E43 俺達のEカップル婚

 俺達は、二〇一八年五月十五日の火曜日、ひなぎくの二十九歳になる誕生日に、入籍する。


 早い方がいいし、ひなぎくの誕生日にしたら喜ばれると思ったからだ。

 ついでに翌日は、俺の誕生日で、尚、嬉しい。


 今日は、五月晴れのいい日だ。

 それに、今日も綺麗なひなぎくは、似合いの純白のワンピースにフラットな靴だった。

 俺は、黒の三つ揃いだ。


 二人だけで、ふるさとななつ市役所に午前十時に、婚姻届を提出しに来た。

 俺もひなぎくも石橋を叩いても渡らないたちなので、しっかり書けているか再び目を通す。

 届出日、氏名、住所、本籍、父母の氏名・父母との続き柄、婚姻後の夫婦の氏・新しい本籍、同居を始めたとき、夫婦の職業、届出人署名押印、連絡先、証人。

 白咲のご両親にこちらへ来ていただいて、証人になっていただいた。

 仲人をお願いすれば、ひなぎくも緊張すると思ったからだ。

 二人でひなぎくのふるさとへドライブし、ひなぎくの戸籍謄本もしっかり取って来た。

 最初、インクを変えたばかりの機械の判子が、呪いの血だまりみたいになったので、作り直しをして貰った。

 おめでたい日なのだから。


「よし、行くか? ひなぎくちゃん」


 戸籍住民課に向かおうとソファーから立ち上がると、ひなぎくに腕をじいーってつねられてしまった。

 多分、いや、きっと、呼び名がいけなかった。

 窓口から十五番が呼ばれたので、喜々として顔を出した。


「こちらに捨て印をお願いします」


 それは気が付かなかったな。

 だが、もう、このかしこまった書類に何も問題はないようだ。

 ふるさとふっくんの用紙もあったが、それだけは、俺が断った。

 即日受理された。


「ああ、俺はなんて幸せなんだ! ひゃっほい!」


「うふふ……」


「わ、笑うなよー」


 あっはは。

 うふふふ。




 黒樹家に帰り着くと、大変だった。

 子ども達は綺麗な服を着せて貰って、女子チームは皆、白咲のおばあさんが仕立てたお振袖で、男子チームは、フォーマルスーツだ。

 白咲のおばあさんが、もてなすこと、もてなすこと。


「俺は、大丈夫ですが、ひなぎくさんは飲めないのではないかな。は、はい。ちょうだいいたします……」


 俺までなじみのない日本酒になってしまった。


「縁起がええから、縁起がええから……」


 ひなぎくに日本酒をすすめるから、困ったもので、ノックアウトまで、カウントダウンだった。


「きょ、今日から、あなたと呼びまっふ! あなた、あなた、あなた……。へふっ」


 寝ぼけて起きるとそう言ったものだから、皆で大笑いだった。


「呼び過ぎだこら。俺は一人だ」




 酔い覚ましにと、黒樹の部屋から続く南向きにある広縁ひろえんで、二人は肩を寄せてあたたまった。


 ゆっくりとひなぎくは語りだした。


「私、思い出したの。青いバラを初めて見たのを――」


 ――プロフェッサー黒樹……。

 黒樹悠教授。

 パリのシテ島で、漢として貴方の寂し気な背中を見たのを。

 どなたかの結婚式を見つめていましたね。

 その方はとても美しく、キラキラした瞳で結った金髪もベールから輝いていました。

 胸元には、美しいブーケ。

 私みたいな控えめ過ぎるタイプとは違うハツラツとした方でした。


「あの方が、奥様だった方なのですよね。あなたは、その再婚を陰ながら応援していたと仰いました。でも、本音ではないですよね。あなたとの三人の子ども達だって置いて行ったのだからとも仰いました」


 黒樹は、遠くを見る。

 遥かパリで長く生活していたが、こうしてふるさとへ帰ったことを。

 特に墓もないが。


「俺は捨てられたって仕方がないが、子ども達はな……。八歳と五歳と五歳だ。母から離れる程大きくなっていなかったからな。応援したのは、晶花しょうか……。元妻の名だが、晶花の幸せは、自分でつかみ取って貰うのもいいかと思ったんだ。俺も若かったからな」


 ひなぎくは、遠くを見る。

 今、シテ島にいる自分の背中を見ていた。


「この時のブーケは青いバラオンリーのものでした」


 ひなぎくは、酔っているせいか、脱力したままだ。

 俺が、むしろ驚いた。


「青いバラのブーケ……? 晶花の再婚がか!」


 黒樹は拳を震わせて膝を叩いた。


「ちっくしょう! 何の呪いだよ? 青いバラは元妻の象徴、呪いか?」


「ヤキモチ妬いてごめんなさい。今は、一緒にいられるだけでいいと思っています……」


 ひなぎくは、頬を桜色に染め、謝りながら黒樹の拳を優しく撫でた。

 

「そうだ、お墓が見つかりましたよ。あなたの思っていた温泉の下ではなかったようです。ホテルビュー二荒神の側にありました。パンダ食堂の飯森さんがよく教えてくださいました。一緒に行きましょう」


「行ってどうするんだい? 知った人はいないぞ」


「私は、そこに入るのです。あなたの長生きをお祈りさせてください」


 頭を下げる代わりに黒樹の肩に身をゆだねた。

 黒樹もひなぎくもぬくもりを離せないでいる。

 地球が何回、回っても……。

 傍にいないと死んでしまいそうだ。


「墓にか? ひなぎくちゃんは? あ、ひなぎくだったか」


 頭をぺんぺんと叩かれた。

 薄くなるのか生えるのか。

 あ、俺は長生きすれば、皆の幸せを見届けられる。


「父が命名してくれた白咲ひなぎくと言う立派なフルネームがあるのですが、ひなぎくちゃんと子ども扱いに呼んでくださいますね。それでも、嬉しいものなのですよ。だって、ひなぎくは、雛菊の長生きをするとされる別名が長命菊で、縁起のいい名前なのですから」





 ――私には夢があります。


 二十九歳には、日本に帰って、大学生時代に訪れた二荒神町に、プロフェッサー黒樹に教わって沢山作ったレプリカで、美術史を学べるアトリエデイジーを立ち上げること。


 ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから、お茶などをお出しして、一所懸命お客様と楽しい美術を語り合いたい。



『プロフェッサー黒樹、私の夢にお付き合い願えますか?』


「ビキニになって、くれたらな」




 ――夢、かなう?



 きっと、神様のしたいたずらに違いないから、私の頬をつねってください。





 ね、あなた……。








 翌、十六日の朝は、黒樹の部屋で目覚めた。

 痛々しい長い夢の轍が、今、ひなぎくの心に羽ばたく翼となった。


 ひなぎくは、白魚のような指に似合う六号のプラチナのマリッジリングをかざした。

 俺の揃いのリングにつうっとそわせた。


「あなた、四十六歳のお誕生日、おめでとうございます……」


 恥ずかしそうでいて、グレープフルーツ色の笑顔が見えた。


 キキキ、キス?

 あのひなぎくが?


「ねえん……。お祝いよ」



「やややや……。落ち着いて。落ち着いて」


「お、ね、が、い」


「やややや……。どうしたんだい?」


「ん、もう! ぷん」


「やややや……。悪かった」


「やややや……」


「やややや……」


「そろそろ、許してください……」


「だんめ」


「アラフィフなんだよ、堪忍ぱにぱに!」

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