E29 古民家ララバイ
青いバラの囁きにどきどきし、ぐっと胸を押さえながら、ひなぎくは、佇んでいた。
「どうしたの? 和くん」
「おう、どうした? 和」
ひなぎくと黒樹が声を揃えた。
今は、古民家の南東側にいて、東側のパンダ温泉楽々方面を向いていた。
おんせんたま号のこぶとり寺前バス停がある方だ。
「ご子息でいらっしゃいますか?」
飯森健が書類をたたんで和の方へ来た。
「俺は、草刈でもと寄ったっすよ」
照れ笑いが和の優しさを引き出していた。
「草刈ー? 和がか? 驚かすな」
黒樹は、信じない訳ではないが、可愛い息子をちょっとからかってやりたい。
「冗談じゃないっすよ。草刈鎌も買って来たっす。店の人に聞いて教えて貰ったっす。金髪のにーちゃんと呼ばれたけど、親切だったっすよ」
ふるさとななつ市のホームセンターの買い物袋から厳重に包んだ草刈鎌を取り出した。
砥石も買ったようだ。
「行動力あるなー。初めて会った時は、こーんなに小さかったのにな。バブも言えなかったな」
ニヤニヤとからかう。
「父さん、バブ位言ったっす。多分っすよ」
和は、笑い声を出さなかったが、腹を抱えていた。
そして、飯森健さんに断りを入れて、そのまま黙って、草を刈り始めた。
黒樹から見たら、へっぴり腰だったが、やるだけ構わないと思った。
そんな和の成長は喜ばしかった。
「では、現地見学させて貰いましょうか?」
ひなぎくは、和ががんばっているのを素敵だと思った。
もしも、母親なら、大きな成長と感動さえする気がした。
黒樹は、いただいた見取り図を広げた。
いよいよ、古民家の秘密がほどかれる。
「延べ床面積は五十坪程度ですな」
黒樹は、口髭をつんつんとさせて、上機嫌だった。
ひなぎくも黒樹の横から覗かせて貰った。
「そうですね。図面の分かり難い所があったら、仰ってください」
図面に起こした飯森克喜が柔和に話し掛けた。
「玄関から、パンダ温泉のある東側とバス通りのある南側に縁側があるな。その南の縁側に八畳の和室が、A室、B室の二つあり、隣接して北側に六畳の和室が、C室、D室と二つあるのか。二つの和室八畳の並び西側にも角に六畳の和室、E室があるな」
ここまでが、南半分の簡略な間取りだ。
「玄関から北の角に六畳の洋室、F室がある。うむ、個室の洋室はここだけだな。その西側に台所と居間。土間はないようだな。玄関からの廊下から、北西角に六畳の和室、G室があるのだな」
これが、北半分の部屋だ。
「個室は、AからGまで、全部で七部屋か。うむ、かなり理想的だ」
黒樹が、うんうんと頷いて、見取り図に目を落す。
ひなぎくは、それが嬉しくて同調して頷く。
「そして、水回りは、西側に寄せたのな。北西から南西にお風呂、脱衣場、洗面所、トイレと続いているのか」
ふむふむと噛みしめながら、黒樹なりに、構想を練っているようだった。
「部屋数が多いのもいいですね」
ひなぎくがそう言った時だった。
古民家物件の現地に、一台のセダンが停車した。
見目麗しい女性がすっと車から降りるのに、黒樹の目が奪われないかとひなぎくが見ていた。
「初めまして。飯森不動産の飯森康子と申します。克喜の妻で、健の妹です」
元巫女だった、飯森克喜の奥さんのようだった。
ひなぎくは、童顔な感じなので、すらっとした奥さんに、黒樹がどきどきしやしないかと、もう妬いていた。
「あらら、飯森健さんに康子さん。二人で、健康な子に育って欲しかったのかな?」
黒樹は、三人の子どもの命名をした。
子どもの名前は、親からの初めての贈り物だ。
名前で、親の想いも分かると言うものだ。
ふと、和に目をやった。
どんな想いが、和と言う名に託されているのだろうか。
父親の山野拓磨に訊いてみたいものだ。
和は、寡黙に草刈を続けている。
「和、無理はするなよ。体壊すな」
「父さん、もう小言はいいっしょ」
すかっと笑った和が眩しかった。
「そうだな、和」
黒樹も微笑ましく見つめた。
「初めまして。飯森様。黒樹和といいます」
汚れた手をはたいて、握手を差し出した。
飯森康子は、それに応じた。
「まあ、立派なご子息ですね。ご挨拶もしっかりなさるし、草刈まで」
「いやあ、そうでもないんじゃが」
黒樹は、謙虚に出た。
ひなぎくは、それが、黒樹のいい所だと思った。
「じゃあ、和は、中に入るか?」
「折角ですし、一緒に見学しましょうよ、和くん」
二人で誘ったが、断られた。
「俺、体が汚れているっす」
両手を開いて、自分の姿を見せた。
「そうか? 遠慮しているのか。草刈、頼むな」
「OKっす」
和は、割と地道なタイプなのだと、ひなぎくは思った。
「じゃ、皆さん、上がってください」
ひなぎくが見ると、ふかふかのスリッパが並んでいた。
足を入れるとあたたかかった。
飯森不動産は、接客が丁寧だった。
「おお、これはこれは。直ぐにでも住めそうですな」
黒樹は、綺麗な古民家に満足だった。
「お掃除がとても行き届いていますのね」
ひなぎくも関心した。
「後は、俺からは、部屋割り位しか言うことがないが。ひなぎくちゃんは、お風呂に拘りたいのだろう?」
テストを出す黒樹は、ちょっとだけ意地悪だったが、それも思い遣りである。
ひなぎくは、夢想して答えた。
「そうですね。リフォームの会社とのご相談になりますが、先日お話ししましたように、モザイク画のように、綺麗なタイルだったら、楽しいですね。お風呂の為に家があるのではありませんが、お風呂が好きな方には、ゆとりの時間でしょう。私は、楽しいお風呂にしたいです」
ひなぎくは、内風呂を温泉にするのが、今は夢になった。
「子宝の湯のようですよ。ははは」
飯森健が、飯森克喜の肩をトンと叩いた。
「お手洗いは、水洗がいいでしょうか?」
「できれば、お願いしたいですわ」
虫歯の痛むポーズでお願いをするひなぎくに、やはり、女の子かと黒樹が思った。
俺の時は、汲み取りは当たり前だったし、離れにトイレがあったものだと。
「キッチンは如何いたしますか?」
「うーん。プロフェッサー黒樹、ご予算とか大丈夫ですか?」
「大丈夫。親子ローンってあるし」
ひなぎくは、がくっと来た。
一通り見学を終えた一行が、玄関から出て来た。
「次に来るおんせんたま号で、小学校の迎えに行った方がいいっすよ」
和が、そう教えてくれた。
やはり、兄なのだと、ひなぎくも黒樹も思った。
「そうね。プロフェッサー黒樹、一緒に行きましょう」
つつっと黒樹の袖を引っ張った。
「俺はパパじゃもんなー」
「小学生のお子さんもおいでなのですね」
飯森康子が、微笑ましく語られた。
子宝の湯とは、何の関係もないのだが、子沢山は引き寄せられたようだ。
「それでは、又。本日はお世話になりました」
「お世話になりました」
「お世話になったっす」
礼を言って、おんせんたま号のバスで去った。
「どうしているかなー。劉樹くんに、虹花ちゃんに澄花ちゃんは」
♪ ふふふー。
♪ ふふふふふふうふふー。
ひなぎくは、鼻歌なんて歌って、青いバラのお化けとはおさらばしたようだと、黒樹はほっとしていた。
米川の小学校の教室へ迎えに行くと大変なことになっていた。
劉樹はなんでもなかったのだが、虹花の金髪の長いおさげが乱れていた。
「虹花! 今度は、虹花がイジメにあったのか?」
黒樹は虹花をぐっと抱いた。
そして、虹花の頭を撫でた黒樹に、ひなぎくがくしを貸そうとすると、あたたかみがないと断られた。
「し、失礼いたしました」
ひなぎくは、自分の行いを恥じた。
くしは、そっとバッグにしまった。
ひなぎくは、黒樹とベクトルが合わないと凹んでしまう。
それよりも、今は、虹花のことが優先なのに。
「違うもん。ジャングルジムから落ちたの」
「それは、それで問題だろう?」
黒樹は、どの形であれ心配をする。
しゃがんで、虹花の顔を覗く。
「先生は、今からお見えになるの? 虹花ちゃん」
「うん」
ひなぎくの胸は、又、どきどきとしていた。
「ダメな子には青いバラ」
「ふふふふふ」
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