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「――――ごめんなさい。こんなこと、貴方に話しても仕方ないのに」

 一通りのことを話し終え、感情を吐露し。そして気持ちを整理し落ち着きを取り戻した和葉が、デスクに両脚を投げ出しっ放しで座り続けていたハリーの方を振り向き、小さく彼に詫びてきた。

「いいさ」と、ハリーが小さく首を横に振る。「気にするな」

 しかしハリーはそう言いながら、少しばかり自分は彼女に深入りしすぎているのかも、とも思っていた。彼女の方から話してきたことといえ、あくまで仕事上の護衛対象でしかない彼女に、あまりに深入りしすぎ始めているのではないかと。

(ルール第五条、仕事対象に深入りはしない。……俺としたことが、抵触してるじゃないか)

 はぁ、とハリーは小さく溜息をついた。自らの迂闊さに呆れ、そして自然と彼女に、園崎和葉のことに深入りし始めようとしている自分自身を、強く戒める為に。

「……とにかく、だ」

 そうして溜息をついた後で、ハリーは意図的にこの思考を頭の外へ弾き出そうと口を開き、ソファに座り俯く和葉に話題を振ってみた。

「こうなってしまった以上は、君も今まで通りの生活には戻れないだろう。少なくとも、暫くは」

「そう、よね……。だって、学園があんなことになっちゃったんだから……」

 ハリーに話しかけられて一瞬だけ顔を上げた和葉だったが、しかし学園での凄惨な一件を思い出し、また暗い顔で俯いてしまう。

 と、そこでハリーも学園での一件がどう表向きに処理されているのか気になってきて。デスクの上に置かれていたリモコンを手に取ると、事務所の壁際に据えられていた液晶テレビの電源を点けた。

 そうすると、何処のチャンネルも予定に無い緊急報道番組を流しており。その全てが報じるのが、今日の美代学園で起きた一件のことだった。

『――――最新の情報によりますと、死傷者数は生徒と教師を合わせ三百人を越えているとのことで……』

『占拠していたテロ・グループはSATの突入により鎮圧されましたが、依然として犯行声明は出ておらず――――』

『先程、総理が緊急の記者会見を開き――――』

 とまあ、報道の具合といったらこんな調子だ。1994年の地下鉄サリンを越える戦後最悪のテロ事件だとかセンセーショナルな煽りを添えて報じ、知ったような顔の馬鹿なコメンテーターのまるで的外れなコメントと共に、マスコミは好き勝手に報じている。無辜むこの生徒と教師が数百人単位で死亡している凄惨な事件だというのに、それすらも飯の種にするかのような勢いで。

 だが、やはりというべきか"スタビリティ"のことも、そして奴らと派手な戦いを繰り広げたハリーのことも報じられていなかった。生き残った生徒への無神経なインタビューで「一瞬だけ、黒いスーツを着た男の人が戦ってるのを見た」だとか何か、そんなヤバいコメントも一瞬だけ聞こえてきたが、それも今ではもう聞こえない。その辺りは、冴子が上手く圧力を掛けてくれているのだろう。

「…………」

 何処の局へ変えてもそんな感じで、それを和葉がひどく曇った、哀しげな瞳で眺めているものだから。ハリーはいい加減そんな暗すぎる報道にも嫌気が差し、チャンネルを衛星放送へと切り替えてしまう。

 すると、丁度映画の専門チャンネルに切り替わって。流れていたのは1989年の香港映画『狼/男たちの挽歌・最終章』だった。香港の名優チョウ・ユンファ主演で、監督は勿論ジョン・ウー。ちなみに邦題では勝手に男たちの挽歌シリーズとなっているが、本来の原題は『喋血雙雄(The Killer)』。本来は挽歌シリーズの『英雄本色(A Better Tomorrow)』とはまるで別物、無関係の映画だったりする。

 だがまあ、脚本の秀逸さと、荒唐無稽ながらド派手で見所たっぷりのアクションシーンの素晴らしさはあちらにも決して劣らない。今流れているのは、丁度ラスト付近。鳩の舞う教会での大銃撃戦シーンだった。ユンファ演じる殺し屋ジェフリーが歌手だった盲目のヒロインを護りながら、互いに名も知らぬ刑事と友情を深め合い、そして二挺拳銃を撃ちまくる……。

 この映画、ハリーも好きで何度も見ている映画だ。最後は哀しいラストだが、それはそれで良いモノがある……。

「…………」

 そういえば、ウォードッグの本名もユンファの役と同じジェフリーだったな、とか、アイツも同じ香港出身だったよな、とかハリーが妙なことを考えていると、何故か和葉もその視線をテレビに映る映画に釘付けにしているのが、チラリと彼の視界の端に映った。

「君も、好きなのか?」

 訊いてみると、和葉が「……うん」と小さく頷いてみせる。

「私も、結構こういうの好きだから」

「意外だな」と、ハリー。「君ぐらいの年頃の女の子、中々こんな映画なんて観ないだろうに」

「ママが好きで、昔よく観てたからね。その影響……かな?」

 そう言う和葉の表情は、何処か和やかで。暗すぎる報道番組を死んだ眼で眺めていた先程までの鬱屈とした表情とは打って変わり、ほんの少しの微笑みすらも見せていた。

「それに、ママが死んで独りぼっちになってからも、こんなの観ては寂しさ紛らわせてたから。だから、今でも映画は好きなんだ」

「…………そうか」

 穏やかな顔で呟く和葉の横顔を眺めていると、ハリーも強張っていた表情が緩んでしまい。テレビから聞こえる派手な銃声を聞きながら、紙箱に残ったマールボロ・ライト、その最後の一本を取り出して口に咥える。

 空になった箱を握り潰し、デスク下の屑かごへダストシュート。カチン、と小気味のいい金属音をジッポーから鳴らせば、火を点けた煙草から紫煙を肺いっぱいに吸い込んでやる。

「……私も、最後はあんな風になるのかな」

 マールボロ・ライトの柔らかな紫煙の香りと微かな白い煙が漂う中、映画を眺めつつ和葉が小さく呟いた。

「させないさ」

 口から離した煙草を指で摘まみ、ふぅ、と小さく紫煙混じりの息を吐きながら、ハリーがそんな彼女の言葉に答える。

「ルール第二条、仕事は正確に、完璧に遂行せよ。

 ――――俺の信条に掛けて、君は何としてでもこの俺が護り抜く」

「……そう、だよね」

 紙巻きの煙草が先から段々と燃え尽き灰になっていく中、ほんの少しだけ彼の方に振り向いた和葉が、儚げな笑みと共に瞼を伏せ、そして頷いた。

「何としてでも、な…………」

 己に言い聞かせるようなハリーの独白は、しかし和葉の耳にまでは届かぬまま。再び二人の間に沈黙が訪れ始めれば、短い間だけの安息が訪れていた。映画のエンドロールが終わるまで、劇終の一文字が訪れるまで…………。

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