E05 父の想いがはせるままに

 ラウンジ『みかん』を後にしようとした時、黒樹は一つ大きな伸びをした。

 日差しの方を見ながら佇んで、何か、遠い記憶を引き寄せているようだ。


「ふううー。やれやれだな。俺は、国立上野大學を出てパリに留学してから、帰国したのはたったの二回だけなのさ。一回目は、じいさんのお葬式、二回目は、姉夫婦のお葬式だ。今から、直で二荒神町のホテルへ行く前に、同じT県にある黒樹のお墓に寄って行ってもいいかいな」


 ひなぎくは、二度頷いて黒樹に同情し、そっと心を寄せた。

 もしかしたら、黒樹のふるさとは心の中で荒廃しているのかも知れないと思った。

 ひなぎくと年が離れているばかりではない。

 経験も何もかもが違うのであろう。

 子どもが五人もいる事実を目の当たりにして、生き様を感じた。

 それに、奥様ってどのような方なのだろうかと想像した。


「ヤキモキしちゃうっEカップ! ひなぎくちゃんに訊いているの!」


 黒樹のかわいこぶりっこが出た。

 アラフィフになってもプリプリするのは恥ずかしいと、ひなぎくが止めても聞く耳を持たないから、もういい。

 シリアスを維持できないタイプっていると思うようにしている。


「分かりました、プロフェッサー黒樹。黒樹家のお墓に、私もご一緒してもよろしいですか?」


「お願いすっぺ。おっぱいい


 黒樹は、自分の漢の胸を持ち上げた。

 まな板なのに。


「いきなり、土地の言葉ですか。なじんでいらっしゃいますね」


「そうかもな……」


 今度は、シリアスモードか、黄昏始めた。

 子ども達にひなぎくもいるので、調子が狂ったのか。

 黒樹は、父と姉夫婦のお葬式では見せなかった憂いで、今更ながらに胸一杯になった。

 論語じゃないけれども、四十しじゅうにしてまどわずか。


「勿論だよ。今回は、子ども達も説得して行こうと思っている。アトリエデイジー予定地とさほど遠くない所だ」


 それには、ひなぎくも驚いた。

 ひなぎくが偶然学生時代に行って素敵だと思った二荒神町に、黒樹家の墓があるとは思わなかった。


「あ、あの……。プロフェッサー黒樹。私、そんなこと知らないでごめんなさい」


 黒樹は、その言葉を手で遮って、兄弟の中では少し上背のある和を目で探した。


「おおい、黒樹チームは揃ったか。リーダー和」


 和は、指先で点呼を取った。


「ええっと、ちまい方から、澄花ちゃん、虹花ちゃん、劉樹くん、俺、蓮花姉さん。……OK。父さん、皆いるよ」


 黒樹はツンと後ろに引かれた。


「パーパー、どこに行くの?」


 小さな子が甘えた口調で、パーパーのジャケットの裾を引っ張る。


「虹花か。何かダメだな俺……。墓まで涙を我慢できそうにもない」


 黒樹は、虹花からさっと目をそらそうとしたが、やはり振り向いてよく顔を見るべきだと思った。


「虹花は、あまりパーパーと話しをする時間もなく育ってしまったな」


 そうだな。

 虹花、君は、足の指に障がいを持って生まれた。


 六月六日の十一時、国立の総合病院で帝王切開が行われ、まだ名前も決まらない双子の君らが産まれてくれた。

 その日の遅い時間に、佐原悟朗さはら ごろう医師が、妻の個室に来て、状態を説明した上で、生後九か月頃に手術をしましょうとの話があった。

 何回かその総合病院に通ったが、いつ行っても、虹花ちゃんは可愛いね、本当に可愛いねとばかり、佐原医師から言われた。

 人として、この子を普通に扱っていたが、佐原医師のお考えがあってのことか、本当に可愛らしいと思ってか、可愛がっていただいた。

 手術でどの指を残して、将来こうしますかと色々な話しを何回でもしてくださった。


 虹花の手術は、生後九か月の予定の日に行われた。

 所が、麻酔科との連携が難しく、手術をするかしないかで揉めた。

 病床は小児科で、母親のように女性が泊まるので、黒樹は妻に任せて上の子のいるパリ市郊外の自宅に帰っていた。

 その入院は、妻には過酷だったようだ。

 虹花は、妻が夜中でも与えるミルクを飲まなかったり、離乳食を嫌がったり、寝付かなかったりした。

 妻は人目を気にしたりもしていた。


 手術後も歩むのが遅くて、パリ市福祉保健局ルミエール療育園にだってトレーニングをしに通った。

 特別な靴も医師の指導で専門の靴職人に頼めた。

 療育園に行くスケジュールを立てても、通うのが大変だった。

 その内に、妻が少々アルコールにはまって行ったのを見過ごしてしまったのは痛い。


 最後に、電話越しにばあさんは反対していたが、すがる思いで歩行器を使い出したら、あっと言う間にガラガラと引きずって歩き始めた。

 嬉しかったのかも知れないな、虹花。


 それが功を奏してか、今ではバレエだって習えるのだものな。

 黒樹の胸は想い出でやけたようだった。


「T県にバレエ教室があるか探してみよう」


 虹花を抱き上げて頬ずりをした。


「そうなの? ありがとうございます」


 自分でひょいとパーパーから離れ、バレエのご挨拶で、小さな胸の前に片手を置き一礼した。


「澄花ちゃんは大人しいが、音の感性がいい。このままピアノを習いたいのなら、俺が探して来るよ」


 黒樹がかがんで顔を寄せると、恥ずかしそうに切り揃えてある前髪を直した。

 澄花は、小学校で、パパに何の相談もしないイジメをされているのに、自分のやるべきことは貫き通す子だ。

 ピアノの発表会の日、ドレスが要るのをパパに言わず、蓮花と和が生地を買って、劉樹が仕立てたりした兄弟の結束力を今になって思い出した。

 黒樹は、泣きたい気持ちになった。


「パパ……。ありがとう……」


「劉樹お兄ちゃんは、何にも習い事をせずに六年生にまでなったけど、いいのか? 家政夫になるのか?」


 にこにことして、いつも無理をしていないかと心配しているが、劉樹の本音はどうなのであろうか。

 黒樹は危惧した。


「お父さん、まだ分からないぴくよ。でも、僕はきちんと結婚をしたいと思っているぴく」


 お父さんと言う呼び方は、黒樹が小さい頃、父をそう呼んでいた。

 ビビリっと来るのは想い出からか。

 この子には、かなわないと思っている。

 黒樹は、又、泣きたくなった。


「分かった。そうだよな。フランスでは、幼稚園が三年、小学校が五年、中学校が四年、高校は三年だ。日本に来て、小学六年から始めればいいな。劉樹お兄ちゃんも男の子だものな」


「和は、俺と一緒に高校を探しに出掛けよう。妥協するなよ」


 和は、小さく頷いた。

 何故か、今日の父さんはしんみりとしていると思った。

 黒樹は、子どもに気を遣わせていないかが気になった。


「そうっすね。父さん。ちまい方から先に探してやって欲しいっす」


「今日は、墓へ寄った後、ホテルに荷物を置いたら、俺はあちらこちらに手続きをして来る。一日では終わらないと思うが。取り敢えず蓮花に留守を頼むよ。一応の予定な」


 蓮花はしっかりと頭を垂れた。


「分かったわ。無理はしないでね、お父様。大学の方もいくつか当たっているの。後で相談させてね」


 ひなぎくが、ラウンジにある花で飾った綺麗な時計を見ると、もう十時半近くて結構時間が経っていた。

 子ども達の様子を見ていて、時間とは宝物なのだと思った。

 

「そろそろT県ふるさとななつ行きの高速バスドリームサンフラワー号が出ますので、身の回りの物にスーツケースを持って、移動しましょう」


 小さな子から大の大人まで、これからの生活に不安であったり、夢を膨らませて歩いた。


 ひなぎくは、黒樹の瞳から光るものを見逃さなかった。

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