16話 思い出タルト

 デートはつつがなく進んでいきました。

 アクセサリー屋を後にした私達は、ぶらりぶらりと市民街を歩きました。それはもう、あの独特な声のナレーションを付けたい具合にぶらりとです。

 それに追随して人だかりも出来、店に立ち寄れば通行止めをしかねない事態も起きました。その度に護衛の方が人だかり無くしていましたが、それでも追いつかないほどに人が集まるのでした。


 耳を澄ませば遠くに聞こえる、というわけでなくて、人だかりに耳を傾ければ自然と聞こえてくるのは驚きの声です。

 どうやらアレンが街を歩いている事が珍しいらしいのです。というのもありますが、何よりも多く聞こえたのはもちろんですが、予想通りでしたが、私のことでした。


 それはそうでしょう。私、フィアナはアレンの理想ではありますが、そしたらのアレンの理想のベースが亡きアシュレイさんに激似しているのですから。


 ナンパくんはまだ若かくあまり覚えていないからでしょうし、アクセサリー屋の店主さんはおそらくまだここに来て間もなかったからなのでしょう(内装がまだまだ綺麗だったので、おそらく)、反応がなかったのは。


 しかしアシュレイさんを知り、よく覚えている人からすれば私の姿は度肝を抜かれることでしょう。実際にそうなっているのですから、そうなのでしょうが。


 ずっと歩いているわけにもいかないので、私とアレンは甘味処に立ち寄りました。エルバードさんや護衛の方々は外で待つことになりました。


 私達は外がよく見える窓際の席に座りました。店員さんに案内されたわけではなく、自由に座っただけです。

 因みにですが、自由に座れるほど空いていたということではなくて、私達が店に入ると中にいた客は店をあとにしました。


 とんだ営業妨害もあったものですが、貴族が来店したという箔がつくと、案外店主さんは気にしていない様子でした。いえ、それともいつものことなのでしょうか、今までの店主とは違い驚いた様子がありません。

 貴族は普通、市民街を出歩くことなんてありから、その箔はかなり貴重も言えるのですが……。


「この店は俺のお気に入りでな。とにかく甘味ならハズレはない」

「意外、ですね。貴族様は、こういうところに出向かないものだと思っていました」

「小さい頃からの行きつけなんだよここは……。それに、俺は市民街にもよく行く。変わり映えのしない高級市街より、目まぐるしいこちらの方が楽しいからな」

「ふふ、子供っぽいところもあるんですね」


 子供っぽいところだらけではありますが、しかしアレンの口から出て来た言葉達は本音なのでしょう。だって、きっとそれも、アシュレイさんがかつてしていた視察に影響されてのことだから。


「さて、何を頼む?」


 アレンはメニュー表(もちろん文字だけです)を見もせず、私に手渡してきた。


「アレンさんは見なくても大丈夫なのですか?」

「行きつけと言っただろう。俺はもう決まっている。それとだ、ここでも好きに頼めばいい。値段も気にするな」

「ありがとうございます」


 さて。相変わらず太っ腹なアレンのおかげで財布の痛手を気にする必要はなくなりましたが(元々協会の経費で落とせないか頼むつもりではあったが)、しかし何を頼むのが正解なのでしょうか?

 いえ、別に味の良し悪しが基準なのではなく、それは気にするところではありませんので。アレンが行きつけているということは、お貴族様のお口に適うということですから。


 では何を気にしているのかと言いますと、いえ、答えは出ていますね。


「アレンさんは何を頼むんですか?」

「俺か? 俺はベリータルトだ」

「美味しいそうですね。じゃあ私は、こっちの卵タルトにします」

「なんで聞いたんだ?」

「違うものを頼んだ方が楽しめるからです」


 アレンとは違うものにしておきました。同じものを頼むとか、女子的ありえませんので。

 違うものを頼んで、交換して、色々な種類を味わう。私はこれをたくさん学びました。それに、これならとある行為の口実にもなるのです。


「茶はどうする?」

「お店のオススメにします」

「わかった」


 お茶はお店のオススメでいいでしょう。これに関しては作る人によってお茶の出し方が違うので、どれこれが一番いいとは言えないと思うのです。ですから、よっぽど信頼のおける店ではない限り、経験(作り手や客の反応のことです)から導かれるオススメを頼む方が、きっといいのです。

 ちなみですが、私はしっかりとお茶も出せます。美味しいお茶を出せる人というのは、それだけでステータスになりますから。普通に過ごしていてお茶の出し方にこだわる人は少ないですし。


「おばさん」


 アレンがそう呼びました。するとすぐに厨房から独特な服を着た女性が出てきました。この店の制服なのでしょうか? それにしては本当に独特過ぎる気もしますが。

 しかし、アレンがおばさんと呼んだ女性はとてもおばさんには見えず、見た目は二十代後半の現役バリバリの方でした。

 店主ーーおばさんは茶髪を後ろで括っており、首回りはすっきりとしていました。そして声の方も通りのいいすっきりとしたものでした。通りいいというか、ただ滑舌がいいだけなのでしょうが。


「また来たの? というかおばさんはやめなさい」

「ふんっ。客に対してなんて態度だ」

「相変わらずね、まったく。注文は?」

「俺はいつものだ。こちらの女性には卵タルトと、あんたオススメのお茶を」

「……了解。少し待ってて」


 店主は注文をとると厨房に戻っていきました。すると一気に静けさが戻り、厨房から聞こえてくる小さな音が、より一層それを感じさせました。まるでししおどしです。


 と、思っている場合ではありません。そう、思っていたのとは違う、知っていたのとは違う、思わぬ人間関係を見てしまったのです。これは聞かないわけにはいきません。


「随分と仲がいいんですね」

「俺とおばさんが? 冗談はよしてくれ。小さい頃から通ってるんだ、顔見知りくらいにはなる」

「それにしては楽しそうに話してましたから。てっきり、アレンさんは店主さんの事を好いているのかと思いました」

「やめてくれ、ほんとうに。だいたいそれならフィアナをわざわざここに連れてきたりしない」


 ですね。わかっていましたとも。ですがそれでも情報を得るには仕方がないことだったので。すいません。


「お待ちどうさん」

「早いな。手抜きしたんじゃないな?」

「するわけないでしょうが。あんたにならともかく、そちらの方にはなんの恨みもないからね」

「俺には恨みがあるような言い方だな」

「さあね。私は、ないから安心しな」

「わあ、甘くていい香りですねっ」


 不味い、まずい、マズイ、です。


 仲が悪いのではなかったんですか? 一周回ってもう夫婦漫画になっているじゃないですか。

 しかも昔から知ってる年上のお姉さんが相手とか、なんなんですか、どこのハーレム主人公ですか。ロマンとか夢とかなのに、地球の男性が見たら現実の厳しさに打ち砕かれます。

 そんなテンプレいりませんっ。


 思わず話を区切ってしまいました。なんですか「わあ、甘くていい香りですねっ」って。これもテンプレじゃないですか。話の止め方、下手くそにも程があるでしょう私。


「ありがとう。こっちの生意気坊やとは違って素直でいい子ね」

「それはこっちの台詞だ」

「お茶も美味しいそうですね」


 危ない、あぶない、アブナイ、です。


 隙あらば夫婦漫才を繰り広げようとしてきます。これは思わぬところに刺客がいました。

 いえ、アレンのことですから街のそこらに口説いている女性がいるものだと思っていましたし、実際その可能性を考慮した『アレン攻略作戦』です。

 しかし、こんなところで、店主ーー歳上お姉さんという属性持ちで、夫婦漫才を繰り広げるほど砕けた仲である女性が出現するなんて予想出来るわけないじゃないですか!


 まったく、予想外にも程があります。これでは作戦が上手くいきません。もう少し、アレンの好感度を上げておかないと、このあとに差し支えます。


「本当に、いい香りです」


 それに偽りはありませんでした。咄嗟に、夫婦漫才阻止のために出てきた言葉でしたが、咄嗟だからこそ余計な考えがない本音でした。

 いえ、私の場合それも日常茶飯事でしたから、咄嗟に出てきた本音が本当かは怪しいところもありますが。

 ですが今この目の前に出された卵タルトと紅茶は、本当にいい匂いですしいい香りです。美味しそうです。


 卵タルト。手のひらサイズのパイ生地で出来た器には、焼き目のついたカスタードクリームがたっぷりと入っています。タルトの中でもシンプルで、だから私は一番好きなのですが(友達にあげるときとか楽でした)、甘い香りが既に美味しいです。


 そしてそのお供には店主おすすめの紅茶……ではないですね。だって紅ではなくて、蒼ですから。蒼茶とでと言うのでしょうか? それはわかりませんが、いい香りはします。ただ、しつこいようですが蒼ですので、若干気を削がれる気もします。


 ですがですが、私の中の乙女心に引っかかっているのでして、是非ともこれがなんなのか気になります。


「青いお茶は初めて見ました」

「そうなの?まあ店でも出すところは少ないからね」

「これ、何から出来ているんですか?」

「アンチャンっていう青い花で淹れたお茶よ」

「へぇ、そうなんですか」

「これハチミツね。好みで入れてみて」

「ありがとうございます」


 ああ、今度は女子同士の会話になってしまいました。私はアレンと話したいのに、加減が上手くいきません。……すいません、自分の中の欲求に耐えられなかっただけでした。


 私は店主から受け取ったハチミツをティースプーンで二杯ほど淹れた。このハチミツも綺麗な色をしていて、上質なものだと思います。


「凄い……」

「驚いた? ハチミツを入れると色が変わるんだよ」

「はい、驚きました」


 綺麗です。ハチミツを垂らすと、そこから蒼だったお茶が紫へと変色していきます。変色の波が徐々に広がっていく様は本当に芸術的で、見ていて飽きません。

 これぞインスタ映えなのではないですかね。地球にあったら、間違いなく話題沸騰です。お金の匂いがプンプンします。


 はっ! アレンが黙っています。喋らなくては、と思っているとアレンは優しい顔をしていて、不思議な様子でした。何故?


「懐かしいもの出すな」

「そういえばあんたも小さい頃は好きだったね、これ」

「まあな。子ども心にはいい刺激だろう」

「だね」


 来ました、チャンスですっ! いいトスが上がったんです。アタックナンバーワン!


「恥ずかしいです」

「ははっ。可愛らしくていいじゃないか」

「うぅ」

「意趣返しにはなったな」


 やっと、デートっぽいことができたんじゃないですか? これですよこれ。私がやりたかったことは。


 私が内心ほくそ笑んでいると、店主が茶々を入れて来た。


「なんだ。結構お似合いだ。色々噂は聞くの誰も連れてこないかったからね。この子なら許せるの?」

「許すって何を」

「んー? 思い出に踏み込まれること」

「なんだそれは?」

「ありゃりゃ、無意識なんだ。これは大変だね、あなたも」

「ですかね……」


 この店主も気がついているようです。アレンがアシュレイさんとアレンを重ねていることを。

 だとするとです。……この店主、侮れなくないですか? かなり重要なことを知ってそうなんですが。というか、アレンの変化に結構気がついているあたり、鋭い人です。


「そろそろ食べないか?」

「あ、はい。いただきますね」

「じゃ、私は退散退散。何かあったら呼んでね。特にあなた、アレンに何かされそうになったすぐに叫なさい」

「しない。いいからさっさと戻れ」

「はいはい。ではごゆっくりー」


 ひらひらっと手を振って店主は戻って行きました。ようやくって感じで二人の時間です。デートなのですからそれは当たり前です。


 さてと、実食です。


「チッ。相変わらず味だけは確かだな」

「美味しい……」


 まずは卵タルト。

 パイ生地はサクッとしておりほんのりバターの香りがします。表面には砂糖を塗って焦がしてあるせいか、口に入れると香ばしさが増します。

 そしてカスタードクリーム部分です。これがまた絶妙な甘さをしていて、それでいてプリンみたくとろりとしています。

 さらにカスタードクリームとパイ生地が見事に噛み合っていて、なるほど、これは美味しいです。是非ともレシピを聞きたいですがそれは出来なさそうですから、コツだけでも教えてもらいましょう。


「んっ」


 次に口にするのは。丸わかりですが、そう、お茶です。青いです。いえ、青かった、紫のです。

 目を閉じてみましょう。そうすればビジュアル的には気になりません。

 はあ、いい香り。こうしてみるとハーブティーに近いのかもしれません。まあ、問題は味ですから、全ては呑んでからです。……いつから私は皮肉屋の料理評論家になったのでしょうか? 単なる女子力な追求者です私は。


「美味しい、です」


 味は紅茶でした。ただ少しすっきりとした味で、ハチミツの甘味もあってか美味しいです。香りが際立っていますし、淹れ方も上手なのでしょう。


「どうだ? 美味いか?」

「はい、すごく美味しいです。通いたくなっちゃいますね」

「気に入ったのならよかった」


 まったく、店主がいないところではこの味を自慢するのですから、ツンデレですかって話しです。もちろん、男のツンデレなんて気持ち悪いだけなのですが。


 普通に味わってしまっていますけど、ここで別々のものを頼んだ布石を回収しなくてはいけません。


 問題。

 同性同士では普通にしますが、異性同士が、それも付き合う前の男女ですると甘くなる行動とはなんでしょう?

 さあ、皆さん簡単ですよこれは。初級です。


 では答え合わせといきましょう。


「アレンさん。よかったら食べ比べませんか?」

「ああ、わかった。ほら」

「もう、それは無粋ってものです。今日はデートなんですから、あーん」


 正解は食べ比べもとい食べさせ合いっこでした。これは同性ですると特に意味もありません。女の子同士な百合に、男同士だとちょっと辛い絵面に。


 しかしこれが異性となると少し意味が変わってくるわけです。

 女の子側からしたら、まあ8割近くが多分特に意識もせず、つまりは無意識でやっていることです。残りの2割は私と同じで自分を魅せるあざとい人。

 男性側からしたら。これがなんと、およそ9割が「え、こいつ俺のこと好きなんじゃね」っとなるのです。残り1割は女慣れをしているプレイボーイですが、こちらも満更ではないのです。


 まあ、私は同性も異性も関係はありませんでしたが。喜ばれました。


 とにかく、これがデートにおける初歩中の初歩。そして基礎となるわけです。共有するものが増えるのはいいことなのです。それが一時的でも。


「ッ!?」

「どうかされましたか?」

「い、いや」

「もしかして、嫌でしたか?」

「そんなことはない。ほら」


 アレンは自分のケーキをフォークで切り、私の口に向けてきました。甘酸っぱい香りがふんわりとします。


 アレンのケーキはベリータルト、らしきもの。ベリーかどうかはわからないので。ですが匂いはベリーなので、仮定しておきましょう。

 ブルーベリー(っぽいもの)やラズベリー(っぽいもの)、青紫と赤紫が彩りを添えています。見た目鮮やかに、アンチャンのお茶と同じで、子供も惹かれるそうなタルトです。


 髪が邪魔にならないように左手で抑えて、


「いただきます」


 あむっ。

 私の頼んだ卵タルトとは違い生地はクッキー生地。サクサクっとしており、食べ応えのあるものとなっていました。クリームは甘さ控えめ。しかしいっぱいに乗せられたベリー達が酸味と甘みを持っているので、これはきっとそれを生かす為なのでしょう。バランスが良く、これならいくらでも食べられそうでした。

 アレンが通いたくなる気持ちもわかります。


「どうだ、美味いだろ」

「はい。楽しい味ですね」

「だろう。小さい頃からのお気に入りでな」


 アレンはとても嬉しそうにそう言いました。どうやら自分の好きなモノが褒められた、同じ気持ちになった、共有したのが嬉しかったのでしょう。作戦勝ちです。


 次は私の番ですね。アレンに自分の分を上がるのは些か不本意ではありますがこれも作戦のためです。それに元を辿ればアレンが払うなですから、私に痛手があるわけではありませんでした。


「アレンさん。はい、あーん」

「ッ! いや、俺は、大丈夫だ。卵タルトは苦手でな」

「そうなんですか? すいませんでした」

「いや、気にするな。どちらかというと俺が悪い。俺が不甲斐ないせいだ」


 うーん。どうにも引っかかる反応ですね。そういえば、食べさせ合いっこを提案した時にも何か妙な反応をしていました。何かあるのでしょうか?

 もう一度アレンを見ます。すると、目が涙ぐんでいました。ほんのりと湿っていて……。


 え、ええぇ!? 私何かしましたか? いえ、してしまったからこうなっているのでして。いえいえ、そんなことよりも今はフォローをしなくては。


「あ、あのアレンさん大丈夫ですか?」


 そう言って涙を拭おうと対面に座るアレンに手を伸ばした瞬間、私は確かにこの耳に捉えました。誰もが口にしたことのある五つの音で紡がれた言葉は、確かに微かにこの耳に届いたのです。


「おかあさん……」


 小さい言葉でした。もしかしたら実際にはそう言ったのでなくて、違う言葉を口にしたのかもしれません。

 ですが、アレンはどこか遠くを見ているかのような様子を見せました。


「アレンさん……?」

「フィ、アナか……。すまない。もう大丈夫だ」

「気にしないでください」


 どうやら落ち着きを取り戻したようです。私も立ちかけた状態から椅子に座り直しました。仕切り直しです。

 が、そこからはアレンも上の空で、ふわふわとしていて、とても地に足がついような状態ではなかったのです。

 そうして、時は過ぎていきます。過ぎて、しかし私に休む暇などは与えられないようです。


 アレンの向こう側、厨房から店主さんが手招きしていました。

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