deimos01-04
開かれた扉の隙間から、強い異臭が流れてきた。
……血の匂い。
ザワッとするような酸っぱさと、微かな甘さを伴ったその匂いが扉の隙間から広がってきた。
「チッ、そういうことか……」
床に敷かれた絨毯を見て、アレスの腹立たしげな態度の意味が俺にも判った。
元々染められた色も何もかもが、人血の色に変わっている。
奥の大きな窓から射す光が、間違えようのない事実を伝えてきた。
絨毯からはみ出て溜まっている血だまりが、この場で起きた凄惨な状況を知らしめる。
「ほう、もうここまで来たか。さすがは神というところか」
逆光で暗い表情だが、口端をあげ、やけに白く見える歯を見せて笑う男が声を出す。
「てめえ……喰ったのか。この宮殿に居た人間達を喰ったんだな」
「ああ、喰ったさ。旨いのは頭と腹だけだったから、食い散らかすことになったがな」
部屋の奥に積み重ねられた、頭部のない遺体の山が男の言葉を裏付ける。
「それが最後の食事になる。てめえはここで死ね」
「ふんっ。この身体に刻まれていた記憶が教えてくれたぞ。神はギガースを倒すことも傷つけることもできぬとな。おまえに何ができるというのだ」
事実を淡々と述べるアレスの言葉を、その男は
「ああ、俺にはできない。だが、神には傷つけることができないギガースがどうして滅んだか、その身体を教えてくれなったのかよ」
「教えてくれたさ。ヘラクレスも今は神となった以上、この世に敵はいないとな」
「人間にはてめえを倒せないと?」
「ああ、この身体は素晴らしい。現在の人類が持つ力……科学だったか……でなら、私を倒すことも可能だ。だがな? 私達を捕えることができぬ人類に、どのような力があろうと恐れる必要はないのだよ」
「へっ。おまえを捕まえられる人間……いや、ヘラクレスと同じ半神が居たらどうするんだい?」
男から笑いが消え、一歩後ろに下がる。
「……まさか……いや、そんなはずはない。現代の人間は神と語ることはできないはず……信仰を失い、神と接触せずに長き時を過ごした人間にそのような……」
「ああ、だが、居たんだよ。俺達と会話できる変わった奴が残っていたのさ。信仰心なんかもっていねぇのによ」
俺の方に顔を向け、にやっとアレスは笑った。
――少なくとも褒めてはいないな、こいつ……。
もうこうなったら仕方ないとアレスの横まで歩く。
「デイモス。何故ここの人達を喰った?」
「ふんっ。人間も同じことをしているのではないのか? 餌が目の前にあれば喰うそれだけだ」
言い方は悪いが、この国の人達はデイモス達の手駒だったはずだ。
手駒を減らして何の得があるというのか、俺には判らない。
多分、こいつらが下した命令で、今この時も戦場で戦っている兵士達がいるはず。
デイモスに良心を求めるつもりはないさ。
人間だって、前線で戦う兵のことを考えてる権力者がいるなんて思っちゃいないしな。
だが、戦後の混乱してるタイミングならまだしも、戦いを始めたばかりで何故だ?
「戦争仕掛けておいて勝とうという気はない……のか?」
「戦争に勝つ? クククッククク……ハァッハッハッハッハッハッハ……」
「何がおかしい」
「……笑わせてくれる。勝ってどうするというのだ? 我々の望みは、我々を生み出した人間への復讐だ。この国の人間も例外ではない」
「殺し合いのためだけに戦争を仕掛けさせた……そういうことか?」
高笑いから含み笑いに移した男の笑い声が癇にさわる。
「フフフッ……それ以外に何がある? この小さき独裁国に核があると知って喜んだぞ。頭さえ押さえれば、思う存分命を散らすことができるのだからな。……そう、効率が良いという奴だ」
「てめぇ……許せねぇ……」
「いいぞ、いいぞ、その憎しみ……怒り……もっと私に浴びせよ。それが私に力をくれる。更なるおびただしい数の命を奪う糧になる」
この糞野郎との、これ以上の会話は不要だ。
戦争状態に陥った現状を収拾する手段があるのか判らない。
だが、目の前のこいつを生かしておいても良いことなどあるはずはない。
……アレスの前に出て、敵に杖を向けて、目の前の男に雷撃をと躊躇なく念じた。
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