第2話 小さな植物店
薄暗い夜道を、三毛猫の先導で進む。
いくつかの民家には明かりが灯っているが、なんせ過疎地だ。
数自体が少なく、心もとない。
道端の街灯も、鬼住神社の鳥居を過ぎるとほぼなくなった。
青白い月に照らされながら畑道を突き進み、ビニールハウスの群れに差し掛かる。次第に見えてきた遠方の明かりは、村の近くを通る高速道路のものだ。
これがあるから、鬼住村の生活は成り立っている。
「あけび様、いったいお店はどこにあるんですか?」
大型ビニールハウスに囲まれながら、私は尻尾を振る三毛猫に尋ねた。
「次の角を曲がってすぐじゃ。元々は朽ち果てた牛舎があったんじゃがの。あやつが潰して店を建てたのじゃ」
「へぇ」
一体私はどんな場所に連れていかれようとしているのか。
恐る恐る角を曲がると、二十メートルくらい離れたところに明かりが見えた。
「安心せい。顔を見るなり取って食うような男ではないからの」
「取って食うってまた物騒な……」
もしかして、入れ墨にドレッドヘアのお兄さんがやっているお店なんだろうか。
偏見だとしても、ちょっと遠慮したい。
身震いしながら道を進んで、ついに店先に到着する。
暗闇に浮かぶのは、二階建てのころんとした洋風のお店。
暗くて細部までは覗えないが、村には不釣り合いな洋風の建物だった。
明かりの漏れるガラス張りのドアは閉まっており、そのすぐ横に看板が掛けてある。
「……ボタニカルショップ、ウィルオウィスプ」
ガラス越しに見える木目調の店内には、切り花入りのバケツや鉢植えが並んでいた。レイアウトがドールハウスみたいで何とも愛らしい。
「お花屋さん、かな」
ひとまず安心して胸を撫で下ろす。
入れ墨にドレッドヘアのお兄さん疑惑は打ち消された。
「あやつまた奥で籠っておるな。ぬか漬け娘、開けい」
「開けていいんですか?」
「はーやーくーあーけーいっ!」
「はいっ」
催促され慌ててドアを押す。
するとドアベルが、からんからん、と懐かしい音色を奏でた。
店内は耳触りの良いジャズが流れており、予想以上に暖かい。
湿度も若干高めで、晩秋の外気でぴりぴりしていた肌と肺が潤っていく。
「おぉ、可愛いお店……」
決して広くない店の中央には丸テーブルが置かれており、クリスマスの時期によく目にする鉢植えや、サボテンらしきとげとげが飾られていた。
贈答用だろうか。いくつかリボンでおめかしした鉢もある。
そして、壁際を這うように設置されたレトロな長机には、名も知らぬ植物や変わった形の植木鉢、インテリア用のガラス瓶が並ぶ。
さらに入ってすぐ右側には小洒落たレジカウンター。
切り花の入ったバケツやポット苗たちは、その周りでお澄ましいている。
寂れた田舎町には似合わない瀟洒なレイアウトに、思わずうっとりしてしまった。
ここだけ鬼住村じゃないみたいだ。
「おーい、
内装に感心していると、あけび様はぽんっと人の姿に戻り、乱暴に叫ぶ。
「はぁーい。今行きまーす」
返事が返ってきたのは数秒後。低くて穏やかな男性の声だ。
どうやらあけび様の言う通り、奥へ部屋が続いているらしい。
入口からはす向かいに、すりガラスの嵌められた引き戸がある。
声がしたのはその向こう側からだ。
植物が置いてあるらしく、薄っすらと緑色が透けて見えた。
「こんな時間にどうしたんですかーあけびさ……んぇ?」
戸が開き、現れたのは二十代半ばの男性。
清涼感のある黒髪に、ニットとチノパンが良く似合う長身痩躯のお兄さんだ。
見開かれた瞳は墨を垂らしたように昏く、それでいてふんわりと温和な雰囲気を醸し出している。
ちょっと垂れ目だからだろうか。
ぽかんと開いた薄い唇とも相まって、春の青空に浮かぶ綿雲みたいな印象を受けた。
しかし。
ふわふわしているのに、類稀にみる眉目清秀さが間抜けな空気を感じさせない。
言葉に表すのも憚られるくらい、ぞっとするほどの造形美が目の前に立っていた。
「喜べ。ぺそこんが使える人間を見つけてやったぞ?」
「ええと……あけび様? 僕、いまいち状況が飲み込めないんだけど……」
キョトンとした男性は「しかも普通に人の姿晒して……大丈夫なんです?」と続けた。
「こやつは常子の孫じゃ」
「常子さんの?」
垂れ気味の目が私を捉える。
「始めまして。笹森すみれと申します」
私はすかさず名乗って会釈した。
小首を傾げつつ会釈を返してくれたこの人も、あけび様の秘密を知っているらしい。ついでにおばあちゃんのことも。
「常子が言っておらんかったか? どこぞで呪われたぼんくらぬか漬けじゃ。もう儂が祓ってやったので臭くはないがの」
「お孫さんの話は聞いてますけど、この子……」
「ごちゃごちゃうるさいのう。前々からぺそこんの使える店員を欲しがっていたじゃろうが。どうせ放っておいてもタダ飯喰らいの居候じゃ。童が雇ってやれ」
「あー、うんうん、はいはい。そういうことですね」
男性はへらりと笑った。
「もしかしてすみれちゃん、いきなり連れてこられた感じ?」
「はい……でも、働きたいとは思っています」
いきなりのちゃんづけに戸惑いつつ、こんな男前にだったら悪くないな、とも思う。だって、お手本のように端正な顔つきをしているから。
「うんうん。うちはいわゆる植物屋なんだけどね、僕が全然パソコン使えなくってさ。だからそっちに明るい人を探してて」
「パソコンを使う、って具体的にはどんな業務なんでしょうか」
「うーん。えすえぬえす? やホームページの更新とか、収支を打ち込んでもらったりとか、メールの返信とか。とにかくパソコンが使える人を求めてて」
「多分、そのくらいならできると思います」
基礎の基礎ばかりだ。
全て学生時代からやっていたし、恐らく問題なくやれる。
「本当!? すごいねすみれちゃん。尊敬するなぁ」
男性はきらきらと目を輝かせた。
なんだか、大型犬みたいで愛らしい。
「パソコン業務はできると思うんですが、私、その、お花は全く知識がなくて……。小学校で朝顔を育てたくらいしか……」
正直、店内を彩る花や観葉植物もほとんど名前を知らない。
バラとかヒマワリとか、子供でも知っている代表的な花の名しか記憶していないずぶの素人だ。
「大丈夫。僕が教えてあげるよ。うち、ちょっと特殊なものも扱っているから、知らなくても平気平気」
「お客さんへの対応も満足にできないかもしれません……」
「僕がやる。おいおい覚えてもらえれば構わないよ。すみれちゃんはパソコン要員として頑張ってもらいます。あと僕のお手伝いとね」
穏やかにそう言ってもらえると、ちょっと嬉しい。
役立たずだろう私を求めてくれるなんて、跳び上がるくらい浮かれる事実だ。
この人なら以前の上司みたいに理不尽な怒りを向けてこない気がする。
両親のように湿った目で見てこない気がする。
不安はあるが、断りたくない。
「では、精一杯頑張りますのでよろしくお願いします!」
「うん。よろしくねすみれちゃん」
「はいっ。あの、まだお名前を伺っていなかったのですが」
「え? あぁ、ごめん。僕は
「月隠さん、ですね」
「千秋って呼んで。名字で呼ばれるのあんまり好きじゃないんだ」
「はい。じゃあ、よろしくお願いします千秋さん」
千秋さん、だなんてむず痒い。
「しっかり稼ぐんじゃぞ、ぬか漬け娘」
「あふっ」
あけび様に背中をばちんと叩かれて、変な声が出てしまった。
「ちょっとあけび様、女の子相手にやりすぎだって! だ、大丈夫!?」
慌てる千秋さんがおかしくて、私は背中をさすりながら声を出して笑っていた。
久しぶりに大笑いした。
気がかりは山程あるけれど、今は目の前に拓かれた道を行くしかない。
失った道しるべが再び示されたのだから。
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