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気怠い一日の課程が、今日も漸く幕を下ろし。そうすると和葉はさっさと教室を出て、昇降口で上履きから外履きのローファーへと履き替え。そして、茜色の短い髪を揺らす親友と共に、今日もまた帰り道を校門へと向けて歩き出す。
「いやー、今日も疲れましたなあ和葉さぁーん?」
ニヤニヤと肘で和葉のことを突っつきながらそう言うのは、茜色の髪を揺らす彼女、桐谷朱音だ。
「ホンット、疲れたわよ……。あの新任の数学、若いのは良いんだけどさ。ちょっと熱血過ぎて疲れるったらありゃしないわ」
「にゃははー、和葉みたいな斜めにスレた奴には、やっぱりああいうタイプは天敵かもねー」
「……ちょっと朱音ぇ、それってどういう意味よ」
「べっつにー? 言葉のままの意味ですけど、何かぁ?」
「あー、朱音酷すぎるでしょ今のは。制裁よ制裁、このぉっ!」
「あっ、ちょっ! 和葉ぁ!? ちょ、止めてって……あは、あはははっ! ははは!」
朱音の後ろから掴み掛かるようにして華奢な身体のあちこちをくすぐり始める和葉と、それに耐え切れず盛大に笑い始める朱音。そんな風にしながら校門に向かって歩く二人の周りには、しかし同じく帰り道を急ぐ生徒の数が極端に少なかった。
「……やっぱり、ちょっと寂しいよね」
と、そんなことに気付いてか、ボソリと朱音が俯き気味に呟いた。
「皆……死んじゃったから」
呟く朱音の横顔は、やはり何処か影を落としているように横目で見る和葉の眼には映っていた。学園の襲撃事件で、表向きにはテロ・グループの犯行として処理されたあの一件によって、学園の生徒はかなりの数が教師共々に命を落としている。この異様な生徒数の少なさは、そのせいだった。
「来年には、確か廃校になるんだっけ?」
「……そうね。私たちの卒業に合わせて、この学園も無くなるわ」
「そっかー……」
和葉が答えれば、朱音は何処か寂しそうに空を見上げる。歩きながら、いつも通り脳天気な笑顔で。しかし見上げる朱音の顔色は、何処か涙を堪えているようでもあった。
――――誰も彼もが、未だにあの事件の傷から癒えていない。
こんな朱音の顔を見ていると、和葉も胸にチクリとしたモノを覚えてしまう。あの事件の真相を朱音が知ったら、一体彼女は何て思うのか。そう思うと、和葉は彼女にどんな言葉を掛けて良いものか分からなくなっていた。
「…………」
この学園も、美代学園も、三月の卒業式と終業式を迎えると同時に、廃校を迎えることになる。あれだけの凄惨な事件があったのだから当然といえば当然で、こうして和葉たち三年生が卒業するまでは存続するという決断自体、半ば奇跡的なモノなのだ。
「ま、悔やんだところで仕方ないか」
何て言葉を掛けて良いか分からないままで和葉が頷いていると、にゃはは、なんて脳天気に笑いながら朱音がそう言い、「仕返しだーい!」なんて言いながら今度は和葉の背後を取り、くすぐり始めてくる。
「ちょっ、ちょっ!? やめてよ朱音、やめてって……くくくっ、あは、あははっ!!」
「ほれほれ、良いではないか、良いではないかーっ!」
「やめ……あははは! あはははっ!?!?」
「それそれそれー! 和葉は笑ってるときの方がきゃわいいぞー?」
「こういうので笑わせるのは、違……あ駄目、あはははっ!!」
とまあ、こんな具合の阿呆なやり取りに戻りながら、二人並んで校門の近くまで歩いて来る。
すると、校門の向こう側には和葉にとっても大分見慣れた、黒いWRX-STiが停まっているのが見えて。そしてソイツの黒いボディに寄りかかる格好で、同じく黒を基調としたアルマーニの高級イタリアン・スーツに身を包んだ男が、黙って腕組みをして誰かを待っている姿が二人の視界に飛び込んでくる。
「あれ、やっぱり和葉の彼氏さんなの?」
そんな彼の姿を――――五条晴彦、ハリー・ムラサメの姿を見て、思い切って疑問をぶつけるように隣の朱音が囁きかけてきた。
「うーん……」
すると、何故だか和葉は小さく悩む。以前までなら「違う」と刺々しい態度で即座に否定していたのに、今回に限ってはこの反応だ。
「おっ? おっおっ?」
和葉がこんな反応だからか、朱音も興味津々といった具合に和葉の顔の周りを右往左往する。
「……どっちかっていうと、今は相棒かな?」
しかし、和葉の答えはこんなもので。朱音が「なんだそれー!?」とズッ転けている隙に、和葉は校門前で待つハリーの元へそそくさと歩み寄っていってしまう。
「時間通りだな、和葉」目の前にやって来た和葉を軽く見下ろしながら、腕時計をチラリと見てハリーが言う。
「ハリー、貴方の方こそ」そんなハリーを軽く見上げながら、和葉もまたそう言葉を返した。
「当然だ、何せルール第一条――――」
「「時間厳守」」
敢えて和葉が言葉を被せると、二人は見合ったままニッと笑みを交わし合う。
「疲れたろ、乗ってくれ和葉」
「はいはい、ありがとありがと」
助手席側のドアを開けてやり、和葉をそこに乗せてやる。そのドアをバタン、と閉じるとハリーはすぐさま運転席側へと回ろうとしたが、後ろから飛んでくる「あ、あのっ!」という朱音の言葉に引っ張られてしまう。
「……あの、お兄さんって、やっぱりこの間の時に逢った」
すると、朱音はハリーのすぐ傍まで近寄ってきて、耳打ちするぐらいの小さな声音でそんなことを囁いてくる。
「あー……」
そんなことを言われてしまえば、ハリーは頭の後ろを掻きながら困った顔を浮かべるしかなかった。きっと、数ヶ月前の学園襲撃事件で和葉を救出しに学園へ潜り込んだ際、新校舎で出くわした時のことを彼女は言っているのだろう。
「出来れば、内緒にしてて貰えると有り難いんだが」
ダメ元でハリーが言ってみると、しかし朱音の回答は意外にも「分かってますって!」と快活な二つ返事で。にひひーなんて笑いながら、手でピースサインなんか作っている。
「あのことは誰にも、勿論警察にだって言ってませんから。だから、安心してください」
「悪い、助かるよ」
「その代わり、条件がひとつあります」
「条件?」
ハリーがきょとんとして訊き返すと、やはり朱音は太陽のような明るく快活な笑顔を浮かべて、
「和葉ちゃんを、この先もしっかり護ってあげてください」
そんな笑顔でそんなことを言われると、ハリーはフッと笑い返してみせ、
「ルール第二条、仕事は正確に、完璧に遂行せよ。
――――承った。任せろ、俺は自分のルールは守る男だ」
と、親指を立てサムズアップなんかしつつ、敢えてのキメ顔で朱音にそう言ってみせた。
「なら、安心しましたっ!」
そんな言葉と共に向けられた朱音の満面の笑みに見送られながら、今度こそハリーはWRXの運転席に乗り込んでいく。
「何話してたの?」
すると、窓越しに二人が会話する様子を見ていたらしい和葉が、不思議そうな顔で訊いてきた。ハリーが「トップシークレットだ」と冗談っぽく言い返してやれば、和葉はぶーっと膨れながら「えー、なにそれ。内緒話?」なんて風に文句を垂れる。
「ルール第五条、仕事対象に深入りはしない。守秘義務って奴だよ、和葉」
「ぶー、納得いかないなぁ」
そんな会話を交わしつつ、二人は揃ってシートベルトを着ける。カチャッとシート脇のバックルにベルトが差さる音が聞こえると、何だかそれだけで気分が切り替わるような気がする。
「それでハリー、今日の仕事は?」
「特にないが――――」
と、ハリーが言い掛けた途端、彼のスマートフォンが着信で震え出す。
「誰だ……?」
億劫そうに懐から取り出して見てみると、非通知設定の相手だった。何となく電話の内容が予想できながらも、ハリーはその電話に敢えて応答する。
『……仕事だ。ミズ・タカハシから紹介された』
すると、聞こえてくるのは低い男の声。手短に要件だけを伝えるような簡潔な口調は、間違いなく仕事の依頼とかその類だ。
「話を聞こう」
暫くその男の話を聞いた後、ハリーは「分かった」の一言だけを返して電話を切る。
「もしかして、新しい仕事?」
そんな彼の様子で概ね察しつつも、一応そうやって和葉が訊くと。するとハリーは「ああ」と頷き、
「悪い、今日の予定は変更になった。――――仕事だ、特急で運びの依頼がある」
「分かってるって」
シフトノブに触れる彼の手に自分の手を重ねながら、和葉が小さく微笑む。ルビーのように赤く輝く美しい瞳は、いつの間にか一抹の頼もしさすらも滲ませていた。
「じゃあハリー、行こっか」
「任せろ」
期待に応えるようなニッとした不敵な笑みを浮かべると共に、ギアが一速へと叩き込まれ。そして軽いホイール・スピンなんかカマしながら、強烈なボクサー・サウンドの重低音を奏でる漆黒のWRX-STiが猛然とした勢いで発進する。次なる依頼へと赴く為に、ハリー・ムラサメと園崎和葉の二人を乗せて――――。
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