軌道をめぐる同行者2

 ハルタカたちを乗せた軌道船ヒューストン号がジェミニポートを発ち、およそ五分が経過したころのことだ。

 作戦の目的座標に向けた軌道調整を済ませ、ブースター点火を終了した船体が安定する。エンジンの上げる咆哮が一転して静まり、地球の周回軌道に乗ったヒューストンが滑るように地平の向こう側を目指す。

 軌道船とは、軌道上で物資や人員を運ぶ目的だけに特化した、簡易型の宇宙船舶だ。ヒューストンは軌道船としては中型クラスで、武骨な直方体型をした機首にパイロットを含めて最大十名を乗せ、機体後半部に軌道甲冑五機を搭載可能な貨物室ペイロードベイを持つ。

 今回はヒューストンを任されるヨンタとトニア、そしてハルタカ以外にも、船内に四名のダイバーが同船していた。


「――では、今回の作戦の概略を説明します」


 シートベルトを外したハルタカが前席側に向かうと、肩を並べるダイバーたちを振り返った。


「本作戦は、軌道上に点在する中継衛星の点検を行う、というものです。点検作業自体はぼくの担当なんで、あなたたちにはその護衛をしてもらいます」


 そしてハルタカの予想どおり、二列に腰かけた面々の顔に落胆の色が浮かぶのを見届けるはめになった。


   ◆


 屋根を地球側に向けたヒューストンが貨物ハッチを開放し、ロボットアームに懸架された軌道甲冑VLSが一機ずつ軌道投下されていく。しんがりを務めるのは、護衛される側となったハルタカの開発機VX9だ。

 計五機の分隊を組んだダイバーらは、各々の軌道甲冑を地球側に向け降下させる。ヒューストンを母船に、ちょうど真下に潜水する感覚だ。

 深度計がみるみる危険深度側に下降していく。

 ヒューストンから二〇〇キロほど潜ったところで、前方視界に中継衛星を捉えた。


「――目標を視認した。VLS1から4は各機散開、周辺の警戒にあたって。どうぞ」


 不慣れながらもそう指示を送る。

 すぐに三機が散開するが、何故なのか一機はVX9の傍らに留まったままだった。


【なんでこんなおかしなタイミングで衛星なんかの点検なんすか? 特別任務って聞いてた割にショボすぎじゃん。俺ら、戦ってるニルヴァらんとこ応援に行った方が役に立つんじゃ】


 ハルタカは構わずに中継衛星との距離を詰め、VX9をアプローチさせる。一メートル四方の直方体に太陽電池パドルが生えただけの、古典的な人工衛星だ。

 VX9のアームユニットを起こして、マニピュレータを中継衛星の入出力端子ソケットに接続する。すぐに網膜下端末を介して、中継衛星に記録されていた履歴ログが流れ始めた。

 対箱舟用のレーザー射出ユニットを携えたVLSが、背後でハルタカの作業を静観している。


「そうだね。たしかにあなたの言うことも一理ある。でも、これは担当管理官の命令なので。この作戦にはちゃんと合理性があったから、ぼくも異を唱えることはしなかった」


【それってやっぱさ、俺らがまだ下っ端だから? ダイバーランクの低い奴が実戦経験を積ませてもらえないんなら、俺らは永久にニルヴァらエースの後追いのままじゃん!】


 彼は与えられた指示に納得がいかないのだ。他の三人も口にはしないが、声色でわかる。作戦内容と意図を噛み砕いて説明したつもりが、理解を得られなかったということなのか。


「この点検作業が、ニルヴァたちの援護になるのはわかるよね? もう説明したけど、ここ最近、中継衛星の不調がいくつも報告されてる。ぼく自身も仲間の軌道座標を見失ったり、ネット切断される目にあったことがある。だから万が一ディスカバリー6との交戦中に衛星網の異変が起こって、ニルヴァとルリエス分隊全体の命取りになることは阻止する必要がある」


 宇宙は孤独だ。人間の許容を超えたスケールを持つ世界だ。地球の周囲だけ取っても、軌道甲冑単独で自由自在に飛ぶことは不可能なのだと、ハルタカだってときおり忘れそうになる。


「それに。ぼくとしては軌道上にある衛星を全基点検してしまいたいところなんだけどね。でも今回の点検はエラーを起こした可能性の高い四基だけとするって担当管理官からのお達しだから、渋々従ってるんだ。なんなら全基点検、付き合ってくれますか?」


【いやいやいや、そんなめんどくせえのはぜってぇお断りだ!】


 護衛するこっちはどんだけ退屈するのかわかってんのかよあんたは、などとぼやきながらようやく離れてくれるVLS。考えてみれば彼らは上級生にあたるので、もう少し気遣いが必要だったかと今さら乾いた笑いが漏れてしまった。


「――ここ三週間くらい、箱舟との交戦頻度が異常なまでに上昇してる。確か二日に一度はASの迎撃網を突破されてるって報告が指揮室から下りてきてる。誰が望む望まないに関係なく、衛星は直さなければならないし、あなたたちの出番なんていくらでもやってきますので」


 そう考える間も、投影グラフィックス上に点検対象の問題点が洗い出されていく。

 通信途絶箇所がいくつか判明したものの、原因の特定にはいたらない。この衛星は老朽化も進んでおらず、デブリ衝突による破損も見受けられない。送受信もいたって正常なのだ。


 ――……変だな。こいつがどこも壊れていないとしたら、外的な要因なのか?


 いくつか可能性を推測して、背筋に冷たいものが走る。

 例えば太陽フレアに類する、見えない何かの影響だとしたら。最悪を想定すれば、この場でまたヒューストンを見失い、誰にも見つけられないままエア切れで窒息死する結末が待っている。宇宙は孤独だから、ひとりの能力だけでは生き延びられないのだ。


【――VX9、こちらヒューストン】


 思わぬ交信に、ハルタカは詰まっていた呼吸を一気に吐き出していた。死の予感に、緊張に高まっていた鼓動が、思い出したように我を取り戻していく。


「ああ、こちらVX9。急にどうしたんだヒューストン?」


【点検作業に没頭中のところ悪いが、頭の上を見ろ。連中、持ち場を離れてんぞ。それにまだ応答がない。すぐに作業を中断し、何が起きてるのか確認してくれ、どうぞ】


 咄嗟にVLS四機の軌道座標を追う。いつの間にか四機ともに警戒位置から外れており、ちょうどこっちの直上を横切っていく軌道を取っていた。

 中継衛星からアームを離し上を仰ぐ。遠くにVLSの機影が四つ、斜めに上昇していくのが見える。

 直後、巨大な何かが太陽光を遮り、ハルタカの視界に影を落とした。


「――君は…………!? どうしてこんな高いところまで上がってきてるの……」


 ヘルメットバイザーの向こうに映るそれは、花冠型をしたあの薄紫のASだ。

 状況的に、持ち場を離れたVLSをAS側が追っている構図にも見えた。ただ彼らよりも軌道高度が低い。急にASと遭遇して驚いた彼らが、一旦距離を離そうとしているだけなのか。

 そこでハルタカは思わぬ事実に気づく。VX9のレーダーマップにの姿が映っていない。それどころか、VLS四機もヒューストンすらも消えていた。つまりは、衛星網が何も捉えてないのだと。


「――ヒューストン。また例の通信障害が発生してるかもしれない。そっちの軌道座標を見失った。状況を教えてくれないか?」


【――……こちらヒューストン。何が起こった? こっちは異常ないぜ、どうぞ】


「さっき薄紫色パープルのASが直上を通過した。VLS全機がパニックに陥った可能性がある」


【――……こちらヒュース――ン。ナニ――起こ――った――は異常ガ――ゼ――――】


「え……ヒューストン? おい、どうした……そっちの音声が乱れてるけど…………」


【――……こちガ――ヒュ――。ナニ――起こ――異常――――人類――ハ――――】


 回線越しに届いていたヨンタの声が、突然ノイズに埋もれて途絶した。それにヨンタにしては奇妙なことを言っていた気もした。

 途端、厭な感覚が喉の奥からせり上がってきた。これまでに体験したことがない恐怖――いや、いつだったか、こんな孤独のさなかでの絶望に苛まれた記憶が脳裏によみがえってくる。


 ――ハッ、……ハッ、……ハッ……――。


 乱れそうな呼吸を飲み下し、目視で周囲を探る。途方もなく広い宇宙とは真逆に船外服の中は窮屈で、気を抜けばその圧迫感に耐えていることまで思い出してしまう。呼気で曇るバイザー。聞こえてくるのは高まり始めた空調装置の音と自分の呼吸音だけ。警告音はない。

 可動範囲の狭い軌道甲冑で全方位を追い切るには困難を要する。電子的な補助がなければ、何もできないただの棺桶の中だ。仲間のVLSはとっくに見失っている。

 何かの反射光が白く瞬き、船外服内にまで飛び込んできた。太陽光じゃない。光源を探す。

 VX9に何かが接触して、こつんと振動が届く。スラスター調整して機体を転回させると、先ほどまで自分が点検していた中継衛星の太陽電池パドルが無残にもひしゃげていた。


 ――ハッ、……ハァッ、……ハァッ……――。


 自分の眼下に異様ながいるのに気づけたのは、まさにこの瞬間だった。

 それは、鈍色の巨塊。視界を埋め尽くす、途方もないスケールをした構造物。自然に形づくられたものとも、人工のものとも思えない。周囲におびただしい数のデブリ群を引き付けながら、ときに火花を上げ、巨塊がVX9の直下をゆっくりとした巡航速度で突き進んでいく。


 ――箱舟! まさか……ここはこいつらがたどり着ける地球深度じゃないはずなのに。


 箱舟。地表を覆うのと同じフューチャーマテリアルの外殻を纏ったこの怪物は、目測でも一〇〇メートル以上はある。

 自分も映像としてしか知らない、クジラに似かよった造型をした巨塊の、背びれに相当する部位が中継衛星に接触する。そのまま赤い炎を上げ砕けた衛星の破片が、さながら生きているかのようにうねりだした箱舟の外殻へと取り込まれていく。他の物質を活動資源として捕食したのだ。


「――応答しろVLS! 近くに箱舟がいるぞ! 至急高度を上げてヒューストンに戻れ!」


 無駄とわかりながらも、回線に声を張り上げていた。

 いま戦う選択肢はない。被害を最小限に食い止めるためにどう行動すればいいのかだけが脳裏を駆けめぐる。

 開発途上のテスト機であるVX9は武装していない。武装した護衛たちにも箱舟を墜とす銛手ストライカーが不在で、あくまで逃げる時間稼ぎのためのものでしかなかった。

 胸騒ぎの理由はそれだけではない。自分のすぐ足下を進む箱舟は、ちっぽけなこちらなど眼中にないように見えた。だから直接的な生命の危機が迫っているわけではない。

 だが、問題はそこじゃない。

 閃光が再び放たれる。直後、高軌道側から四本の光筋が次々に降り注いだ。あれはさっきと同じ光だ。ASの備える指向性エネルギー兵器だと即座に把握する。光筋は箱舟の船首部分をかすめ、そのまま外殻ごと赤く溶かしえぐり取った。


「すぐ離脱しろVLS! ヒューストン! このままだとASとの戦闘の巻き添えになるぞ!!」


 ハルタカの頭上、向かって十時の方角から、再度あのエネルギー兵器が照射される。あそこにさっきのASがいるのだ。

 VX9のブースターを点火し急上昇させる。一刻も早くここから離脱する必要があった。

 ASが人間を攻撃する理由はないが、箱舟との交戦エリアに踏み入るのは死を意味する。

 何故だか機体が重く、一向に箱舟から距離を引き離せない。眼下では、ASからの迎撃で胴体を削り取られた箱舟が、自重によってちょうど二つ折りに捻れ始めている。


【――……ガ――ヒュ――――異常――――人類――我々ノ革命的ナ技術ニヨッテ――――】


 既にAS側の勝利かと思われた直後、回線が奇妙なノイズを拾った。ヨンタの声に似た何か。

 何が起きているのかわからない。破断し始めた箱舟の外殻に、まるで腫瘍めいた泡状の組織が、破裂しそうなくらいに膨らみだす。

 刹那に、視界を雷光が奔った。箱舟の表層を稲妻が迸り、破裂した三つの腫瘍から弾頭型をした物体が射出された。

 頭上から放たれる三射目。ASを狙う箱舟の運動エネルギー弾が撃ち落とされる。一発目に続き、残りの二発もの放つ光によって瞬時に融解させられる。

 もはや圧倒的だと思うしかなかった。が地球を睥睨する限り、箱舟が天上に至ることなど許されないのだ、と。

 地球に引き込まれるような重たさがようやく消え、上昇するVX9の視界に薄紫色のASが入った。眼下では、静かに沈んでゆく箱舟の外殻に、最期の一撃とばかりに腫瘍が膨張を始めている。

 ハルタカはの射線を妨げないよう迂回する。見ると、の花冠部から展開された四対のアーム型ユニットに光が収斂し、四射目の指向性エネルギー兵器を放とうとしていた。

 ハルタカの目に異物が飛び込んできたのはこの時だ。まばゆい閃光を遮る何か――黒い塊が、唐突なるタイミングでバイザー上をよぎる。それも一つだけではない。


【――――やめ――――た――助けて――――くれッ――――――――!!】


 回線に飛び込んできた、聞き覚えのある男子の声。その黒い塊の正体が見失っていた四機のVLSだと気づいた時には、状況が想像だにしない方向へと覆された。

 奇妙にゆっくりとした動きで上昇してきたVLS一機。それを前に、薄紫色のASが四射目を躊躇ったかに見えた。VLSが射線を遮っていたのだ。

 追って滅茶苦茶な軌道を描きながら向かい来た残る三機が、のアーム部や胴体部ユニットへと次々に追突する。その衝撃でが回転しながら押し出され、軌道傾斜角が変わった。

 指向性エネルギー兵器の射線が標的である箱舟からずれた。

 いや、意図的に外された。そう気づいた直後、ハルタカ自身も思わぬ衝撃に頭を打ちつけ、VX9ごと軌道の向こう側へと吹き飛ばされていた。

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