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「…………」

 その頃、"スタビリティ"のボス、ユーリ・ヴァレンタインとその愛人ジェーン・ブラントはリムジンに乗り込み、屋敷を発っていた。既に戦場と化した屋敷からは随分と距離が離れている。ハリー・ムラサメに追いつかれる心配は、どうやら無さそうだった。

「君を連れて来た意味も、あまりないかもしれないね」

 傍らに愛用の頑丈なノートパソコン、パナソニック製のタフブックを携えながら、ヴァレンタインが呼びかけるのは対面になったシートに座らされた和葉だった。

「私を、ハリーに対しての盾に使おうって算段ね」

「そういうことだ」と、ヴァレンタイン。「我々は今から空港に向かう。そこで君とはバイバイだ」

「じゃあ、殺すってワケね」

「君の態度次第、かな?」

 口先ではそう言うヴァレンタインだったが、内心では和葉を始末する気しか無かった。どのみち、彼女の利用価値はハリー・ムラサメに対しての盾ぐらいしかもう残っていない。空港に到着し、プライベート・ジェット機の準備が済み次第、傍らのジェーンに始末させる手筈だ。

「くっくっくっ……」

 何故か笑いを漏らすヴァレンタインに、和葉が「何がおかしいのよ」と苛立った顔で問いかける。するとヴァレンタインは「いや……」と掌を掲げ、

「もう少しで私の手に世界が収まると思うと、面白くて仕方が無いんだ」

「……見てなさい。貴方、今に吠え面かく羽目になるから」

「もしかして君、まだ奴が、ハリー・ムラサメが助けに来てくれるって信じてるのかい?」

「ええ」二つ返事で和葉は頷き、そして睨み付けるような視線をヴァレンタインに向けながら続けてこう言った。

「ルール第二条、仕事は正確に、完璧に遂行せよ。ハリーは一度だって、自分のルールに背くような真似はしなかったわ」

「だから、助けに来ると?」

「そうよ」

 和葉が自信ありげに頷いてみせれば、ヴァレンタインは吹き出すように「ハッ!」と笑い出し、

「全く、お笑いだ! いやはや、君は夢見る乙女ってタチには見えないんだけどね。これはこれは、驚いたよ本当に」

「貴方はハリーの強さを知らないから。だから、そんな風に馬鹿に出来るのよ」

「無理だよ」と、ヴァレンタイン。「ウォードッグ、それにクララ・ムラサメが奴の始末を確実に付ける。仮にウォードッグはやられたとしても、ハリー・ムラサメがあのクララ・ムラサメを討ち倒して追ってくるなど、不可能な話だ」

「……そうでしょうね」

 俯きながら、口先ではそう言いつつも。和葉は心の何処かで、クララの裏切りを期待している節もあった。

(……あの眼は、とてもこんな連中と一緒に居るような人間の眼じゃなかった)

 人を見る眼はあると、和葉は我ながらに思うことがよくある。元々あった物が、バーテンダーのアルバイトで多くの人間と接することで、更に磨き上げられてきた。

 だからこそ、そんな自信があるからこそ、和葉は思っていた。きっと、クララは最後の最後でハリーの味方をしてくれると。わざわざ可愛い弟子を手に掛けてまで、こんなロクでなしの味方をするような女じゃないと……。

 しかし、それがあまりに希望的観測が過ぎる考えだというのも、同時に和葉は理解している。

(ハリー……)

 故に、和葉はただ純粋に信じた。あの男を、ハリー・ムラサメを。彼がきっと、障害を全て討ち倒してこの場に駆けつけ、あのクールな横顔を再び自分の前に見せてくれると……。

「――!? 後ろから、凄い勢いで何か迫ってきてる!?」

 と、そんな時だった。チラリとサイド・ミラーを見たリムジンの運転手がそんな驚きの声を上げたのは。

「何事だ!?」

 そんな運転手の叫び声に驚き、ヴァレンタインもまた声を荒げてリアガラスの方へと視線を向ける。それに倣い和葉もまた同じように背後へ振り返ると、

「ハリー……!」

 すると、リムジンの後方から黒い戦闘機のような機影が凄まじい勢いで追いかけてくるのが見えた。夜明け前のまどろみの中を、鷹のように鋭く尖ったヘッド・ライトの光で切り裂きながら、追撃を仕掛けてくる漆黒のランボルギーニ・ムルシエラゴ・ロードスターが。そして――――そのコクピット・シートに身体を預けるあの男の、ハリー・ムラサメの姿が。

「――――ルール第二条、仕事は正確に、確実に遂行せよ」

 男が胸に抱く六つの信条に揺るぎは無く、己が信ずる六つの鉄の掟に従い、男が遂にチェック・メイトを盤面に打つ。

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