E20 パンダぱにぱに

「黒樹の皆様、こちらにお住まいを構えられますか? アトリエデイジーと同じ棟か別棟かはまだ検討する余地がありますよ」


 黒ぶちメガネの奥であたたかい目をしたひなぎくが皆を見ている。

 皆は、呆然としていた。

 それもそのはずで、子ども達は、黒樹からパリの時のように仕事場と離れた所に一戸建てを構えるからと聞いていた。


「おおっとー。突飛過ぎて、おじさまイナバウアーしたくなった」


 とっとっとっと……。

 よいよいはっはっ……。

 アラフィフ関係なく、バランス感覚はいいようだ。


「小さな太鼓橋から、落ちなーい! 皆で乗っても大丈夫! そう。丈夫なんだよ」


「分かりにくいその言葉、プロフェッサー黒樹館長をリーダーに、全員で全力で行きましょうの意味ですよね!」


 転げそうな澄花を支えながら、ひなぎくは、にこりと笑った。


「そんなもんじゃ」


 イナバウアーのまま、口髭だけをもじゃもじゃとさせた。

 後で腰をやられても自業自得だ。


「では、住宅の件は、展示の方が片付いてから、後程つめましょう」


 ひなぎくは、何より先に、このパンダマークの楽々温泉の弊害は、ケース展示により温度と湿度の管理はまあまあ管理できたとしても、温泉地にあることがどうなのかと考えていた。

 それは黒樹も同じだろうが、このアトリエは館長こそ黒樹だが殆どの仕事はひなぎくが行う。

 やって行けるのか危惧した。


「ひなぎくさん、博物館学芸員っていうのは、絵ばかりでも適用されるのですか? 有名な絵を展示して終わりの美術館でいいのでしょうか」


 蓮花の言葉でひなぎくは、閃きを得た。


「美術館は博物館の中でも美術を専門とするものなのですね。それで、今、自分のやりたいことを振り返って思い出しました」


「パリで話していた夢かい、ひなぎくちゃん」


 話しながら、太鼓橋から、こぶとり寺の本堂へと向かっていた。

 ここからは、石畳で歩きやすく段差もほぼない。


「美術館の役割は、収集と保管、教育と普及活動、調査と研究があるけれども、私は、その中で、教育と普及活動に力を入れたいと思っています」


 ひなぎくの胸は、三年前の道に潜り込んでいた。

 パリに留学していて、やりたいことにつまづいた時、留学の費用をやりくりできず、実家にも頼れずに煩悶していた時を思い出した。

 そして、勉学を進める内に、美術史、特に西洋美術史で何かできないかと道を切り開いていたことを。


「例えば、どんなことですか?」


「た、例えば……」


 ひなぎくは、ごくりと言葉を丸めたものを飲み込む。

 何か、喉から指示しなくても声がつらつらと出て来る気がした。

 今、話し切ってしまいたい。

 これからの道を生む。


「そうですね。具体的に言ってしまえば、特に『ピカソ』の活躍した時代の作品群の紹介をしたりしたいな。そらから、遡って『サンドロ・ボッティチェリ』らの作品紹介とその顔料を卵黄で混合させたテンペラ画の技法、『ミケランジェロ』らの作品紹介とその建造物の漆喰に描くフレスコ画の技法を取り入れたいと思っています」


「早口だな、ひなぎく! あー、すまん。思わず呼び捨てになってしまった。ひなぎくちゃんね、はいはい」


「呼び捨てでも構いませんよ。プロフェッサー黒樹」


 ちょっと早口を指摘されて、むくれて餅みたいな頬が可愛いと、皆が注視していた。

 和が気を利かせて、話題を元に戻した。


「俺、全部初耳っすよ。参ったなあ」


 照れたように頭の後ろで手を組んだ。


「僕は『ピカソ』なら聞いたことがあるぴくよ。学校で絵も観に行ったぴく」


 きらきらとした瞳が微笑ましく見えた。


「おー、劉樹。それなら、俺も分かる。抽象画みたいなのな。でも、詳しくは分からないんっすよ」


「そうよね、そうよね。だからこそ、皆さんに広く親しんでいただきたいと思うわ」


「ひなぎくちゃん、まとまって来たかね?」


 ひなぎくは、照れ臭そうにチョキを出した。

 こんなポーズは見たことがないと、黒樹は驚いた。

 割と優柔不断なひなぎくの考えがまとまったことにも驚いたが、可愛くて仕方がなかった。


「だから、ワークショップが行われる『アトリエ』を大きく取りましょう! そして、かぶりつきたくなるようなワークショップを開催したいと思います」


「そして、各学校の先生にとは言わないまでも、多くの児童や生徒に向けた取り組みをして行きたいと思います」


「凄いですね」

「できる人って感じっす」

「分からないけど、きっと楽しいぴくね」

「やったね!」

「お仕事が決まりましたね」


 皆が口々に言うので、ひなぎくの照れ照れのチョキが再び出た。


「ふー、ひと段落か? 本堂に着いたぞ。ご本尊は拝めないと思うが、寺院だけでもどうだ」


 皆は、古い本堂を見て、日本のお寺と話していた。

 黒樹は、神社やお寺について、子ども達に簡単に話をしていた。

 神道の八百万の神々などの神様の違い、仏教の仏陀や仏様、神職や僧侶などつかえる人々の違いなどだ。


「レストランは、地元の方にお願いしようかしらと思ってしますが、どうでしょうか? プロフェッサー黒樹」


「レストランは必要ですか?」


「あると、楽しくお話しをしたり、お腹が空いたのを満たしてくれたりしますよね」


 黒樹は、こくりと頷いた。


「パンダ食堂を見かけたよ」


「パパパパ、パンダ食堂! はあー、キュンキュンしちゃう」


「キュン死は禁止な。又、降りて行ってみようか。何事も下調べじゃもーん」


 本堂から先に進もうとも思っていたけれども、パンダ食堂をチェックしない訳には行かない。

 七人でワイワイと元来た道を今度は下りなので尚更に気を付けて戻った。


「せっかくだから、入って食べよう」


「私もそう思っていました。お腹がペコペコです。皆も遠慮しないで入って」


 いらっしゃいませと出迎えたのは、おばあさんばかりだった。

 そこは、保養施設の一つだった。

 温泉に浸かった後で、食べに上がって来るおばあさんもいた。

 名物は、サワガニの素揚げに流しそうめんだ。

 ここにもテーブルに一輪の青いバラがそれぞれのテーブルにあった。

 ひなぎくは、不思議な気持ちになった。

 黒樹は、何やら落ち着くようだった。


「あ、テレビがあるよ。あの女の子、髪が水色。ピアノを弾いているわ」


 澄花が気が付いた。

 子ども向けのアニメは観たい。

 それが、虹花はアニメには興味が薄い。


「そうだね、アニメをやっているね。あれは、見たことがあるよ。正義のヒロインが魔法を使うのだよね。三段ボックスには、漫画もあるみたいね」


「パーパ―、後で漫画を読みたいな」


「いいよ。よしよし」


 虹花は、漫画が好きなようだ。


「はい、お待たせすますた(お待たせしました)」


 背中の曲がったウエイトレスさんが、丁寧に置いてくれた。

 ちょっと、器がカタカタとなっている。

 サワガニの素揚げに寒いのでそうめんはにゅう麺にして貰った。

 にゅうめんは、色どりも豊かで、玉ねぎ、とろろこんぶ、豆苗に梅干し、ごま油をたらして、柚子の皮が少しだ。

 お腹が空いていた所へ来て、ご馳走だ。

 喜ばない訳がない。

 お子様セットにパンダセットというのがあったけれども、もう三年生の虹花と澄花には軽過ぎる程大きくなったのだ。

 お揃いで外食などすくない黒樹には、それも嬉しかった。

 

「私達、十分に子宝に恵まれているから、ひなぎくさんが危険だね」


「は?」


 蓮花のいきなりの一刺しにひなぎくは仰天した。


「プロフェッサー黒樹とは、そんな関係ではありませんから。大丈夫です。どうしてそう思ったの?」


 もにゃもにゃとサワガニの素揚げに舌鼓を打っていた時だった。


「だって、一緒に暮らすのでしょう?」


「ええええええええええ! いつからそんなことに?」


「だって、黒樹の家をアトリエと一緒に造るって、ひなぎくさんも住まいにするのでしょう?」


 ひなぎくの頭は白かった。

 確かにそんな案を出したのはひなぎくだった。


「んー。困ったわー」


 かなり、ぱにぱにになっていた。

 ひなぎくの弱点のようだ。

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