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 午前二時、草木も眠る丑三つ時。文字通りに草も木も眠りに就いた深い深い森の生い茂る山の奥深くで、しかしそこに切り拓かれたある一ヶ所に建つ巨大な邸宅だけは、未だ眠ることを知らなかった。

 他者を拒むようにそびえ立つ高い塀と、広大な敷地。そのド真ん中にポツンと建つ巨大な邸宅内の私室で、そのぬしであるユーリ・ヴァレンタインは愛人の美女ジェーン・ブラントに寄り添われながら深々と椅子に腰掛け、片手に携えるワイン・グラスに注がれた真っ赤なワインを嗜んでいた。

 ユーリ・ヴァレンタインはシカゴ生まれのアメリカ人だったが、しかしその顔立ちには明らかなロシア系の血統が見て取れる。藍色の髪をオールバック・スタイルに纏め上げていて、白人らしく彫りの深い風貌だった。振る舞いこそ優雅だが、彼こそ国際的な巨大犯罪シンジケート"スタビリティ"のボスその人なのだ。

「酷いザマだな、ウォードッグ」

 ヴァレンタインは優雅な態度で椅子に腰掛けたまま、しかし落胆したような声で目の前に立つアジア人の大男――――ウォードッグに語り掛ける。

「面目ねェ」と、後頭部をボリボリと掻きながらバツの悪そうにウォードッグ。「俺としたことが、とんだヘマこいちまった」

「……気にするな」

 てっきり酷い罵倒でも投げ掛けられるのかとある種の覚悟をしていたウォードッグだったが、しかしヴァレンタインの口から出てきたのは、溜息交じりながらもそんな寛大とも取れる言葉だった。

「それより、クララ? 相手があのハリー・ムラサメだというのは、本当なのだろうな」

「うん、間違いないね」

 続けてヴァレンタインが視線を向ければ、巨大なウォードッグの影に控えていた小さな女、少女のようにあどけない風貌をしたゴシック・ロリータ風の格好に身を包むクララ・ムラサメがそう答える。頭の後ろで小さなポニーテール風に結ったすみれ色の前髪の下にチラリと見せる彼女の瞳の色は、確かな確信をヴァレンタインに訴えかけていた。

「この僕が言うんだから、信じてくれるよね? ミスタ・ヴァレンタイン」

「信じるさ。何せ他でもない君が、嘗てハリー・ムラサメの師だった君の言うことだ」

「ねぇ、ユーリ? そのハリーなんとかって、一体誰なのぉ?」

 ヴァレンタインがにこやかな表情でクララに頷いてやると、椅子の背もたれ越しにヴァレンタインに纏わり付いていた彼の愛人、ジェーン・ブラントが馴れ馴れしい態度で問いかける。ジェーンはある意味でクララと正反対な風貌で、華奢で長身なモデル体型に長いストレートのプラチナ・ブロンド色の髪、そして淫魔の類のように妖艶な美貌を振りまくような、文字通りの美女だった。

「嘗て、西海岸で伝説だった最強のヒットマンだ」と、ジェーンの頬を片手で撫でながらにこやかにヴァレンタインが答える。

「だが、彼の顔を直接見た者は少ない。数年前に死んだと専らの噂だったが……。まさか、こんな辺境の島国に隠れていたとは」

「彼は元々、この国の出身だよ」と、クララ。「ヒトが故郷に戻る、何らおかしいコトじゃないさ」

「まあ良い……。とにかく今は、盤面を次の局面へ進めることを考えよう。ウォードッグ、そしてクララ・ムラサメ。君たち二人には、邪魔な彼の始末を頼みたい」

「娘はどうするんだァ?」

 コキコキ、と首を鳴らしながら、犬歯剥き出しの獰猛な笑みを浮かべるウォードッグが問う。彼は不作法にもサングラスを掛けっぱなしだったが、しかしヴァレンタインはそれを咎めないまま、ニッコリと胡散臭い笑みを浮かべて彼の問いに答えた。

「園崎和葉に関しては、生け捕りが好ましい」

「ケッ、面倒くせえなァ……」

 明らかに落胆した様子のウォードッグにヴァレンタインは「だが」と言葉を続けて、

「最悪の場合は、その生死を問わない。究極を言えば、あの娘の持っているペンダントさえ手に入れば、それでいい」

「……ペンダント?」

 最後の言葉が妙に引っ掛かったクララが、疑り深い瞳で反芻するみたくひとりごちる。すると、ヴァレンタインは「そうだ」と頷いて、

「あの娘の、園崎優子の忘れ形見が持っているペンダント。…………それこそが、ワルキューレの鍵。眠り姫の岩戸を開く為の、唯一の鍵なのだから」

 くっくっくっ、と不気味な引き笑いをしながら、敢えて意味深な言い回しでそう、本質をぼかしながら答えてみせた。

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