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――――何処から、話してやれば良いのだろうか。
「……とりあえず、向こうに渡った頃からにしよう」
ずっと前のことだ。ハリーがまだハリー・ムラサメという名を持たず、五条晴彦のままだった頃。ハリー……いや、晴彦はその身ひとつで故郷である日本を発ち、新天地へと足を踏み入れた。西海岸のロス・アンジェルス国際空港。まだ十代も終わり頃というほどに若かった自分があそこの国際線到着ロビーに降り立った時のコトは、今でも昨日のコトのように思い出せる。
「それで、ハリー? クララとは何処で知り合ったの?」
「日本を出る少し前だ」
「えっ?」
「俺はさ、アイツに拾われたんだよ」
何を隠そう、アメリカに渡ったのだってクララ・ムラサメの勧めと手引きによるものだった。ある意味で、晴彦を裏の拳銃稼業という世界に引き込んだ一番の原因は、彼女といっても差し支えない。
クララは、晴彦の類い希な才能を見出していたのだ。両親を交通事故――に見せかけた暗殺――で喪った晴彦とクララの出逢いは、本当に偶然だった。実はクララ、政府の高官だった彼の父に護衛を依頼されていたのだ。
しかし、クララは途中で体調を崩し、自分が回復するまではと代理の人間を護衛役に立てていた。そうした折だったのだ、晴彦の両親が交通事故に見せかけて殺されたのは。
そんな彼女が唯ひとり生き残った晴彦を拾ったのは、負い目もあってのことだと昔、ハリーはクララ本人から聞かされたことがある。
「あの時、僕が倒れていなければこんなことにはならなかった。僕さえしっかりしていれば、君の両親を死なせずに済んだんだ……」
仕事の為に一時的に身を置いていた郊外のモーテルで告げるクララの哀しそうな、悔しさに満ちた瞳の色が、ハリーの脳内でフラッシュバックする。
そんなことがあって、運良く生き残った晴彦は怪我が癒え次第、クララと共にアメリカ西海岸の大都市、ロス・アンジェルスに渡ったのだ。両親を殺した組織への復讐を条件に、彼女の弟子となるべく。
「五条晴彦は今日、此処で死んだ。今日から君は、ハリー・ムラサメだ」
彼女の隠れ家に導かれてすぐ、クララは弾の入っていない拳銃を晴彦の眉間に突き付け、撃鉄を空振らせながらそう告げた。
「僕らの稼業に、本当の名前は必要ないのさ……」
――――次に彼女が、クララが言ったそんな言葉は、今でもハリーの胸に深く刻み込まれている。自分を見下ろす、何処か一抹の哀しさを背負った瞳の色と共に。
クララ・ムラサメに引き取られてから、晴彦……ハリーは彼女の手ほどきを受けありとあらゆる技術を叩き込まれた。素手での格闘術からナイフ戦闘、拳銃からロケット・ランチャーに至るまでの扱い方に、徹底的なドライヴィング・テクニックの体得。そして、ヘリコプターの操縦技能までをも、彼が二十歳を迎えるよりずっと早い時期に、ハリーはクララの手で徹底的に教え込まれた。ありとあらゆる、殺しのテクニックを。
「……それで、復讐はどうなったの?」
「やり遂げたよ」神妙な顔で恐る恐る訊いてくる和葉に、ハリーがフッと小さく笑いながら答えた。「初仕事でな」
そう、ハリー・ムラサメの拳銃稼業としての初仕事は、他でもない彼の両親を殺した組織への殴り込みだった。とある武器商人がロス・アンジェルス市内に構えたオフィス、その壊滅という依頼。そして依頼をクララに持ちかけたのは、意外にも日本の公安に所属する刑事だった。
「その時に、俺も冴子と知り合った」
「冴子?」
「公安の刑事。君の護衛だって、その女が俺に持ちかけてきたんだ」
小さく薄い笑みを浮かべつつ、ハリーは短くなった煙草の吸い殻をデスクの上の灰皿で揉み消し。そして咥え直した新たな一本にジッポーで火を付けてから、昔話へと戻る。
「初仕事の時のコトは、今でも覚えてる」
――――事務所の裏口にバンで乗り付け、クララと二人で武器商人のオフィスに殴り込みを掛けた時の記憶は、きっとハリーの人生でもかなり色濃く胸に刻まれた記憶だろう。
バンから二人で飛び出して、まだ十九と若かった頃のハリーが裏口のドアをベネリM2自動ショットガンで吹き飛ばし、そしてすぐさまクララがサイレンサー内蔵のMP5-SD5サブ・マシーンガンを構えて突っ込んでいく。ハリーが後ろから援護しながら眺めていた、クララの舞い踊るように死を撒き散らす後ろ姿が、あまりにも美しく思えて。途中でショットガンを撃つのも忘れてしまい、ただ彼女の戦う姿に見とれていた覚えがある。
武器商人が根城にしていた四階建てオフィスビルの殲滅自体は、クララが好き放題暴れ回ったお陰でほんの一瞬で片付いてしまった。そして最上階の社長室、先に突入したクララに「ハリー、こっちだ」と呼ばれて向かえば、床に尻餅を突く格好で例の武器商人がクララの足元へ転がっていたのを覚えている。
「この男が、君の両親を殺せと指示を出した。全ての元凶はこの男だよ、ハリー」
クララが優しげに掛けてくる言葉を聞きながら、若きハリーはその男を見下ろした。金髪の白人だった。如何にもといった高級なスーツを着ているが、表情も震える瞳の色も怯えきっていて。そして股ぐらには無様に濡れた痕までもが窺える。
こんな男の為に、優しかった両親は殺されなければならなかったのかと。こんな無様な男の為に、自分の人生は狂わされてしまったのかと。そう思うと、ハリーは怒りを通り越して呆れすら覚えた。
「僕の仕事は此処までだ。ハリー、後は君の好きにするといい。君がこの男を殺そうが、赦そうが、嬲ろうが。何をしようと君の自由だ。君がどんな選択を取るのであれ、僕は君の選択を尊重し、そして君の全てを受け入れる」
「俺は……」
ハリーは迷った。死んだ方がマシと思うぐらいの苦痛を体験させてやろうとも思った。止血しながら身体をナイフで少しずつ切り取って、この世の地獄を見せてやろうとも思った。
「…………」
しかし、ハリーの取った選択肢は随分とあっさりしたモノだった。ベネリM2自動ショットガンを投げ捨てて、腰からシグ・ザウエルP226-E2自動拳銃を抜いて。そして武器商人の眉間に狙いを定め、撃鉄を起こし引鉄を絞った。
撃ち放った、たった一発の9mmパラベラム、ジャケッテッド・ホロー・ポイント弾。それだけで、ハリーは全てを片付けてしまったのだ。
「……ハリー、念願の復讐を終えた感想は?」
P226を腰のホルスターに戻し項垂れるハリーへ向け、拾い上げた彼のベネリM2を差し出すクララが問いかける。
「呆気なかったよ、思ったよりも」
それを彼女の手から受け取って、肩に掛けながらハリーが言う。
「…………でも、少しだけスッキリした。胸のつっかえが、取れたみたいに」
それこそが、五条晴彦が復讐を終えた瞬間であり。そして同時に彼という存在が死に、伝説にその名を残す最強の殺し屋、ハリー・ムラサメが真の意味で生まれた瞬間でもあった。
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