3-2

「なんだよ一人で、うるせーな。ちょっと情報集めてくるから、お前はここでまとめてろ」

 不思議そうに首を傾げる冷に手元の紙を指差しながら、漠夜の視線は店内を回る。情報を聞き出すのに最適そうな人間数名に目星を付けた彼は、静かに席を立って酒場の賑わいの中へと消えていく。

 それを心もとない様子で見守っていた冷は、すぐに気を取り直して目の前のメモに視線を戻す。

(少佐はこういう任務に慣れてるんだし、足を引っ張らないようにしないと……!)

 気を引き締めてペンを握り直した冷は、昼間のうちに調べた情報を整理しながら書き出していく。作業を進めれば進める程、正体が全くわからなくなってくるから妙な心地である。かなりの情報が集まったと思っていたのだが、全てを並べて見てみると活動周期や犯行時間等の様々な情報が無造作に散らばり過ぎていて、実態がまるで見えてこない。かろうじて共通しているのは、被害者は全て男性であるという一点のみ。

まるで、意図的に混乱させようとしているかのように、全ての事柄に一貫性がなかった。

(やっぱり少佐の力が無いと、僕にはさっぱりわからない……末羽さんの能力の痕跡というのも、全然わからなかったし……)

 意気消沈しため息を付いた冷は、やはり漠夜がいなければと酒場に視線を向ける。彼が歩いて行った方向には先程よりも多くの人だかりが出来ており、その姿は全く確認できない。

(……まさか、何かトラブルでもあったのかな?)

 メモに集中していて気づかなかったが、やいのやいのと騒ぐ彼らの様子はどこか興奮している様で、言葉の端々から物騒な単語まで聞こえてくる。どちらが勝つか負けるかという話題になっているのだと気付いた冷は、漠夜が何かに巻き込まれたのではと慌てて席を立った。

 人だかりに近付けば近付くほど盛り上がりを見せる彼らの会話から、どうやら何か賭けが行われているようだと察せられた。冷が嫌な予感を覚えながらもその中心まで来てみれば、一つのテーブルを囲むように漠夜と見知らぬ青年が酒瓶を片手に向かい合っている。

「これは何の騒ぎですか!」

 慌てて止めに入れば、二人から胡乱げな瞳を向けられて冷は思わずたじろいでしまう。テーブルに手を付いた拍子に空になった瓶が幾つか転がり落ち、金属が木製の床を叩く鈍い音が響いた。

 一瞬怖気付いた冷だったが、慌てて二人に視線を戻せば漠夜の正面に座る男の姿があまり良い身なりをしていない事に気付いた。酒場の雰囲気にあっていると言えば合っているのだが、どう贔屓目に見てもせいぜいチンピラだろう。

「何って、飲み比べだよ。見てわからねえのか」

 そう言いながらかなり度の強い酒を一気飲みした漠夜は、素面と変わらぬ声音で告げる。酒の飲めない年齢である冷にはあまり理解できない世界だったが、飲み比べはこういった酒の場ではしばしば見られる光景の一つである。

 漠夜曰く、この男は数日前の吸血事件の時に犯人と思われる影を目撃したのだという。そこで情報を聞き出そうとしたところ、ただでは教えられないなと挑発されたことからこの飲み比べに発展したのだ。

「だからって……!」

「女は黙ってな。これは男の勝負だ」

 漠夜の言葉に納得できないと言い咎める冷の言葉を遮るように、目の前に座っていた男の連れから静止の言葉がかかる。どうやら漠夜と飲み比べをしていた男にも仲間がいたようで、そちらは全く酔っていない様子だ。勝負の成り行きを見ていた男達の中の一人が、一歩前に出ていた。

 顔面に下卑た笑みを浮かべながら発せられた言葉に、冷の表情は引き攣る。

「今、なんて……?」

「その色男の連れか?そんな奴ほっといて、俺らと飲もうや」

 明らかに冷のことを女だと思っている言葉に、漠夜は耐え切れないと言った様子で笑いを零している。髪が長く、中性的な容姿をしており、言葉遣いも然程男性じみたものではない。そんな彼が女性と間違われるのは仕方ないのだが、間違われた本人にとってはそうで無かったのだろう。

 引きつった表情で空き瓶を握り潰した冷は、無言でテーブルと椅子をひと揃い調達してくると、乱雑な動作でそこに腰掛ける。

「おい、どういうつもりだ?」

 何をする気かと興味深々で見ていた男達に、冷はやたらと綺麗に浮かべられた作り笑いを崩さずに目の前の椅子を指し示した。

「その勝負、腕相撲で決着付けませんか?」

 笑みを浮かべながら告げられた言葉に、周囲にいた男達から笑いが起こる。彼等にしてみれば、片手で折れてしまいそうな細い腕をしながら一体何を言い出すのかといったところだろう。

 先ほどの飲み比べでは圧倒的に漠夜が優勢であり、このままでは今夜の酒代を全て肩代わりしなければと思っていた男達にとっては、まさに渡りに船。勝ちが決まりきっている勝負を持ちかけられたのだから、あらゆる意味で笑いが止まらない。

「いいぜ、その勝負乗った」

「おい、折らないように気ぃつけろよー」

 自信満々に座る男と、後方から飛ばされる野次には表情一つ変えず、冷はただ無言で腕を差し出した。並べて見てみると、腕の太さ自体が倍以上違う。これはどう見ても男の勝ちだろうと、周囲の人間は冷が負ける方に賭けている声が漠夜の耳に入る。この盛り上がりは突然女性が乱入したからだけではないと気付いていた漠夜は、興ざめだと言わんばかりに一口酒を煽った。

 結局のところ、この野次馬の大半は場末の酒場に女連れで来ていた漠夜の事が気に入らなかっただけなのだと。

「情報も聞けそうにねえな……」

 開始の合図とともに屈強な男の腕を一瞬であらぬ方向へと捻じ曲げた冷の姿を見物しながら、漠夜は空になったグラスを静かにテーブルの上へと戻した。

 基準値を大幅に超えた規格外な身体能力を有する漠夜の影に隠れていたが、冷自身も白鷺壱番隊に配属される程度には優れた能力を有していた。能力値はBであるが、それだとしても一般男性の平均値は軽く超えている。それこそ、裏町でのさばるチンピラを片手一本でのしてしまえる程度には。

「見かけ倒しもいいとこですね」

 普段は浮かべることのない嘲るような笑みを浮かべながら、鼻で笑うように放たれた言葉に男の顔は憤怒に染まる。女性扱いするという冷の逆鱗に触れてしまった男は、自らの縄張りで大恥をかかされたことに激しく憤っていた。何せそれぞれの事情を抜きに見ていた周囲にとっては、女連れの男にちょっかいかけた挙句に飲み比べで負け、更には彼女の方に片手で捻られたのだ。これでもう大きな顔して歩けないだろうと笑った漠夜は、今にも手を出しそうな眼差しで睨み合う冷の首根っこを掴んで酒場の外へと引き摺っていく。

「おい!待てよ!」

 後ろから怒号が聞こえてくるが、また捻られたらたまらないとでも思っているのか追ってくる様子は見られない。まさに負け犬の遠吠えだと感心した漠夜は、人通りの少ない裏路地まで歩いたところで冷の体を放り投げた。途中から人形のように動きを止めた彼は、おそらく自分が何をしたのかを理解したのだろう。

 顔を上げた彼の眉はすっかり垂れ下がり、申し訳なさを前面に押し出しながら激しく落ち込んでいた。

「……ごめんなさい」

「べつに、構わねえ。あの様子だと、俺が勝っても同じ事になってただろうよ」

 どのみち飲み比べで勝っていたとしても、同じような結果になっていたであろうということは漠夜もある程度予測していたことのようだ。すっかり日も落ちてしまっており、もう有益な情報は手に入らないと踏んでいたからこそ受けた勝負。

 万が一にでも本当に目撃証言が得られたら幸運だといった程度のことである。

「……そろそろ夜中だ。行くぞ」

 ため息を付いた漠夜は外套の裾を翻し、裏路地のさらに奥へと進んでいった。慌てて佇まいを直した冷は外套の合わせをしっかり留めると、前を歩く彼の後ろを着いて行く。

 吸血鬼の行動時間は不規則であったが、それでも比較的深夜に行動を始める確率が高いことに気付いた二人は、これから夜明けまで街を見回る予定だ。一般的に吸血鬼は日光に弱いとされているが、今回の事件は数回だが日中に犯行が行われているケースがあるため気を抜くことが出来ない。仮眠時間を設け、日中を漠夜が、そして昼頃に冷が周り、街中をしらみつぶしに捜索する事が彼らの出した結論である。

「末羽の痕跡が残っている箇所は少ない。怪しい所があった場合はすぐに報告しろ」

「はい!」

 ロウソクを携えながら路地を進んでいく漠夜の言葉を脳内で反芻しながら、冷は彼の背中を追いかける。視覚的に彼女の術の痕跡を見つけられるという輝曰く、それはまるで蝶のような形をしているのだという。そして色として見分けられる漠夜曰く、その痕跡は赤黒く変色した金色なのだと。

「それにしても、何故吸血鬼はこの街から出ないのでしょう。事件を警戒して人通りが減っているというのに……獲物が見つかりにくいのではないでしょうか」

 路地を抜けて中心区へと出てきた冷は、すっかり人気のなくなった街中を見回しながら呟く。夜中とは言え、平素ならばまだ酒場が賑わっていても可笑しくはない時間だというのに、店も人も活動しているものはほとんど見られない。

「あの女が関わっているのを考えると、人が少ないのはむしろ好都合なんだろうな」

 中心区から東区に抜けるための大きな陸橋に差し掛かったところで、漠夜はその上から川を覗き込む。静かに海へと流れる広大な川は、流れこそ穏やかだがそこに死体がいくつ眠っていても気付かないだろうと思うほどに深い。

「人気が少ないってのは、つまり目撃者も少ないという事だ。もし何らかの目的があるのだとしたら、むしろあいつはこういった環境を好む」

 先日の一件のように、ただ力を蓄えるのが目的ならばこのように隠れて事を起こしたりはしない。それこそ、事件がなく人々が安心しきっている白昼堂々、広場に大掛かりな術を発動させる位の事はして見せるだろう。

 彼女の関与が疑わしく、しかし決定的な証拠が全く出ないこの状況こそが一番危ないのだ。何らかの思惑があるとわかっているのに、こちらからは全く手が出せない。気付いた時には手遅れでしたというのは、冗談にしては悪趣味すぎる。

「……これは長丁場になりそうですね」

 先行きの見えない任務に、冷の気持ちはゆっくりと降下する。末羽が生きていたというだけでも絶句ものだというのに、結局こうしてまた対峙する事になりそうなのだから、彼にとっては弱音のひとつも吐きたいところである。

 体重をかけていた橋の手摺りから体を離した冷は、街中に変わった様子はないかと視線を向ける。魔術探査にかけてはまるでど素人のような能力しか有していないが、それでも魔術が発動されれば嫌でも気づくだろう。

「人の気配が増えてきたな……冷、一旦戻るぞ」

 中心区を囲む大きな川べりを回った漠夜と冷は、時計台の針が調度早朝の四時をさしたところで足を止める。日が登り始めたからなのか、ちらほらと人影が増えてきたのが彼らの視界に映る。

 このまま見回りを続けても良いのだが、街中が警戒している今は下手に動くとあらぬ疑いをかけられてしまう。正規軍に捕まったらややこしい事になると、漠夜は宿へ戻るための道にゆっくりと歩を向けた。

 ただでさえ目立つ風貌をしている男の二人組というのは、街全体が暗い雰囲気になっているような状況であっても、女性たちを浮つかせるには十分であった。早朝のうちに一旦引き上げ、冷に仮眠を促した漠夜が再び街区へと戻った時には、すっかり彼は視線の中心となっていた。どうやら昨晩の出来事がいつの間にか街中に知れ渡っていたらしく、彼の耳に入る話は好色なものが多くなっている。

 昨晩冷が片手一本で捻り上げた男はこのあたりでは有名なゴロツキだったようで、漠夜まで恨みやら羨望やら憧憬やらが入り混じった瞳で見られるのだから心地が良くない。比較的好意的に見られているのだから聞き取り調査自体は行いやすいものの、万が一末羽に漠夜の存在がバレるような事になった場合を考えると楽観視もしていられない。

 情報収集をさっさと終わらせてしまおうと決めた漠夜は、目の前で噂話をして盛り上がる女性数名のもとへと近寄っていった。

「君達、ちょっといいかな?」

 出来るだけ爽やかな青年に見えるような笑みを貼り付けた漠夜は、心持ち声のトーンを柔らかい物に変えて女性へと声をかける。こちらを見た瞬間に顔を真っ赤に染め上げる女性たちの姿を見ながら、漠夜は心の中で笑いを漏らすのだった。


 漠夜が見周りを続けている間に仮眠を取っていた冷は、交代時間よりも一時間ほど前に目を覚ました。十の時を指している時計を眺め、まだ余裕があると知りながらも彼は返送用衣装に着替える為にと衣装を手に取る。

「……この髪が女っぽいのかな……」

 鏡に映った自身の姿に目をとめた冷は、ふと昨晩の事を思い出して不愉快な気持ちになる。女性と間違われる事だけは本当に嫌なのだが、やはりこんな顔と髪をしているから仕方ないのだと、だいぶ伸びてしまった髪を手に取りながら深くため息をこぼしたのだった。

 市街へと出た冷は、様々な店を見て周りながら漠夜の姿を探す。日中だけあって活気のある街中は、吸血鬼事件など嘘なのではと思うほどの賑わいを見せていた。すれ違い様に向けられる好奇の視線は気にしないようにし、冷は事件に関係しそうな情報はないかと人々の会話に耳をすませながら漠夜の姿を探す。

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