさせ、浮かぶ表情はどこか達観した様子すら垣間見える。普段の穏やかな表情を内面に隠して双眸を引き締めた彼は、唖然とする彼らを静かに見返した。
「どういうことだ! 特攻隊の解散はまだ理解できるが、どうして葉邑一等兵が隊長なんだよ!」
「あまりとやかく言いたくないですけど、何故彼が……まだ実戦経験も足りないし、何よりパートナーを失ったばかりだ。はっきり言って無茶です」
抗議の声を上げる月華と一葵を横目に、冷は静かに歩み出る。一歩後ろを歩くベルゼバブは一瞬彼らを見据えたあと、人を食ったような笑みを浮かべた。
「無茶ではないさ。客観的に純粋な実力をみて判断したことだし、これは彼たっての希望でもある」
「……そうなのか? 葉邑冷……准将」
呆然とした声音で問いかけてくる一葵の言葉に、冷は何も言わずに頷く。不自然ではない程度にそらされた彼の瞳が、大いに不服であると雄弁に語りかけてくる。
「……ごめんなさい。本来、如月大佐や葛葉中佐が後任として隊長を継ぐべきだったのでしょうが……こればかりは譲れなかった」
握り締められた拳の力を緩め、その白く透き通った指を見つめて冷は笑った。
「少佐の……今まで犠牲にしてきた人たちの分まで、僕はやらなければならない」
汚れや傷のない掌が、冷には血に塗れ薄汚れた物に見える。白鷺一番隊に入隊する前から、自分の手はこうであったのだと、玲の人格を犠牲にした時に気付いてしまったのだ。この手は決して綺麗ではないのだ。綺麗ではない手で、一体自分は何をするべきなのかと、冷は自問した末にこの答えにたどり着いた。
「何に代えても、この手で末羽さんの目的を阻止する」
決意の込められた冷の言葉に、月華は吐き出しかけた言葉を飲み込む。事態が知らないうちに変わりすぎていて把握しきれてはいないが、それでも何を言っても無駄であると言う事ははっきりとわかってしまったのだろう。
特務隊隊長として就任した冷の姿は以前までのような危うさは無く、それでいてどこか実体のないあやふやなモノを連想させる現実感のなさが混在している。例えて言うなら、まるで悪魔か精霊のような、そんな現実離れした何か。
「葉邑准将、そこまで言うなら聞かせてくれ……一体どんな考えがあって、末羽を破壊すると言いだしたのかを」
考え込んでいた幸が口を開き、その言葉の裏の真意まで読み取ろうと、冷の表情を観察している。
「何の策も無しにただ無為に命をかけるなんて、俺は賛成できないんだ」
末羽は強い。それはここにいる誰もが理解している事で、ただ真正面から挑むだけでは勝てないことは重々承知している。また、並大抵の策を練ったくらいでは相手に全て見透かされてしまうだろう。今までは漠夜の事を信頼していた故に誰も作戦に異を唱えたことは無かったが、これが冷の立てたものであるのなら話は変わってくるのだろう。
まだ、四人は命を預けられる程に冷のことを信頼してくれているわけではないのだ。
「実力の面で遥かに劣っていたのは事実です。しかし……」
『その為に我がいる。我の力をもってすれば、あのガキを討伐する事とて可能だということだ』
隣に立つベルゼバブに視線を向ければ、彼は自信に満ちた表情で冷を見つめ返してくる。あの契約の時に見た瞳の色が忘れられず、その赤に急き立てられるように冷は全てを話すべく覚悟を決める。
「この身に宿したベルゼバブの力を使って、僕が必ず末羽さんを裁きます」
固く誓われた心の内をさらけ出すようにまっすぐ四人を見つめた瞳に、彼らは言葉を飲み込む。これが、数日前まで見ていた青年と同じであるのかと疑うほど、怜悧に研ぎ澄まされた翡翠の瞳。
「そういう事じゃねえだろ……! お前と漠夜は体の作り自体が違う! そんなお前が許容量を遥かに超える術を使ったらどうなるかくらい、少し考えりゃ分かることだろうが!」
苛立ちを抑えるように拳を壁へと叩きつける月華の様子を見て、冷は寂しそうな笑みを浮かべた。
「――少佐だって、すこし人より強いだけの……ただの人間でしたよ」
化け物じみた作りにしてしまったのは、紛れもなく十八年前のあの出来事。一度死んだ漠夜は、ベルゼバブの力を受けて強大な力を使うに値する肉体へと作り替えられた。それまでは、強大ではあるが決して天才と呼ばれる人間の域を出ない能力しか有していなかったはずなのだ。
「ベルゼバブの力さえあれば、僕はまだ戦える」
何の躊躇いもなく制服を脱ぎ捨て、上半身を露わにする。心臓部を中心に禍々しい紋章が上半身を覆うように描かれているそれに、月華たちが驚愕に表情を染めているのが分かった。かつては背中を中心に広がっていたその紋章は、馨ですら息を呑んだ程の醜悪さを失う事なくただそこに存在している。
「ベルゼバブの……紋章……!」
ただひたすら冷の体を侵食し続けていた頃とは違い、いっそ美しい程に完璧に描かれた紋章に四人は言葉を失う。かつての姿を知らない四人にとって、それは十分異常な光景であった。
「まさかお前……」
「お察しの通りです……葉邑冷という存在と引き換えに、僕はベルゼバブを手に入れた」
十八年という長い年月をかけてベルゼバブの力を蓄え続けた葉邑冷、力を磨き上げながら冷と同じ時間を生きた月折漠夜、一度はベルゼバブ自身を追い詰めたことのある少女と同じ魔力を有する如月輝、そしてその三人の魔力を混同させた肉体をもって存在を昇華させた日比谷玲。四人の魔力は、人間が持つにしてはあまりにも純度の高い物であった。それら全てを取り込んだ魂が、ベルゼバブの興味を引くには十分過ぎる程に。
自身の魂と引き換えに能力を手に入れた冷の存在は、ひどく曖昧なものであった。人間でもなく、まして悪魔とも違う。戦神のごとく力を欲し、己を否定し再構築された彼は、いわば【実体を持った精神体】としか言い様がない。人間と悪魔の狭間で、強大な力を行使する為に自我を残したまま悪魔と一体化した化け物。それが今の葉邑冷という男を説明しうる表現に一番近いもの。
「どうしてお前がそこまでする必要があったんだよ!」
脅威を退ける為に、たった一人で異形の存在へと姿を変えた冷に、月華は激情を抑えることなく掴みかかる。紋章を隠すように再び着込まれた制服に皺が寄ることも構わずに掴まれたそこには、まるで彼らの心情を表すように深い溝が刻まれる。心の距離が、遠いのだ。
能力の差を埋めるために仕方がなかったのだと、如実に語るその瞳が月華を見下ろす。心の内を呑み込み言葉を選ぶように逸らされた幸の瞳と、責めるように歪められた月華の瞳を、冷はただまっすぐに見つめ返していた。
「葉邑准将、これは貴方だけが背負うべき問題じゃない……なにも一人でそこまでする必要は無い筈だ」
一人で全てを決めてしまった冷に、咎めるような言葉がかけられた。月華を通り越して向けた視線の先には、複雑そうに表情を歪めた一葵の姿がゆらりと現れる。普通の家庭に生まれ、普通の人間として生きてきた彼にとって、冷の考え自体が理解できるはずもない。特殊な能力を持って生まれた故に疎まれ、理不尽な目に遭うこともあったのだろうが、それでも根本的に【違う】のだと、この場で正確に理解できている人間は数少ない。そんな彼の言葉に、冷はひどく人間じみた表情で笑うのだった。
「――少佐は、僕の全てでした」
迷いなく告げられた言葉に、一葵は彼が本当に何もかも捨てる気概で特務隊長に志願したのだと理解したのだろう。何かを言いかけて、すぐに複雑そうな表情で口をつぐむ
たしかにベルゼバブの能力は強力だ。かつて末羽の手によって瀕死になっているとはいえ、それから彼が蓄え続けた力を考えると優勢である可能性は十分にある。それに加え、日比谷玲の力を吸収した今の冷は理論上タイプS・タイプM両方の術を使用することが可能になっている。その全てをかける事が出来たなら、きっと末羽の討伐も不可能ではない筈だ。そうやって語る冷の作戦は文字通り命をかけたものであったが、それを物ともしない毅然とした態度に、一葵の隣で聞いていた幸は言葉を飲み込んだ。
「……これは、皆さんにはつまらない話なのかもしれませんが」
勢いを失った月華の手をそっと取りながら、冷は記憶の中に思いを馳せるように瞳を伏せる。
漠夜の敵討ちかと聞かれたら、それは難しい事であるというのが冷の意見だった。一度死んだ漠夜に二度目の生を与えるそもそもの原因は末羽であるものの、ただ冷を生かすという契約のためだけにこの広い世界で彼だけを孤独に突き落としておいて、自分は無責任にそのような事を言えるはずもないのだ。
ならば仇討ち以外の理由はと聞かれたら。冷は迷わずこう答えるだろう。
「――僕も、本当は人間がとても憎かったから……」
とても美しい表情で、冷は笑う。
冷の過去について詳しく聞いた事のない四人は、それだけで驚愕の表情を浮かべる。恨みや憎しみを必死に隠してきた冷にとっては、その反応に少しだけ安堵の息を漏らした。
「訓練校の時にも友人と呼べる人がいたにはいたんですけど、僕が人と少し違うと知ったら、あっという間に僕は【その他大勢】以下になっていた」
信じた途端に裏切られ、人と関わることが怖くなる。いつ切り捨てられるのかと、いつ嫌悪の視線を投げかけてくるのかと。誰と会話していてもその疑念だけは拭い去られる事なく冷の心に巣食い続けていた。
「羨ましいじゃないですか……普通の人が」
かつて、愛情を注がれた子供や人をたくさん見て来た。家族・恋人・友人、名称を変えながら様々な人間同士が楽しそうに笑っている姿を見るのが、冷にはとても辛かった。何故、自分は何も持っていないのかと。
「この広い世界で、僕は一人だった」
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