満ちる夜に妖し華
綺璃
序章
壱
これが現実か!
スマホを片手に家を飛び出した。
真冬の凍えそうな夜。
ちらちらと雪が降り積もる中、あたしはバカみたいに長袖シャツにジーパンだけの姿で住宅街を駆けていく。
−−−だって、耐えきれなかった。
まさか、あたしを売り飛ばすなんて!!
借金だらけの家。アルコール中毒の父親とボロいアパートの狭い部屋に住み、朝から晩までバイド三昧。
高校を中退し、必死に家のために尽くしてきた。
住宅街から小川が流れている堤防沿いに出る。
がむしゃらに走り、向こう側とこちら側を繋ぐ橋を渡った瞬間。
横の道から突然、大きな生き物が現れた。
ぶつかりそうになったあたしは悲鳴をあげて尻餅をついた。
「−−−はぁ、はぁ、はぁ…」
息を切らし、汗だくのあたしは目の前にぬぅと立つ二頭の牛にギョッとした。
「−−−え?なんで!?牛が??」
わからない。
どこかの牧場から逃げ出してきた?
いや、ありえない。
だってここは牧場なんて大自然のない、大都会なんだから!
道端に座り込んであたしが呆然としていると、立ち止まっている牛の後ろから人が現れた。
長い漆黒の髪と切れ長の紫の眼の男性と色素の薄い髪と眼をした青年。
月の光に浴びて現れた二人のイケメンに目を奪われた。
「…す、すまないっ。怪我はないか!?」
蒼ざめた表情で色素の薄い青年が慌ててこちらに駆けてきて目の前に屈んだ。
「……っ」
なんとも雅やかな二人のイケメンに驚いていたあたしだったが、その言葉にはっとして、「怪我がなかった」と答える代わりに首を振った。
「…そうか。よかった」
その姿に青年はホッとしたように表情を崩す。そしてふとあたしの姿に僅かに眉をひそめてから中腰になり、こちらに手を伸ばしてきた。
「急に来たから驚いただろう。すまなかった。立てるかい?」
「……え?あ、だ、大丈夫」
あたしは首を振って小さく答えると、差し出された手を掴もうとして、ふと彼等の格好に目を剥いた。
−−−わぁお!!な、なにこの格好。二人とも、まるで平安時代の貴族様のようだ!
烏帽子に赤と紺の衣裳。
まさか、近くで時代劇の撮影でもしているのか?
そう思いながらぽかんとしていると、手を伸ばしている青年の横から、もう一人の男性が静かに近づいてきた。
彼は口元を扇子で隠し、こちらを侮蔑の込めた冷めた目で見つめる。
「やめておけ、道長。その娘、鬼門から来ている」
手を取ろうと宙に出されていたあたしの手を、その扇子でペシッ!と叩かれた。
まるでバイ菌扱いだ。
ムッとしたあたしは男性に文句を言おうと、地面に手をついて自力で立ち上がろうとした。
すると、ズキン!と右足に痛みが走った。
「−−−いっ!!!」
そのまま地面に再び座り直し、体を丸めて痛む右足首に手を伸ばした。
「触ってはいけない」
だが、目の前の青年が触れようとしたあたしの手首を掴んだ。
驚き、顔を上げると、至近距離に彼の顔があった。
思わずどきりとして、身体を後ろに反らす。
「これは、挫いたのではないかな」
青年の端正な顔に惚れていると、足にひんやりと何かが触れた。
「………きゃ!?」
思わず悲鳴を上げて跳びはねる。
足元を見ると、青年の手が挫いたであろう右足首に触れていた。
「あ、すまない。痛かったか?」
青年が心配そうにそう尋ねた。
だけどあたしはそれどころではなくて。触れられた所が熱くて、異性に免疫のないあたしの顔は真っ赤だ。
何か言おうとしたが頭が回らなく、口をパクパクさせた。
「おい、道長。そんなの放っておけ。早く行かないと」
そこに苛立ったように口を挟む男性。
道長と呼ばれる青年は「黙っててよ」と男性を冷たく一瞥して、あたしの顔を覗きこんだ。
「これは医師に見せた方がいい。私の屋敷がこの近くだから」
そこで言葉を切ると、青年は優しくにこりと笑った。
刹那、ふわりと身体が宙に浮いた。
「きゃっ!な、なに!?」
驚いて、とっさに近くのものにしがみつく。
「ごめん。少し我慢していて」
途端上から声が降ってきて、ぎょっとして仰ぎ見ると、青年の真剣な目とぶつかった。
そこでようやく気づく。自分が彼にお姫様抱っこされていることに。
「…え?あ、嘘!あ、あの、ちょっとおろして!」
恥ずかしさに真っ赤になり思わず暴れた。
「わ!?ちょっと危ないから動かないで!」
途端、青年に強く睨まれてしまった。
あたしはうっ、と言葉を詰まらせた。
確かにこのまま暴れれば、彼の腕から落っこちてしまう。
落ちたら尻打って痛いだろうな。
「あ、うう…っ。その、でも…」
だけど、やっぱり初対面の人にお姫様抱っこされるのは抵抗がある。
あたしが言葉につっかえていると、青年が真剣な表情で歩き出した。
振動から動き出したのだとわかり、あたしは渋々と彼にされるがままになった。
その後ろでは、もう一人の男性が扇子を広げ、呆れたような深い大きなため息をついている。
感じ悪いなぁ、と思い顔をしかめた。そして何気なく空を見上げて、目を見開いた。
暗く広い夜空からしんしんと降り続いていた雪はとうに消えていた。
変わりに夜空に浮かぶのは、キラキラと輝く星々と、美しく光る満月だ。
見たことのない、大きな満月。
感嘆しながら、あたしは自分の置かれた状況に全く気づいていなかった。
−−−この日を境に、あたし、山本桃子は今世の時代から姿を消したのだった。
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