第12話『漆黒の鳳凰』
ダークエルフの村は立入禁止となった。
これは魔界のヒルを天空石で焼き殺すためである。
すでにバルドは焼け死に、寄生しているヒルも死滅しているはずなのだが、相手は魔界の生物。しかも魔族の手が加えられた改良種だ。まったく未知生物であるため、どの程度の光で死ぬのか予測がつかない。だから念を入れ、村を閉鎖したのだった。
そのため一時的にではあるが、普段戦闘に参加できない者や幼い子供を、地下迷宮の砦へ避難させる事となった。
◇
――地下宮殿 大砦 『タルヌングフェーニクス』
この大砦には、長期戦を想定して大量の兵站が備蓄されており、地熱を利用した温泉や、魔鉱石の魔力を使用した保冷庫も備わっている。前者はダークエルフが備えた施設であり、後者は大戦時の遺産だ。
ただここは戦場の前線であるため、村とは違い娯楽や慰問施設が一切ない。それが唯一、村とは違って不便な点であるのだが、それを除けば、村と大差ない生活を送ることができた。
村から避難した、幼いダークエルフの女の子達。彼女達は中庭で、ボール遊びやおままごとをして遊んでいる。眩い笑みと共に、楽しげな笑い声が中庭に響き渡った。
休憩のため中庭を横切る兵士たちが、のどかな光景に笑みを浮かべて随喜し、戦いで凍てついた心を癒す。
一方兵舎では戦火を逃れた者達が、前線の兵士のために食事の支度や掃除を熟している。日頃村を守っている感謝も込め、兵士が日頃行う雑務を率先して引き受けたのだ。
雑務当番から開放された兵士達は、彼女らに感謝しつつ、開いた時間で風呂に入ったり、疲れきった体を癒やしたりと、各々の形で羽を伸ばす……。
砦は前線とは思えないほど、のどかで、平和な雰囲気に包まれていた。
束の間の平和を謳歌する大砦――。その功労者の一人であるレイブンが、砦を歩いていた。
ツノツキの襲来から村を守り、バルドを撃退したレイブンではあるが、人間である彼に声をかける者はいない。兵士や子どもたちはレイブンを恐れ、皆、距離を置いている。
村を救った救世主とはいえ、人間という人種の壁はそう簡単に乗り越えられるものではなかった。
だが魔都にいるレイブンにとって、こういった事は日常茶飯事であり、もはや慣れ親しんだ洗礼だった。それを気にすることなく、彼は中庭に面した回廊を歩く。
砦とは思えない豪華な造りの回廊。それは当時、魔族が優勢だった頃の名残だ。ダークエルフによって修繕された部分もあるが、その昂然さは未だ健在である。
「ん?」
レイブンが回廊を歩いていると、中庭からボールが転がってくる。ヤギの皮の中に綿を敷き詰めたボールだ。空気が入っていないため浅いバウンドで壁に当たり、レイブンの方向へと跳ね返る。
レイブンはしゃがみ、コロコロと転がって来たボールを手に取った。
そのボールで遊んでいた子どもたちが、どうしていいのかわからず、怯えた瞳でレイブンを見つめている。誰もレイブンに近づこうとしない。少女達は互いに目配せをしながら、「どうしよう……」と話し合っている。
レイブンは柄にもなく優しい笑顔を見せた。少女たちをこれ以上不安にさせないためだ。
そして少女達にボールを投げようとする――。
――ドクンッ!
「ッ?!」
レイブンは突如激しい動悸と目眩に襲われる。続けてハンマーで殴られたような頭痛が彼を蝕み、焦点が定まらずに目の前がボヤけた。眼球の奥が沸騰しかたのように熱くなり、立っていることですら困難になる。
――ドクンッ!
「うぐッ!!」
レイブンは回廊の柱に手をつき、なんとか転倒だけは防いだ。
彼の手からボールが落ち、少女達の元へゆっくりと転がっていく。
レイブンは歪んだ視界で、そのボールの後を追った。
ボールは少女達に届くことはない。中庭で楽しそうに遊んでいた少女達は、屍と化し、中庭の木に吊るされていたのだ。
レイブンは目を疑う光景に言葉を失う。つい数秒前まで笑顔を振るまいていた娘達が、瞬きする間に骸と化したのだ。
目の前に広がる凄惨な光景は、決して見間違いなどではない。
中庭で遊んでいた少女達は裸にされ、逆さまに吊るされているのだ。
周囲をに目をやると、ダークエルフの死体で溢れかえっている。レイブンが歩いていた回廊にも多くの死体が折り重なり、血生臭さに満ちていた。
目に矢が突き刺さった者。
焼き殺された者。
首をはねられ絶命した者……――。
のどかな空間は一変し、焦げた臭いが充満する生々しい殺戮跡と化す。
レイブンは背後に何者かの気配を感じ、バッと振り向く。
「大丈夫? 目眩?」
そこには心配そうな顔で、レイブンを気遣うシルエラが立っていた。
「まるで死人でも見るような顔しちゃって、大丈夫? 救護室に行く?」
レイブンは中庭に視線を戻す。そこに死体はない。あるのは怯えた瞳でこちらを見ている、褐色の少女達がいた。
レイブンは深呼吸をしながら「少々立ち眩みをしました。もう大丈夫です」と咄嗟に嘘をつき、誤魔化す。
落ちたはずのボールは、まだレイブンは手の中にあった。レイブンは投げ損ねたボールを、少女達に向かって投げ返す。
少女達は地面をバウンドしたボールを受け取ると、逃げるように走り去って行った。
レイブンはその後ろ姿を、淋しげな表情で見送る。
シルエラが淋しげな表情に気付き、焦りながらフォローを入れた。
「あの子達、別にあなたのこと嫌っているわけじゃないのよ。ほら、人間っていつも私達の敵で、常に戦っている相手だから、どうしても受け入れづらいの……。でもみんな、あなたのことを感謝しているのよ! ほ、ほんとよ!!」
別に畏怖を抱かれるのは気にしていない。
常日頃から経験しているもので、すでに慣れたものだ。レイブンが寂しい表情を見せたのは、あの少女達が歩むかもしれない未来を、垣間見てしまったからだ。
レイブンはシルエラの優しさに感謝しつつ、彼も子どもたちに非はないと庇う。
「警戒感しか持たない連中も嫌いですが、部外者を警戒感もなしに受け入れる平和ボケした連中は、虫唾が走るほど嫌いです。あの子たちの対応はごく自然なもので、正しい行為です。信頼とは、今日一日で築きあげるものではありません。ましてや種族や文化が違う上に、敵対勢力と同じ人種となれば尚の事です」
「……助けてもらったのに、気を使わせてしまってごめんなさい」
「むしろ私は、貴女方に尊敬の念を抱いています。自立した国家を建国するために、魔族側の要求を受け入れ、あえてこの危険な地を第二の故郷に選んだ。そして魔都を守り続ける義を通しつつ、ダークエルフとしての誇りも貫き通した。その精神には、感服する他ありません」
レイブンの見解に、シルエラは重い口を開いた。
「どの道、もう魔族しかを受け入れてくれる者がいなかったの。奴隷でもいいからエルフに縋るべきだ――という連中もいたけど……」
「奴隷や属国がどういうものか、知らぬ輩の戯言ですね」
「『同じエルフだから、奴隷制度なんてあるはずがない。彼らは崇高な理念を持ち、高貴な種族なのだからそんなこと有り得ない』なんて言ってたわ。彼らは父の元を去り、エルフが新しく建国したという聖地へ旅だった。その後どうなったかは分からない……。ただ私達は、自分の誇りや伝統を捨ててまで、エルフに助けを求めたくなかったの。エルフの中でも、とくにハイエルフは肌の色で差別し、ダークエルフを見下すような奴らだから……」
「肌の色が違うだけで差別するのは、時空を越えて万国共通ですね」
「レイブン。あなたがいた世界にも、そういった差別が存在するの?」
「移民制度を導入支度した国は、総じて同じ病に苦しみます。異文化同士の衝突。宗教対立。肌の色、喋る言葉の違いから生じる摩擦や、移民による国の乗っ取り、内戦、紛争……どの国も結局は、同じ末路を辿るものです。移民で成功した国は、一つもありません」
「魔都に難民として腰を下ろさなかったのは、正しい選択だった?」
「私はそう見ています。おそらく前族長であり、あなたの父は民族間の衝突を避けるために、魔都ではなく下迷宮を選んだのでしょう。魔族との共存と繁栄を考慮しつつ、ダークエルフとしての自立と尊厳を守るために……。未来を見据えていたあなたの父は、立派な御方です」
「……………」
シルエラは心の中で、この穴暮らしが惨めなものに感じていた。
エルフでありながら、まるでドワーフのような日陰な生活を送り、常日頃から人間の襲来と向き合い、危険に晒されている。それが仲間達に申し訳なく、いつも後ろめたい想いに駆られていたのだ。
だがレイブンの言葉に、シルエラは改めて気付かされる。
父がこの地を選んだ理由と、族長としての先見の目、その背中の大きさを……。
――見逃していた大切な事。
それに気付かせてくれたレイブンに、シルエラは心から感謝する。
「レイブン……ありがとう」
「?」
「父をそんな風に言ってくれる人間は、もうこの世にいないと思っていたの。でもこうしてレイブンの見解を聞いたら、なんだか……胸がスッキリしたわ。なんだか聖水で穢れを洗い流された気分よ」
シルエラは精一杯の感謝を込め、レイブンに袋を差し出す。
「カイムとナダルの命を救い、そして私達の村をツノツキから守ってくれた。少ないけど、どうか受け取って。足りない分は、後で集めるから――」
「ありがとうございます。ですがそのような高価なものは、私には受け取ることができません。私が欲しているのはただ一つです――」
「――神機ね」
シルエラは苦悩する。
神機がどれだけ恐ろしいものかを知っていたからだ。あんな力を見せつけられて、なんの躊躇いもなく渡せるはずがない。
過ぎた力は人の心を蝕む麻薬。力に溺れ、邪の道へと堕落させるのは容易だ。
命の恩人であるレイブンを、父から受け継がれた神機によって失わせるわけにはいかなかった。
もちろん報酬として、神機を譲ると約束している。そのため譲渡拒否は彼女の選択肢にない。レイブンは命をかけ、村を守ってくれた恩人なのだ。約束を守ってくれた彼の想いを、無碍にすることは絶対にできない。
神機は戦局を覆すほどの、危険な代物である。――しかしレイブンは、人種という枠組みに囚われず、別け隔てなく弱き者を守ろうとする姿勢を見せてくれた。その誠実な
いや、彼なら……きっと――
シルエラはレイブンの瞳を見据え、こう告げた。
「レイブン。あなたに神機を……託すわ」
「感謝します。シルエラ」
「でも神機を使うには問題が山積みなの。神機が封印されている扉は固く閉ざされていて、詠唱がないと開けることはできないのよ。それに開けたとしても、神機を動かせるだけの神通力が残っているかどうか……」
「神機の持ち主が封印したのですね」
「誰にも使わせないために、同じ仲間でしか使えないようにしたの」
「分かりました。では後ほど、その場所に案内して下さい」
「わ、わかりましたって?! 私の話を聞いてなかったの? 詠唱呪文を知っていないと開かないって言ったでしょ! 私だって、父から詠唱呪文のスペルは教わっていないわ。だからもう誰も、あの扉を開けることはできないの。――まさか
「そんな事はしません。正々堂々、扉をノックして開けるまでです」
その根拠はいったいどこから来るのだろうか。そんな疑問を抱きつつ、シルエラは半ば呆れた表情で笑い、こう言った。
「あなたのような人は初めて。いえ、二度目ね。その自信がどこから来るのか知りたいものだわ。そもそもあなた――……」
シルエラはレイブンを見て、ある事に気付く。そしてレイブンの顔全体を確認したシルエラは、彼に顔を近づけ、注意深く瞳を観察した。
「ちょっと待って。あなた……もしかして――」
見つめ合う二人を止めるように、回廊に咳払いが響く。
「ご、ゴホン!」
視線を合わせていたレイブンとシルエラは、下手な咳払いをした人物へと視線を移す。それは救護室にいるはずの、ゼノヴィアだった。
レイブンが彼女の容態を尋ねる。
「ゼノヴィア、もう体の具合は大丈夫なのですか?」
「ん? あぁ、あんなもん大した傷じゃねぇよ。ちょっと激しく体をぶつけたくらいさ。へーきへーき」
「さすが四天王。あの衝撃なら骨の五・六本は折れていてもおかしくありませんでしたよ」
「まぁ獣魔族の取り柄ってやつだな。この体の丈夫さだけは」
「いくら体という基礎がよくても、体のポテンシャルを引き出し、それを活かすのは日頃の努力があってこそ。ゼノヴィアの強さは、研鑽と真面目さがあるから、こうして成り立っているのです」
真面目で客観的な評価。だがこうも面と向かって言われると、なんとも恥ずかしいものがある。ゼノヴィアはレイブンから目を逸し、顔を真っ赤にして照れた。
「ほ、褒めてもなにもでねぇからな!」
そんなゼノヴィアに、シルエラが恭しく畏まった口調で尋ねる。
「ゼノヴィア様、なぜ救護室から退出なされたのです。こちらになにか不手際が?」
「いやいや! そんなんじゃねぇって!! わざわざふかふかのベッドまで用意してもらって、すごく気持ちよく寝れたよ。あーでもあれだ。なんか……みんな俺に尽くしてくれて、こっちとしてはすげぇ嬉しいんだけどよ……」
ゼノヴィアがある方向を指さす。その方向には、物陰からこちらの様子を伺っている、ダークエルフの少女達の姿があった。レイブンとは相反し、ゼノヴィアは人気者のようだ。
シルエラが怪訝な表情で彼女達を睨み、咳払いをする。すると皆、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「ゼノヴィア様、不快な思いをさせて申し訳ありません。二度とこのようなことがないよう再教育を徹底致しますので、どうかご容赦下さい」
「おいおいやめてくれ! 俺、そういう堅っ苦しいの苦手なんだよ。別に怒ってねぇからさぁ。こう……普通にしてくれ、普通に。なんなら、呼び捨てでも構わないぜ!」
「普通と言われましても……ゼノヴィア様は魔族であり我々に領土を与えてくれた恩人。そして、魔都からお越しになられた来賓者でもあるのです。呼び捨てなど言語道断。そのような無礼なこと、一切できません」
ゼノヴィアは頬をポリポリと掻きながら、両手を挙げて降参する。
「さようですか……」
そんな微笑ましいやり取りに、レイブンは優しい瞳で見つめていた。
「村一番に駆けつけて、彼女達の純血を守ったのです。英雄として、尊敬の眼差しを向けられるのは至極当然ですよ」
「はぁ? 村を守ったのはお前じゃねぇかよ。なんで俺が英雄扱いされなきゃいけねぇんだ」
「それは貴女のほうが、親しみやすいからですよ」
そしてレイブンは、ゼノヴィアにある話を切り出す。
「――ところでゼノヴィア、復帰早々で申し訳ないのですが、少し頼まれ事をしてくれませんか」
「ん、なんだ? 言っておくけど難しいことはできないぞ」
「安心して下さい、内容はとても簡単ですから。ある物資の輸送をして頂きたいのです」
レイブンはジャケット裏から地図を取り出し、任務の概要を説明する。
「場所は地下宮殿のこの場所です。この壁の向こう側に隠し部屋があり、スプレーで☓印がしてあるので――」
「すぷれー? なんだその、すぷれーって言うのは」
「失礼しました。特殊な塗料で斜め十字で印がしてあります。その壁を破壊し、隠し部屋の中にあるものを運んできて欲しいのです。運ぶものは、地図の裏に書かれた形状のものです。すでにこの件は、陛下から許可を得ています」
レイブンはそう言いながら陛下からの許可証を見せる。
ゼノヴィアはその許可証に目を通しながら尋ねた。
確認といっても、ゼノヴィアは文字が読めない。そのため陛下のサインと印璽を確認し、本物であるかどうかを見定める。それはたしかに、陛下が書き綴られたものだった。
ゼノヴィアは許可証が本物であることを確認し、レイブンに要件を訊く。
「量はどのくらいだ?」
「馬車二台分といったところです。ゼノヴィア一人では往復することになるので、支援者も同行させてください」
「あ? し、支援者?」
ゼノヴィアの眼の色が「まさか!」という危機迫るものへと変わる。そして恐る恐る、レイブンの見ている方向へと視線を向けた。そこにはダークエルフの少女達が再集結しており、憧れのゼノヴィアと任務を共にできると、黄色い声援を上げている。
それを見たゼノヴィアは天を仰ぎながら、レイブンにこう訊ねた。
「じょ、冗談だろ?」
レイブンは少し意地悪な笑みで否定する。
「好意を持たれることは良いことじゃないですか。幸い難しい任務でもありませんし、ダークエルフとの交流会だと素直に諦めて、遠足を楽しんできて下さい」
「諦めて? い、今諦めてって言ったよな! 絶対言ったぞこの野郎ぉ!」
「フフフッ、はてさて? なんのことやら」
そしてレイブンは去り際、ちゃんと労にあった報酬は出すと約束する。
「任務達成の暁には、あなたの好きなリコリス飴をたくさん買ってあげます。それを励みに頑張って下さい」
「マジでか!! ん? てかなんで俺がリコリス飴好きなことを、お前が知ってんだよ」
レイブンはゼノヴィアの質問に答えることなく、手を振ってその場を後にした。
◇
レイブンは救護室のドアを開け、室内に入る。
ベッドが並んだ室内に白い看護師が数名おり、レイブンの姿を見て「きゃ!」という短い悲鳴を上げた。レイブンは「二人っきりにしてもらえないか?」と、丁重にお願いする。
もっとも看護師達は言われるまでもなく、室内からそそくさと退散した。
整然と並べられたベッドの列の中。その中の一つにエレナが横たわり、スヤスヤと寝息を立てている。
レイブンはメガネを外し、その健やかな顔を笑った。
「ほんといつ見ても、あなたの寝顔は幸せそうな顔をしていますね。見ているこっちまで、幸せな気持ちになりますよ……」
レイブンはベッド横にの椅子に腰を下ろす。そしてエレナの寝顔を眺めながら、彼女と向きあおうとした。
しばらくして黙りこんでいたレイブン。彼は意を決し、重い口を開こうとする。だがその口が、言葉を綴ることはなかった。代わりに出てきたのは、悲しげな乾いた笑い声だった。
「いえ、止めておきましょう。ここであなたに言っても、なにも解決しませんから」
レイブンはメガネをかけながら、眠るエレナにこんな言葉を残す。
「エレナ、魔剣カインフェルノはもう少しお借りします。万全の状態に戻してお返ししますのでご安心下さい。あなたはここで、ゆっくり身体を休めていて下さい」
眠るエレナにそう告げ、レイブンは救護室を立ち去ろうとする。
だが、甲高い耳鳴りが彼の足を止めさせた。
「またか……」
前触れを意味する鈍痛――。
レイブンは先ほどよりも激しい頭痛に襲われ、目の前の焦点が定まらず、周囲の景色が歪んだ。そして湾曲する視界が、真っ赤に染まる。
レイブンは目から出血していたのだ。
まるで啓示と改心を示す聖母マリア像のように、血の涙がつぅと頬を流れ落ちる。
「頭痛の間隔が早くなっているな。これが力を得た代償か。だがまだ壊れるな。もう少し、もう少しだけ耐えてくれ……」
悲鳴を上げる体。レイブンは懇願するかのような口調で身体を労り、もう少しだけこの辛さに耐えてくれと励ます。そして血の涙を指で拭いながら、再び歩き出した。
◇
輸送任務を受けたゼノヴィア。ダークエルフが用意した馬車の荷台に乗り、目的地を目指していた。
幸い目的地は目と鼻の先であるため、長旅ではない。荷物の積み込み作業を含めれば、30分程で済む楽な仕事――のはずだった。
揺れる荷台の中では、ダークエルフが楽しげな声が響いている。その声を聞けば、誰もが、少女たちが織り成すのどかな団欒に思えるだろう。だがその中心にいるゼノヴィアの心境たるや、真っ黒な曇天だった。
「すごくお肌が綺麗です。なにか特別な化粧水をお使いで?」
「腕が全然筋肉質ではありませんわ。赤子のように柔らかく、ぷにぷにしてます。なのにどこから、あのような力が?」
「あ、あの! ゼノヴィア様は魔都のご出身なのですよね? いいなぁ~魔都、一度は行ってみたいな~」
出発以降、こうして質問攻めを受けているゼノヴィア。彼女はほんのりと引きつった笑みで、熱烈なファンの質問に答え続けていた。
「つっても、城内からあまり出ないけどな。なにせ侍女に護身術教えたり、自分の身体鍛えたりして、なにかと忙しいからよ」
「城下にはシュニッツェルの美味しい店や、ネーガークス専門店があると聞きしました。本当なのですか!」
「俺、あんま城下には下りないから、どんな店があるのかわかんねぇよ。でも城下に下りれば、揃わないものはないぜ! 魔界からの輸入品もふんだんにあるしよ」
「じゃ、じゃあ! 今度魔都に出向いた際は、私と一緒に、その……御茶をしてくれますか? お代は私がすべて払いますから!!」
フライングをしたダークエルフ。そんな彼女に続くように、他の娘達も我先にと、デートの約束を漕ぎ着けようとする。
「ぬけがけしないでよ!」
「あ!ずるいずるい! 私も私も!」
まだデートすると言ってないのに、まるで確約したかのような感じで話が進んでいく。それも、デート相手であるゼノヴィアを差し置いて……。
「アハハハ、アハ、ハハッ……」
ゼノヴィアは、誰にも聞こえないような小さな声で、切ない本音を漏らした。
「どうしてこんな事に……早くおうちに帰りたい」
◇
砦の地下 鳳凰の霊廟。
力強く壮大な壁画には、太陽に照らされた鳳凰の姿が描かれている。皮肉にもここは地下であるため、この壁画が本物の太陽に照らされることはない。この地下における唯一の光源は、魔光石だけなのだ。
そして、その壁画を見上げる少女の姿があった。
まるで鳳凰に祈りを捧げる、褐色の巫女。それは息を呑むほどに、不思議な神聖さを放っている。そして魔光石の光に照らされた壁画と相まって、幻想的で、厳威な空間を作り上げていた。
褐色の巫女は来訪者に気付き、その方向へと向き直る。
「案内するって言ってなかったかしら――レイブン」
「そろそろ準備が整ったと思いましたので、こちらから出向きました」
「まったく……あなたに隠し事は無理そう。だって全部お見通しで、こうして見抜かれてしまうのだもの」
「私にだって、見抜けないものもありますよ」
「謙遜ね。ナダルやカイムの事も、あなたはすべて知っていた。それにツノツキが村を襲撃することも…… ――まるであなた、この世のすべてを知っている全知全能の神か、その神が遣わせた神兵よ」
「超空の神兵ですか。私はすべての事象を観測する神でもないし、ましてや彼らのように高潔な存在でもありません。単なる異端者であり、魔王に召喚された勇者に過ぎないのです。陛下の望む未来を創り上げるための布石。ただそれだけですよ。まぁ、自分のエゴを貫き通すマキャベリストと、私は自身を評価していますが」
「まきゃ、ばりすと? なにそれ、食べ物?」
どこかで似たようなやり取りをしたな。レイブンはそんなデジャブ感に苛まれつつ、マキャベリストを説明した。
「マキャベリスト。目的達成のためなら手段を選ばない人のことを、私のいた世界ではそう呼ぶのです。シルエラもしかしてですが、今、お
「ふぇ?! し、失礼しちゃう! ただ未知の食べ物だと思って、興味が湧いただけよ! なんか食べれそうな名前だし……。 べべ、別にお
と言っている側から『きゅるるぅ~』と、お腹の音が鳴る。
神聖な雰囲気をまっさらにしてしまう、なんとも可愛く、それでいて場違いな音。
その音の発生源であるシルエラは、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして俯く。
レイブンは鳳凰の壁画へと歩み、恥ずかしさに顔を俯かせているシルエラの横に立つ。
俯いていたシルエラは「コホン!」と咳払いをして心を入れ替える。俯いていた顔を上げ、この霊廟について説明した。
「ここは鳳凰の霊廟と呼ばれている場所。でもそれは仮の姿。本当はここに竜騎兵が待機していて、魔都が攻められた際に壁面の隠し扉が開いて、飛び立つ仕組みなの。魔都に侵攻した敵の本隊を、背後から奇襲するためにね」
「送り狼ですね。まさか地下迷宮の砦の地下に、竜騎兵の大隊が潜んでいるとは、予測すらできないでしょう」
「神機の在り処なんだけど――。もう言わなくても、分かってるって感じね」
「竜騎兵が隠れる待機所。つまり壁画の奥ですね」
「そうよ。神機はこの奥に眠っているわ」
レイブンは神機と対面するため、一歩前に出て、詠唱の準備をする。
レイブンは緊張しているのだろう。腕と肩に力が入り、心をを落ち着かせるため何度も、指を開いたり握ったりを繰り返していた。
そんなレイブンの姿に、シルエラは詠唱に関して知っている情報を、思い出せる限り打ち明ける。もっとも、レイブンはすべて知っているかもしれないが、少しでも彼の緊張をほぐし、安心してほしかったのだ。
「あと詠唱呪文のスペルは、同じ仲間なら絶対に知っているって言ってたわ」
「神機の乗り手、彼がそう言っていたのですね?」
シルエラは頷く。
レイブンは彼女の優しさに、感謝の言葉を贈った。
「シルエラ、教えてくれて――いえ、私を信じてくれて、本当にありがとう。それでは、行きます!」
そしてレイブンは息を「すぅ」と吸いこみ、呪文の詠唱を開始した。
独特の深みのある、朗々とした美しい歌。
封印を解く鍵。それは神兵の国の、国歌だった。
歌が終わると同時に、壁画が地鳴りのような唸りを上げて沈み始める。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…… ――ガコン!!
壁画の奥から出現した闇。壁画の降下に連動して照明が灯り、隠されていた神機の全貌が露わとなった。
――魔光石に照らされる漆黒の鳳凰。
待機所で眠る鳳凰は、一体だけではない。
翼がないもの。
胴体がまっ二つになったもの。
牙を抜かれたもの――……。
彼らは翼を休め、永き眠りについている。飛び立つことのできない彼らは、戦力にならない。
だがその中の一体だけ、違う鳳凰の姿があった。
いつでも飛び立てるよう完全な状態で保管されいる。再び飛翔するその時を、この地下でずっと待ち続けていたのだ。
レイブンは奥に進む前に、鳳凰の群れに深々と一礼し、最大限の敬意を払う。
そして黒き鳳凰に向かって歩みながら、神機の正体を語った。
「この世界の人々が呼称した神機。我々の世界ではこれを神機とは呼びません。 零式艦上戦闘機52 丙型――またの名を、“ゼロ戦”と呼びます」
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