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「…………」

「……クララ」

 邸宅の廊下。不作法に歩き煙草なんてしながらむすっとした仏頂面で歩くクララの横に追いついた、左眼を血の滲む包帯で覆う190センチ越えの巨漢――――"ウォードッグ(戦争の犬)"の異名を持つ男、ジェフリー・ウェンが彼女の名を呼び、声を掛けた。

「何さ、ウォードッグ」何処か不機嫌そうな顔でチラリと振り向いたクララが、横目で見上げる視線を向けながら反応する。

「この仕事を降りてェのなら、好きにするといい」

「……何のつもりだい?」

 ウォードッグの突拍子もない発言を流石にいぶかしんだのか、少し先を行っていたクララは立ち止まり、そしてウォードッグの方に振り返った。

「俺はお前に、姐さんに借りがある」

「借り?」

「あァ」頷くウォードッグ。「俺は姐さんに助けられた。俺の命を拾ったのは、姐さんだぜ。だから、クララがこの仕事を降りるつもりなら、俺は見逃すし多少の手助けもする」

 ウォードッグ――――ジェフリー・ウェンは、昼間の教会での戦いでハリー・ムラサメに撃たれ、確かに死ぬはずだった。

 しかし、今こうして彼は生きている。ハリーの撃ち放った9mmパラベラム弾が左眼の眼球こそ破壊したが、しかしそのまま頭蓋骨を滑り脳そのものを傷付けなかったという幸運もあった。しかし脳震盪で意識を失っていたウォードッグは、本来ならあのまま手当が遅れて死ぬはずの運命にもあったのだ。

 それを救い出したのが、今彼の目の前に立つ小柄でクールな少女のようなあどけない顔をした伝説の殺し屋、クララ・ムラサメだった。ウォードッグがまだ生きていることに気が付いた彼女が、一緒に連れ帰ってくれたのだ。もし彼女に気付かれなければ、ウォードッグは今頃死んでいるか、死にかけの苦しみにもがき苦しんでいたはずだ。

 故に、ウォードッグはクララに対して並々ならぬ恩義を感じていた。そして彼女の内心を、ユーリ・ヴァレンタインのやり方にいい加減嫌気が差しているということを理解していたからこそ、こんな話を彼女に持ちかけたのだ。これ以上、伝説のクララ・ムラサメが落ちぶれていくのは見たくなかったから、という理由もある。

「そういう君は、残るのかい?」

 逆にクララに訊かれ、ウォードッグは「まァな」と凶暴な笑みを湛えて頷いてみせた。

「野郎と――――ハリー・ムラサメと今度こそ決着が付けられるのなら、何がどうだろうと知ったこっちゃない」

 すると、クララは吹き出すようにふふっと笑い出し。その後で「君らしいよ」と半ば呆れるように言った。

「流石は戦争の犬ウォードッグ、名前に違わぬ狂犬っぷりだ」

「嫌いか?」

「嫌いじゃない」とクララ。「ある意味で純粋だよ、君は」

「へヘッ……」

 犬歯剥き出しで笑いながら、ウォードッグが懐から取り出したラッキー・ストライクの煙草を咥えると。するとクララは気を利かせたのか、火を点けたジッポーを「はい」と差し出してこようとするが……。

「…………」

「うん? うーん!」

 …………身長差がデカすぎて、ウォードッグの口元までクララの手が届かない。

「姐さん」

「う、うるさいっ!」

 ニヤニヤとしながらウォードッグが見下ろせば、ジッポーを閉じたクララは頬を紅くしてぷいっとウォードッグに背中を向けてしまう。そんな彼女の反応が何故だかおかしくて、ウォードッグはガラにもなくガハハ、なんて派手な笑い声を出してしまった。

「な、なんだよっ! し……仕方ないじゃないかっ! 君は190センチ越えの大男! そんでもって僕はこのザマ! うう、笑うなぁっ!!」

「はははは」

 伝説の女も、一皮剥けば人間だな――――。

 ウォードッグはそう思いながら、頬を紅くしたクララが顔を逸らしつつ、改めて突き出してきたジッポーに高さを合わせるため身を屈めてやる。咥えっ放しだったラッキー・ストライクに漸く火が付くと、ウォードッグは立ち上がりながら「ありがとよ、姐さん」と再び笑みを浮かべてみせた。

「はいはい、どういたしまして……」

 疲れた顔ではぁ、と溜息をつくクララと共に、二人揃って煙草を吹かしながら再び廊下を歩き出す。

「…………」

 その途中ですれ違った、ユーリ・ヴァレンタインの私室に通ずる扉。そちらをチラリと横目に眺めながら、クララ・ムラサメはただ、ヴァレンタインに対しての不信感ばかりを募らせていた。

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