E39 あつい情熱

 十月二十九日に日付が変わって、午前一時にもなった。

 のんべえらは、お酒はともかく、眠くなって来た。


「お、お開きにいたしましょうか」


 光流が座布団からはみ出して切り出した。


「そうですな、お開きにしましょう。明日もあります」


 黒樹は、無駄に酒に強い。

 このペースなら、元妻は相手にならなかっただろう。


「じゃあ、私は休むわね。よっこらせっと。片付けとか、気にしないでね。黒樹さん、奥の部屋におばあちゃんがいるから、お休みはそちらにお願いします」


 ぴらぴらと仲良く手を振って、白咲夫妻は去って行った。

 ひなぎくは、客間で布団を被って寝たままだった。


 とんとん……。

 とんとん……。


 丁度、虹花と澄花の背を叩いていた。


「おばあさん、すみません」


「ええって、ええって。オレの好きですている」


 お開きとなった頃、背中の丸まった小菊が六人分の布団を敷いて、子ども達を先に寝かせて待っていてくれたようだ。

 黒樹が着いたのは、一階にある客用の布団がある部屋だ。

 白咲の光流は長男で、小菊もまだ元気なものだから、お正月などに親戚が泊まれるようになっている。

 旅の疲れやはしゃいだりして疲れたのか、子ども達は、布団に飛び込むなり、眠ったと小菊から聞かされた。

 小菊の気遣いに参った黒樹は、再度、謝りながら礼を言った。


 黒樹は、寝付けずに、豆電球のかさをじっと見つめて考えごとをしていた。

 ひなぎく本人は気が付いていなかったが、青いバラは、ストレスで追われているのではないだろうか。

 頻度や内容からしても重篤ではないだろうが、幻聴なのか?

 幻聴……。

 ただごとではない。

 再婚や元妻、キスを含めてそうしたことに絡むといいことがないだろうから避けようと決めた。


「雨がぽつぽつ降って来た……」


 とんとんと肩を叩かれた。


「ああ、澄花か。パパと一緒にお手洗いへ行こうな」


 その頃、ひなぎくは、目覚め、客間で布団から体を起こして悩んでいた。

 具体的に、子どもができるまでどれ位あったのかとか。

 バージンだからって、色々と委縮してしまう。

 その辺りを問いただそうとでも言うのか、恐らく黒樹達が泊まっている部屋へ身を運んだ。

 奥の座敷に着くと、びっくりすることに、丁度黒樹が引き戸から出て来た。


「澄花に付き合ってお花摘みに行かせた所だ。そうしたら、ひなぎくちゃんの足音が聞こえたものだから。……つい」


「いいえ、会えて嬉しいです……」


 薄暗い中で、二人ははにかんだ。


「私は、何かうなされてしまって」


 ひなぎくは、この頃は見た夢を起きたら語れる位にはっきりと覚えているようになっていた。


「俺は、ひなぎくちゃんに聞かせる夢は持っていないよ。まだ、寝付いていない。まあ、夢は夜だけに見るものではないよな」


「あ……。ありがとうございます。私の夢に付き合ってくれたこと、とても感謝しています」


 黒樹の手にそっと両手で触れた。

 ひなぎくは、少しだけ大人に近付けたのは、黒樹のお陰と思った。

 黒樹は、一言一言、丁寧に話した。


「夢は、これからだろう?」


「二人で作っていくんだ」


「俺達は、夫婦になりたい」


「俺は、ひなぎくちゃんを家政婦に雇うつもりはないと伝えたはずだ。これから、新しい夫婦像を築けていけたら……」


 ひなぎくは抱き締められた。

 黒樹の顔を見なくても分かった。

 泣いている。

 頬に涙が伝わって来る。

 黒樹悠は、辛かったんだ……。

 寂しかったんだ……。

 ――ひなぎくのしんと張った糸が切れた。


 ひなぎくは、震える手で黒樹の両頬をやわらかく包んだ。

 逃げないで、逃げないで、心にともしびを持って。

 どうか……。


 驚いたのは、黒樹だった。

 唇にあつい情熱が走った――。



 ひなぎくの本当の初恋は、彼……。

 黒樹悠、その人……。




 十月二十九日日曜日の夜が明け、綺麗な日差しの中で、十人を飲み込んだ家が起きた。

 飲んでいた黒樹と白咲家の人々は、二日酔いもなくお酒が抜けていた。

 和がコーヒーで、胸やけをしていた位だ。


「おばあちゃんも一緒に行ってくれるの?」


 ひなぎくは嬉しかった。

 今日は、朝からおばあちゃんにまで笑われたふるさとふっくんのトレーナーにジーンズだった。


「おねげえするっす。(お願いします)」


「搬入する為にね、お父さんの運転で二荒神温泉郷へもう一台出して貰って行くの。持って行く絵は、三十点、その他、十五点だから、行けると思うわ」


「すみません、白咲さん」


「娘が世話になっています。これは、ワガママですから、これ位はさせてください」


 パリから持ち帰ったままに梱包してあるひなぎくの作品等を車に積んだ。

 男手は十分だった。

 和が何か口やかましく、積み方について語っていた。

 一息つく間もなく、今度は、北へ、北へと進んで行った。


 二荒神温泉郷に着くと、アトリエに寄って荷下ろしをした。


「あのね、この飯山教会を改装して、アトリエにしたの」


「ほー。これは、綺麗で楽しそうな美術館だこと」


「アトリエデイジーって言うのよ。ひなぎくの名前から、デイジーにしたの」


「それなら、お父さんの気持ちと同じだ。長く続けられるお仕事になるぞ」


「でしょう?」


 黒樹家の人には分からなかったが、大切なお話しだった。


「それよりも早く展示ケースに入れないと。これが展示配置図よ。今回は、分かりやすく、ケースの下に作品ナンバーを置いてあるの。ご協力お願いします」


 このリフォームにより、全ての展示品が展示ケースに入れることになった。

 勿論温泉対策だ。

 雪の対策でもあるのだが、温泉対策のもう一つは空調等の徹底管理を行う設備設計にもした。

 その為に、入り口は二重になっている。


「ごめんなさい。ちょっと、ケースに入れる展示だけは、今日中にやらせてください」


 レベルや赤外線で水平にしたり、糸で固定したりと大変な作業だったが、皆の力を合わせたので、きちんとできた。


「最後にこれ……」


 受付カウンターの下に、ひなぎくが設置した。

 蓮花の透き通るような肌が更にきめも美しくきらめく、黒地に蝶の大胆なデザインの浴衣姿が、格子戸の前の籐のスツールに腰かけている。


「私が描いたの、受け取ってくださいね。受付嬢さん」

 

「ひなぎくちゃん、蓮花の絵を描いたのかい。綺麗だなあ」


 珍しく上出来だと、黒樹は感心した。


「ありがとうございます。ひなぎくさん……。びっくりしました」


 蓮花が口を手でおおって、泣いている。


「サプライズですよ」


 ひなぎくが、笑みをこぼした。



 白咲の一行も一緒に、黒樹の家に行った。

 リビングに皆で集まった。


「いんやあ、ええ家だこと」


 二荒神温泉郷に帰った小菊は幸せだった。


「黒樹さんは、よき旦那様だねえ」

「ええ、漢だって」


 白咲夫妻も、三十路近い娘が嫁に行けるのが嬉しかった。

 将来を案じていた。

 飼い犬が発見した孤独死の惨状のニュースに流れたのは我が娘だったとかを妄想したりもしていた。

 ここまで来たら、孫も楽しみと喜びが大きかった。


「いやあ、まあ。そうですか? お嬢さまこそ心の美しい方でいらっしゃる」


 昨日の酔っぱらいが続きをしている。

 黒樹は明日帰る白咲家の人々に、あつくもてなしをしていた。

 


 後日から、アトリエの準備をもう少し進めて行く。

 十一月三日、金曜日、文化の日で大安吉日のよき日にオープンする為に奮闘した。

 幸せを感じながら。


 アトリエデイジーで見たピカソの夕映えが美しかった。

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