E37 純白の結晶
今日のひなぎくはめかしこんでいる。
とっておきのマットな白のジャケットに淡い桜色のリボンタイブラウスをインにしている。
よく見れば、黒樹も、黒の三つ揃えに灰色のネクタイでクラシカルに決めている。
シャツのカフスは、黒樹の作った箱根の寄木細工でできている。
「ひなぎくさんのご実家はどちらなのですか?」
シートベルトをぐいっと伸ばして、ナインペタンの胸は痛くないのか、助手席のひなぎくに蓮花が声を掛けた。
「えーと、
「何じゃ。ぐーマップばかり見ているから、ひなぎくちゃん、距離感が謎だよ。な、蓮花も、待て、待て。内緒が楽しみだろうよ」
黒樹は、制した。
「お父様のケチー」
確かに、黒樹が一番乗り気なのだ。
だが、ケチってはいない。
サプライズってヤツだ。
「むむむ、蓮花が一番丁寧に俺をお父様と呼ぶのに、ケチーはないぞ」
蓮花がファンデーションのてかりを気にしてルースパウダーで押さえた。
唇をきゅっと結んで、オレンジがかったリップを引き締めた。
「そろそろ、嫁入り前ですから。これ位は、ジャブをしないと」
父親の黒樹は、自分の前で化粧をされたり、異性の気配をさせられて怒るのに一分も掛からなかった。
「俺は、運転中だから、口でしか応戦できないな。むっ。所で、その結婚相手は、どこの馬の骨だ」
胸をドスっと踏み込んだような黒樹の聞き方に蓮花はしおれた。
「う、馬の骨なんか知らないわ。ただ……」
「どうした? はったりか?」
黒樹としては、はったりであって欲しかった。
「お父様には、その……。その内にきちんとした形で――」
「――紹介せんでも、えーよー!」
即座に突っ込む。
ある意味父親らしいが、子どもっぽい。
言い方を変えれば、素直なお父さんだ。
「だって、私……」
蓮花が怒声にうろたえた。
「黙れ! 車が事故ったらどうする」
「パパ、蓮花お姉ちゃんを怒らないで」
「怒らないで欲しいぴく」
「そうそう、話題を変えましょう」
澄花も劉樹もひなぎくも黒樹にストップを掛けた。
だが、ことは進行してしまった。
「ごめっ……。うっ……。私、恋が終わったばかりで、現在募集中って宣言したかっただけなの」
「あららら。泣かないで……。恋は難しいわね、蓮花さん」
ショルダーバッグから、お手製ハンカチを取り出した。
「和くん、私のハンカチを貸してあげてくれる? 届かなくて」
「いいっすよ。蓮花姉さん、お風呂場のパンダの刺繍がしてある激レアハンカチみたいっす」
「和! 受け取れる訳がないの知っているでしょう!」
「あの……。楽しいドライブはどこに行ったぴくか?」
劉樹の一言で、皆は一様に静まった後、必死で笑いを引き出そうとそれぞれにがんばった。
「虹花! フランスで大人気アニメ、『ゆけゆけ☆フランスパンマン~セカンドシーズン~』を歌いまーす!」
「私も歌いたいな」
「僕も」
「わー、私、聞きたいなー。歌が好きなのよ」
ひなぎくは、小学生チームを手拍子で応援した。
「俺の前では、一生歌わないとか話していたのに! んもう!」
♪ ちゃちゃちゃ、らんらららー、らんらららんらー。
♪ ちゃちゃちゃ、らんらんらんらー。
「上手、上手よー」
拍手喝采で、道のりも後ろにできて行った。
黒樹とひなぎくは、暫く、うねった道を走行していたので、誰かが気持ち悪くなりはしないか、心配していた。
「よし、一回、昼ご飯を食べて再出発だ。サービスエリア
「きゃー。辛いー」
「きゃー。辛いー」
「妹達よ、美味しさの二つの印を覚えておくがよかよー。〽 一に、辛みは旨味だ! 二に、熱さは温もりだ!」
蓮花は、適当な節付きで、ピースサインを出した。
早く運転免許証の欲しい蓮花は、黒樹の抜群の駐車の腕に唸った。
皆、降車したら、揺れのない席で少しくつろぐ。
パリっ子がすっかりはまった座敷にした。
「辛さと熱さが好きなのは、蓮花お姉ちゃんだけぴくよ……」
劉樹も蓮花の波に飲まれてしまった。
「釜めし七つねー」
黒樹が、手を挙げて頼んだ。
「仕方ないさ。蓮花は寒い所で育ったんだ。本当のお父さんをスキー場へ行くバスの転落事故で亡くしたそうだ」
黒樹の聞いた話と違い、蓮花が訂正をした。
「あら、私を妊娠中のドライブと聞いていますけど? 例のジュースを飲みながらだったので、確かだと思います」
へえ……。
聞き耳を立てる悪い子ひなぎくだった。
「海原さんも可哀想っすよね。俺は……。ひなぎくさんさえ気にしないのであれば、別れて日本にいる本当の父、山野を探したいと思っているっす」
「それは、私にではなくて、黒樹家の方々の問題だわ」
「
ひなぎくは、きょとんとした。
「じれじれするなあ!」
がたりと蓮花が立ち上がったが、仕方がなく座った。
「はい、お待たせいたしました。七人前です」
それから向かって行く車中は、時間の経つのが魔法のようだった。
ゆっくりとしたり、その反対だったりと。
中でも慌ただしいのは、黒樹とひなぎくだった。
「うちね、駐車場が一台分だから、ここのコインパーキングに駐車してね。徒歩五分の所よ」
「お、おう」
ひなぎくのうちは、三県の交わる県境にあった。
はなのさき町で、その名の通り、碁盤の目状の町に花があふれ返っていた。
「パパ、右手と右足を一緒に出すと、転んじゃうよ」
「そ、そうだな。澄花」
シャラン。
シャラン。
呼び鈴を鳴らした。
玄関にモビールがある。
水族館を模してひなぎくが制作したものだ。
「初めまして、黒樹と申します」
「黒樹と申します」
子ども達も黒樹だったもので、皆もご挨拶した。
皆で、和室の客間に通されて、お茶とジュースをいただいた。
子ども達は、テレビで、公共放送アニメ、『鯉太郎の恋』を観ていた。
その頃、大人は挨拶をしていた。
「黒樹悠と申します」
深く頭を下げ過ぎて、土下座のようにも見える。
「どうも、
「そ、そ。そうなのよ。感謝だわー」
困った時のポーズで感謝されても変な気分の黒樹だった。
いや、それ所ではない。
本日の要件を。
要件を切り出さなければ。
「お……。おじょ。ひ、ひなぎくちゃ……」
黒樹は、首を左右にぶんぶん振った。
ひなぎくちゃんは、違う。
ちゃんは、違うよー。
「ひなぎくさんと、これから、お付き合いをしたいと思いまして、お願いに上がりました」
がばっと、又、土下座状態。
「これから?」
白咲光流の疑問その一。
「こ、これからです」
「お付き合いって、どこへ?」
白咲光流の疑問その二。
「南野デパートまでですよね?」
ひなぎくのおとぼけ、毎日。
プライスレス。
そして、ひなぎくが、お茶を入れ直しに席を離れた時だった。
「……」
「……」
「……」
「ふ、ふうああああ」
白咲光流が腰を抜かした。
「お、お父さん、しっかり!」
支えようとした、母の梓がくらりとした。
「あ、私も何だか眩暈が……!」
黒樹が、結婚を申し込んだ。
流石のひなぎくにも、胸の奥の奥からむせるものがあふれて来て、喉が詰まった。
ひなぎくは、俯いたまま、綺麗な雪が積もったように白いハンカチで、目頭を押さえた。
それでも、あふるる想いとともに、純白の結晶が、白のスカートに降りるのを止められなかった。
テレビがついたままでも子ども達が静まっていて、テレビの音だけがしんとする中を泳いでいた。
「鯉太郎くん、『君の味噌汁を毎日飲みたい』って、プロポーズなの?」
「何か可笑しいかな? 恋を人の君にしたらダメなの?」
「一緒に暮らすのが結婚だって、ママが言っていたよ。池から出ないといけないね」
「僕は、池のほとりにいるだけでも幸せだよ」
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