⒈ 神眼(6) 彼の蘇生の秘密

 日はすでに落ち、辺りはすっかり真っ暗闇に包まれていた。


 あの後、気が付くと悠人は元いた自宅のベランダにいた。


 おそらく一度体験した、瞬間移動と言う他ならない正体不明の力がどこかで働き、彼をこの場に転送させたのだろう。


 この謎の力は、いまだ色々と分からないことだらけだが、今はそんなことを考えているだけの気力が彼にはなかった。


 それでもやるべきことはやろうと、彼はベランダから室内へと戻ると、まずは始めに汚れてしまった衣類を脱いでは、取り込んだ洗濯物の中から適当に自分の服を取って着替え始めた。


「未予には悪いけど、これはもう着れないな」


 そう言って脱いだ服をなるべく返り血が見えないよう、背中部分を上にして折り畳むと、近くにあったゴミ箱の中にしまい込んだ。


 それから残った洗濯物を全て畳み終えると、一階のタンスへと仕舞しまうべく、折り畳んだ洗濯物を持って一階へと降りた。


 降りた先で待っていたのは、いつしか帰宅していた紫乃である。


「あっ、兄さん。ただいま」


 紫乃は彼の姿を視界に捉えると、いつものように挨拶をした。


「……ああ、おかえり」


 対して彼は思うように返事が返せず、普段に比べてワントーン低い声でそう言った。


「なんか元気ないようだけど、大丈夫?」


 いつもとは違う彼の対応に紫乃は心配になったのか、そう優しく問いかけた。


「いや……なんでもない。それより腹減ったろ。すぐ作ってやるから、ちょっと待ってな」


 リビングに置かれたタンスに折り畳んだ洗濯物をしまい、すぐさまキッチンへと移動すると、彼は調理に取り掛かった。


「――少しは私を頼ってくれても良いのに」


 紫乃はさり気なくぼそっとつぶやくと、料理の苦手な彼女はこの場を後にした。


 キッチンではいつもの本調子が出せず、ぎこちない包丁の音を立てながら、今日のことを思い返していた。


 死んで生き返った俺は変な目を手にしたかと思えば、何故なぜか知らない場所に飛ばされ、そして――


「イテッ」


 気が付くと、彼は人差し指の先からツーっと一筋の血液を流していた。


 どうやら具材を切っている最中さいちゅうに考え事をしていたせいで、指を切ってしまったのだろう。


「兄さん、大丈夫?」


 リビングにいた紫乃は彼の声に反応し、心配そうに近寄ってきた。


「いやなに、軽く指を切っただけだ」


 彼は水道水で傷口をよく洗うと、あの人間離れした治癒力が働き、一分とそう掛からない内には傷口が目立たなくなると、彼は再び調理に戻った。


 それから数分経つと、彼の料理は完成し食卓に並べられていた。


 両親のいない家内環境が、皮肉にも悠人の家事スキルを向上させ、おかげで料理は毎日彼が担当している。


「いただきます」


 手洗いと食事前の挨拶を済ませた紫乃は、出来立ての肉野菜炒めに手を付けようとしたが、その前に彼の元にホカホカの白飯が置かれていないことへの異変に気が付いた。


「あれ、兄さんは食べないの?」


「……ああ、今日のところは夕飯はいらないかな。食欲が湧かないんだ」


 彼がそう言うのも無理はない。


 何せ、少し前まで人が殺されていくところを目にしたのだから、食べ物が喉を通さなくなるのも無理はないだろう。


 だが紫乃はそんな彼を心配してか、冷蔵庫から一リットルの野菜ジュースを取り出し洗浄済みのコップにそれを注ぐと、それを彼の前に置いた。


 少しでも栄養をってほしいと紫乃なりの気遣いを彼は受け取ってか、用意してくれた野菜ジュースだけは口にした。


「ちょっと席を外して良いか?少しばかり、一人でいたいんだ」


 からになったコップを片付けると彼は突然そう言い出し、紫乃の返事を待たずして二階の自室へと移動した。


 部屋に入るなりドアの鍵を閉め、ベッドに腰かけ右袖をまくり上げると、ずっと気になっていた右腕の違和感を目にした。


 その違和感の正体はリストバンド型。一般的に【バンドフォン】と称されているそれは、この時代における主流の携帯電話であった。


 さっきもあの没落施設の中で助けを求める人達が、ちらほら使っていたのを目にしたのだが、開発元が商品名として付けた【EPOCHエポック】の愛称で世界中で知られているその携帯は、ナビゲーション機能や様々な機能が搭載とうさいされている点は従来のスマートフォンとそう大差ないが、大きく変わったところは空中触覚タッチパネルシステムが搭載されたことだ。


 液晶画面が付いてないからこその指紋などによる、衛生面の向上性を高めただけでなく、空中投影により表示される画面サイズの大きさを自在に変えることが可能となり、老夫婦にはビデオ通話で話す孫の姿がよく見えると好評だ。


 だがいくら普及しているものとは言え、これは一般に売られているそれにはない問題点があった。


「くそっ!なんだよこれ。この……くッ!こいつ、外せやしねぇ…………」


 彼の右腕に付けられたEPOCHには強力なロックが掛けられていたのだ。


 と言うか一体何故、このようなものが俺の腕に………?


 今は色々考えていても仕方が無い。まずはこの非常事態を前に、どうにかしてそれを外そうと、手当たり次第にガチャガチャといじり続ける。


 するとデバイスの底にあったスイッチのようなものに触れてしまい、電源が起動し彼の目の前には長方形型の平べったい立体映像が空中投影された。


「うおっ!」


 彼は突然のことで驚いてしまい、思わず声を上げていた。


「兄さ~ん、何かあったー?」


 何事かと一階から心配そうに声を上げる紫乃。


「な、なんでもないから、気にしなくて良いぞー」


 一階に聞こえるぐらいの声量で対応すると、すぐに落ち着いてみせた。


 そして彼は映像スクリーンに目を向けると、そこに映し出されていたのは、《神眼者しんがんしゃリスト》、《ゲーム内容》、《お知らせ》の三つからなるコマンドが大きく表示されていた。


 ちなみにあの場にいた者ですでにEPOCHをすでに持っていた人は、気付かぬ内に中身のデータを少しいじられ、これらのデータが追加されていたのだという。


 それといつの間にか、すでに愛用している者達のデバイスも同様に外せなくなってしまっていたのだが、その件については一人一人タイミングによって、のちに知ることとなる………


 それはそうと彼はまず、《神眼者リスト》のコマンドをタッチした。


 すると画面が切り替わり、そこにはゲーム参加者の一人であろう顔写真と名前、それと性別やその人に関するいくつかの情報が事細かく掲載されていた。


 画面をスライドしていくと、また別の人の情報が顔写真と共に表示され、ざっと見た彼はあることを思った。


(そういやあっちにいた時は、そんなところまで見ていられる程に冷静じゃなかったから気が付きはしなかったけど………さっきからこれを見るに載っている人がじゃないか)


 彼はそのことに深く疑問を抱いていると、《お知らせ》のところに一通の通知があったことに気が付き、今度はそちらをタッチした。


 内容はこうだ。


『はじめに、このお知らせは貴方のデバイスにのみ送信されたものになります。内容は貴方だけが男性神眼者であることについて――。

 これまで数多くの男性が試練にいどみ、そのたびに痛みに耐え切れず、彼らの魂は消滅しょうめつされて逝きました。

 貴方だけがそうはならなかった原因ですが、それは今までと一つ違う点にあります。

 男女問わず神眼の移植には、両目をもって行うことが前提であるのに関わらず、あの時ばかりは蘇生を希望する者に対して、神眼のという手を打たなければならない事態にあった為、その痛みは両目移植時の半分に過ぎず………、

 分かりやすくたとえるならば、〈女性が出産の際に生じる痛み〉と〈目の裏が焼けるような痛み〉――、そんな痛みが全身へと駆け巡っていく感覚が五割減少されたといったところでしょうか』


 ここで文章が終わりかと思えば、良く見れば下の方で字が見切れてしまっていることに気が付き、慣れない動作で投影された映像スクリーンに手が触れ、触覚センサーが反応。


 ぎこちないスライド捌きで下へと下げると、見切れた部分の後ろの文字が表示される。


『補足として、何故貴方だけが片目移植に至ることになったのか――。

 結論から言ってしまうと、ある特殊な事態により、〈片目分だけしか、すぐに用意出来る神眼が無かったから〉に過ぎません。

 素材から物を作り出すように、全くのからゆうを創り出せる筈も無く、神眼には神眼の――『神眼を』が必要不可欠なのですが、その為の質の良い素材が十分に集まっていなかった中、何とタイミングの悪く……いえ、結果的にはそのおかげで生き返ることが出来たみたいなものですから、良かったのでしょうか。

 この場所へと迷い込んだ貴方に、あのような強い生存欲求を魅せられてしまった以上、急遽きゅうきょペアの足りない未完の片目を授けるような形になってしまったが故のこと―――。

 本日はこれまたいつも以上に、神眼に適応出来た者が現れたのですから、こんな事態にもなってしまったのでしょう。

 何にせよ、想定していた年月より早く多く集まったことで、今日この日をもって――前々から神達の間で計画をしていたゲームの決行を宣言させて頂いた訳です。

 如何いかなる環境においても生き抜こうとする強い心と力――If you can't even build that foundation, the global spread of humanity is nothing but an infectious disease for the world.

 -人類種の限りある選抜Survival or ultimate death-。これは地球上で最も好き勝手に貪る人類に求められた、未来を指し示すゲームである。

 そして最後に……そもそも何故なぜ、移植の際に両目である必要があるのかについて――。

 神眼の視力上、片目だけでは見え方に支障ししょうが出ることが多いのですが、貴方はそういった様子がございませんでした。

 どうやら貴方は私が思っていた以上に元の視力が高く、片目移植でも特に問題がなかったのはまさに運が良かったとでも言えましょう』


「な、なんだよ、これ………」


 彼は驚きを隠せずには、いられなかった。


 なにせこのことが本当であれば、その異常事態とやらが無ければ、はなっから自分は蘇生出来なかったと言われているものである。


(となると、へアムが言っていた協力者の『ニーナ・ランドルト』とか言う人物も、女性ってことなのか?

 それ以上に陣痛じんつうと焼死するような痛みが合わさった感覚って………

 そりゃあ、陣痛ってのは男には耐えられない痛みなんて言われているけど、それの半分の痛みだとか何とか言ったって、あれもなかなかのものだったが……………)


 なんにせよ、能力の覚醒だか何かでゲームを有利に進められるということは、それだけ生存率を高めてくれる重要なものだと言える。


 このゲームを受け入れるかどうかは別として、その者の顔を知っておいて損は無い筈………。


 彼は――、『ニーナ・ランドルト』とやらの人物をリストから探し始めた。


 だがリストには記載きさいされてはいたものの、肝心かんじんの顔写真が表示されておらず、代わりにその人物と思しきシルエットだけが映っているだけだった。


 詳細文しょうさいぶんを読めばこのシルエットがヒントですと書かれているだけを見るに、どうやらそう簡単に教えるつもりは無いらしい。


 神の遊戯とか言っていた彼女のことだ。おそらくそう簡単に教えてしまっては、ゲーム性としてつまらないとでもいうのだろう。


 考え事をしている内に眠たくなってきた悠人は、いつの間にかデバイスの電源を消すことを忘れ、そのまま倒れ込むように寝てしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る